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建築論に関するspeculative0509のブックマーク (10)

  • 自分の道が分からずもがき苦しむ、隈研吾氏に聞く(1)(新しい建築の鼓動2010)

    小学生のころから建築家の仕事に憧れ、何の迷いもなく大学の建築学科に進学した。設計のことしか頭にない“オタク”な学生だったと振り返るが、同世代の考えには批判的で、デザインとは畑違いの構法計画の研究室をあえて選んだ。こうした行動が象徴するように、隈研吾氏は目の前の流れに乗らずに、批判と反骨精神を持ちながら挑み続けている。6回に分けて隈氏へのインタビューの全文を紹介する。 ――隈さんが職業として建築家に興味を持ったのは小学生のときだそうですね。 隈 大きな理由は、自分の家が木造の古い家で、友だちの家とすごく違ったことです。横浜市郊外の住宅地にあって当時、新建材を使った米国スタイルの新しい家が完成していくなか、自分の住んでいる家だけが古くて暗かった。それがコンプレックスでした。それで家って何だろう、建築って何だろうと、考えるようになりました。こういうバックグラウンドがあったから、東京オリンピックの

    自分の道が分からずもがき苦しむ、隈研吾氏に聞く(1)(新しい建築の鼓動2010)
  • prof.Fの西洋建築史講義--pallanoia.org

    prof.Fの西洋建築史講義は実在します。 続編を期待する方はご自分のサイトにリンクを貼ってアピールを。 公開していたテキストは現在、閲覧中止しています。

  • 建築図書出版の彰国社 建築思潮・建築論案内

  • 建築コンペ・イベント情報 --【KENCHIKU】

    弊社KENCHIKUサイトを装った迷惑メール(なりすましメール)に関する注意喚起 KENCHIKU web site に掲載の記事・写真・動画の著作権は、株式会社建報社またはその情報提供者・著者・撮影者に帰属します。記事・写真・動画の無断転載をお断りいたします。 会社案内 お問い合わせ KENCHIKU利用規約 プライバシーポリシー サイトマップ Cookie(クッキー) 当社のウェブサイトは、利便性、品質維持・向上を目的に、Cookie を使用しております。詳しくはクッキー使用についてをご覧ください。 Cookie の利用に同意頂ける場合は、「同意する」ボタンを押してください。同意頂けない場合は、ブラウザを閉じて閲覧を中止してください。

    speculative0509
    speculative0509 2009/11/08
    建報社による建築情報ポータルサイト「KENCHIKU」
  • 日経クロストレンド

    超図解・新しいマーケティング 実践編 2020年に連載した「超図解・新しいマーケティング入門」は、新人マーケターが最初に身に付けるべき知識を体形的に学べるとして好評を得た。特集は、その続きとなる、実践編だ。実際に商品開発や事業を立ち上げるに当たっては、学んだ基礎知識をいかに適切に組み合わせて、生活者から支持を得るような“強い”体験価値を創造していくかが肝心となる。そこで企業向けに事業開発支援を行う博報堂のトップマケーターたちが、事業創造を成功させるためのアプローチ方法をこのほど体形化。実践テクニックの数々をお届けする。

    日経クロストレンド
    speculative0509
    speculative0509 2009/10/11
     日経トレンディの企画対談
  • デザインの窓 第4回 隈研吾編

    デザインの窓 第4回 隈研吾編 speaker:竹村真一氏×隈研吾氏 date & place:2006年10月5日 大手町カフェにて デザインの窓 第3回 内田繁編 デザインの窓 第2回 面出薫編 デザインの窓 第1回 佐藤卓編 亀老山展望台 / 愛媛県越智郡吉海町 / 1994.03 / 展望台 隈 93年ですね、丁度バブルがはじけて初めての公共建築。瀬戸内海の大島って島の上に展望台をつくるってときに、町のモニュメントの塔をたててくれってときに、でも僕はカットしちゃおうと思ってた。修復したなかに埋め込まれている。山そのものをつくりなおしたっていう。今治の先の大島って島ですね。橋ができたので人が来るから公園をつくろうとしたんだけど、町長さんは目立つものをつくりたかったらしいんだけど、僕は見えないものを提案しちゃったんですね。 北上川・運河交流館 水の洞

    speculative0509
    speculative0509 2009/10/10
     デザインの窓というシリーズ対談
  • 隈 研吾 - デジタル・ガーデニング:東西アスファルト事業協同組合

