98歳の達郎さんの調子が悪くなった。口から食事が摂ることができなくなり、喋ることもままならず、右側頭部に焼けるような痛みを訴えている。達郎さんとその妻は、「延命治療は望まない。このまま死なせて欲しい」と訴えた。 【写真】「転んで死ぬことになった」60代以上の人たち…その悲しすぎる結末 ふだんは胃ろうをすすめておらず、そのまま看取りに入る平野国美医師だが、老化現象からくる嚥下機能低下とは思えなかったため、精密検査を提案する。 高齢者の胃ろうは是か非か――。6000人以上の患者とその家族に出会い、2700人以上の最期に立ち会った“看取りの医者”が、延命治療にも繋がりかねない胃ろうの造設について、引き続きリポートしていく。 【ここまでの詳しい経緯については、『「6300人の患者」を診て、胃ろうを造設したのは「わずか2件」…胃ろうをすすめない「看取り医」が、「それでも胃ろうは必要」というワケ』をご
2018年11月30日、厚生労働省は、人生の最終段階における医療・ケアについて、本人が事前に家族や医療関係者と話し合う取り組み、「ACP(アドバンス・ケア・プランニング)」の愛称を「人生会議」にすると発表した。 「どう死ぬか」「どう生きるか」を本人や家族を含めたみんなで考える。どんな最期を迎えたいかを本音で話し合い、医療関係者に伝えられるなら、それは一見いいことのように思える。 だが、実際には当事者の意思が無視された、“危ない人生会議”が多く行われているという。それは何なのか。在宅緩和ケア医として、神戸で訪問診療に従事する新城拓也氏に話を聞いた。 負のイメージを明るい言葉に置き換えているだけ 「当事者が自発的に、自分の生き方、死に方を考えて希望を伝えられるのならいいと思います。しかし、現在行われている多くの『ACP』も『人生会議』も、死が持つ負のイメージや家族の喪失といったネガティブな要素
※「自業自得」と思える人工透析患者が身内にできてしまったが、社会正義とどのように折り合いをつけるべきか、という話です。前半はなぜ自分が「自業自得」かという家族史とその一例の具体的なエピソードが延々と続くので、興味なければ飛ばしてください。あと、当然のことながらおれの視点による解釈であり、また、意図した上での、あるいは無意識での脚色が含まれています。 父のいた我が家 まだおれも弟も子供だったころ、まだ実家があったころのことだ。父が出張などで家にいないと、空気が軽くなるのを感じた。実に不思議なものだと、当時から思っていた。 べつに父は常に暴力を振るったり、過度に厳格な人間だったりはしなかった。それはなかった。 手を挙げることはなかったし、厳格な躾、教育方針とはかけ離れた人間でもあった。 どちらかというと放任、教育についても自分の思想を披瀝して対話をしたがるタイプだった。子供相手でも。 ただ、満
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