といえば、だれ?
知識がないゆえに誤ったことを主張する人たちに、そのことを説明することはおトクなのかどうかという問題です。 説明することのメリット誤っている、ということを認識させることができる(SNSなどの開かれた場での説明ならばより多くの人にリーチしやすい)正しい知識が浸透し、今後同様の主張をする人が減る可能性がある誤った情報が誤ったままで多くの人(傍観者)に認識されることを防ぐことができる説明することのデメリット説明されたことで逆上する可能性がある(論点を変えて激昂する)うざがられる(「結論を出すのではなく同意を求めているコミュニケーション」を欲している)多大な労力・時間がかかる(絶対数が多い場合には現実的でない)相手の自尊心を考えると、正論で畳み込むのは必ずしも良い方法とは言えない(譲歩の余地は残しておくべき)誤りが複数の要素から成り立っている場合、部分的に誤りをただしても焼け石に水になることがある説
一般的に他人への中傷はどこのネットコミュニティでも利用規約上は禁じられている 実際利用規約なんて有名無実であり露骨な殺人予告など以外で行政が動くケースもほぼ無い 「これは酷い中傷・名誉毀損だから削除してくれ」なんて訴えに管理する側が対応した例がどれ程あったろうか 自分の知っているコミュニティも利用規約上は他人への誹謗中傷を禁じては居るものの管理人がそれに対応した所は見た事が無い 悪い事をしても何のしっぺ返しも無ければ幾らでも悪い事を出来るのが人間という生物なので、そこではどんどん他者への中傷がエスカレートした 申し訳程度に自分が見たくない単語をNG登録出来る機能もあったものの、それは簡単にすり抜けられる物であったし、言葉を見えなくしても利用者が変わらないのでは意味が無かった だからと言って愚痴なども含めて自由に意思を発表出来る場所を封鎖してしまえ等とは言わないけれど、年々そこの利用者が爆発
「今日はブラウスなんですね」 「白色の服着るんですか?」 「髪伸びました?」 こういうのいちいち言ってくる人が嫌い。 言わないと気が済まないのかわからないけど鬱陶しいわ。 あと割と言われるのが、 「スマホケース変えました?」って。 変えてないんだよな。 というか全部同じ人から質問されるんだけど なんなんだろう。私は監視でもされてるの?
久々に増田に来てみたら、前回の投稿は4年前だった。 4年前のことを考えてみると、今とは違う場所にいて、今よりも考えなしに過ごしていたと思う。でも今読み返しても「そうだそうだ」と思えることが書いてあって、同じ人間ではあるんだな、と妙に安心した。 なぜ久々に投稿しようと思っているかというと、忙しすぎるのと、そこまでして生きる意味が分からなくなったからだ。 4年前は結婚していなかったが、今も結婚していない。4年前の時点で「自分のために生きるのに飽きた」と言っていたのに、今でもまだ自分のために生きている。昔よりは考えて生きるようになったが、そのぶん面倒くさい人間になった。 一応、世間一般で多くが良い印象を持ってくれる職場に務めていて、自分のやりたいことがそれなりに出来ていて、人間関係も過ごしやすい。自分自身、他人にあまり興味がなくて、できれば全てを機械のようにシステマチックに意思決定していきたいと
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