    若手建築家として常に注目を集めてきた隈氏。建築を消すにはどうしたらいいかということを、「デジタル・ガーデニング」という考え方で、隈氏の作品を取り上げながら解説する。 私もカオスに一時期非常に引かれていたことがありました。「M2」では、どうやったらカオスがつくれるかを真剣に考えました。ローマから現代までのいろいろな歴史的様式をかき集めてきて、それをシャッフルして並べます。ある秩序に基づいて並べるのではなく、ランダムにシャッフルして並べます。なおかつモノが来持っている大きさを、突然拡大したり縮小したりして、スケール上のシャッフリングもする。そういうことを積み重ねていくうえで、かなり物のカオスに近いカオスがつくれるのではないかと思ってつくったのが、「M2」です。しかし、カオスで建築が都市に消えるかというと、やはり建築は消え切れません。人間がつくったカオスは、完全に都市の中に消去することはでき

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    speculative0509 2009/10/10
    隈研吾による建築論の講演録 カオスから建築を消すへ
  • 隈 研吾 - 物質性とサイバースペース:東西アスファルト事業協同組合

    物質性もサイバースペースも、どちらも僕にとっては、とても魅力的です。コンピュータだけが表現できる空間の世界、というのも魅力的だし、それからもう一方で、物質だけで表現し得る素材の世界というのもたいへんに魅力的だなと感じています。そのふたつともが魅力的なのはなぜだろうか。これが解けたら、おそらく二十一世紀がどういう世紀になるか、二十一世紀の建築がどのような建築になるかという大きな間題も解けるのではないか。それをなんとか解きたいのですが、そのヒントのひとつになるのが、もはや「かたちの時代」ではない、ということだと思います。 建築はかたちである、とは、昔からいわれてきたことですし、建築家というのは形態をデザインする人だと思われてきた。しかし、それは当かなと、最近つくづく思います。形態はある意味でどうでもいいのではないか、むしろ形態以外に建築のいちばん面白いところがあるのではないかと。ただ一般の社

    speculative0509
    speculative0509 2009/10/10
    隈研吾による建築論の講演録 かたちの時代のおわり?
  • 『建築の危機』

    Art Groove Media Community "アート グルーヴ メディア コミュニティ" こちらはクリエイティブをテーマにした建築とインテリアの情報発信局。 1967年、ハンス・ホラインは「すべては建築である。」”ALLES IST ARCHITEKTUR”と題した論文を発表した。 今日、建築がもつ構築された物質が建築であるという概念は完全に有効性を失った。 ①主体を取り囲む環境は、全て建築と呼びうる。すなわち、フィジカルな環境もフィジカルでない環境も主体にとっては等価であり、それらの間に根的な差異は存在しない。 ②環境とは主体の外部に客観的な実体として存在するわけではない。環境とは、主体の感覚により生成される主観的な存在である。 これらは、フッサールの現象学と同義である。 ①客観的な世界は存在せず、主体によって意識されたものだけが世界である。 ②主体は意識に与えられた直感を言

    『建築の危機』
    speculative0509
    speculative0509 2009/10/10
    「新・建築入門」(隈研吾、ちくま新書)の引用(透視ヘルメットほか)
  • 隈 研吾 - フィクショナルな都市からインタラクティブな都市へ「はじめに」:東西アスファルト事業協同組合

    今日は、大接戦の阪神・ヤクルト戦にもかかわらず、こんなに大勢の皆さんに来ていただいてどうもありがとうございます。ついでに申し上げますと、私は横浜出身で、永遠に報われることのない大洋ファンなので、ほとんど関心はないのですが、建築界では槙文彦さんをはじめとして、阪神ファンの方が結構おられるようです。大体、阪神ファンはマゾヒストであるというのが私の師である原広司さんの持論です。ところが、そんなマゾヒストであるはずの阪神ファンがときどきサディスティックになれる年があるのが羨ましくもあるのですが…。 今日は「フィクショナルな都市からインタラクティブな都市へ」というわかりにくいタイトルですが、それを私の作品と、私が興味を持っている過去の建築を引用しながらご説明したいと思います。それで、少しでも私の論理をわかっていただければと思っています。そこで興味を持っていただけたならば、さらには私のをよんでいただ

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    speculative0509 2009/10/10
     隈研吾による建築論の講演録
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