2016年11月7日のブックマーク (6件)

  • 藤沢文翁『ナチの衣装を着てはいけない本当の理由』

    先日のハロウィンで、ナチスの軍服を連想させるとされる衣装を着たアイドルグループがイスラエルから抗議を受けるというニュースがありました。 決して今に始まったことではないのに、驚かれた方もおられるのでは? プロレスラーが入場の時に、ナチスの軍服っぽい格好で入場するのを見たことがあります アイドルのダンスに、ナチスの敬礼っぽい振り付けを見たことがあります アニメのキャラクターで、あきらかにドイツの軍服を着ているのもあります。 ネットがないころは、日で何をやっても、誰の目に止まらなかった。 しかし現地は多少雰囲気が違って 僕がパリに住んでいる時に、エフェル塔の前でナチスの敬礼で写真をとった日人が逮捕されたという事件もありました。 今回、突然の騒動は ネットを通じて、日の出来事が世界中で閲覧されるようになったことも一因ですね。 さて ナチスが第二次世界大戦でユダヤ人を殺戮した その軍服や敬礼や

    藤沢文翁『ナチの衣装を着てはいけない本当の理由』
  • トランプのゴーストライター、良心の告白

    srjspirits
    srjspirits 2016/11/07
    ゴーストライター…。
  • パタリロ舞台化、漫画が復刊 魔夜峰央、どん底のち絶頂:朝日新聞デジタル

    「パタリロ!」で知られるギャグ漫画家の魔夜峰央さん(63)が今年、絶好調だ。きっかけは30年以上前に描いた「翔(と)んで埼玉」の復刊。初の自叙伝も刊行し、12月にはパタリロのミュージカルも上演される。かつて一世を風靡(ふうび)しながら、ここ数年は苦境が続いたという魔夜さんが、どん底からの復活を語った。 「パタリロ!」は10歳の天才少年国王パタリロがハチャメチャな騒動を巻き起こすギャグ漫画。1978年に少女漫画誌「花とゆめ」で連載が始まると人気が沸騰し、82年にアニメ化された。その後も「パタリロ西遊記!」など派生作品も生まれ、編は96巻まで発売され、少女ギャグ漫画では異例の長編となっている。 だが90年に「花とゆめ」での掲載が終わり、その後掲載誌を移るうち人気も下火に。パタリロ以外の仕事も減り、2010年ごろからは生活費にも困るようになった。宝石収集が趣味だったが、に贈った宝石類もいつ

    パタリロ舞台化、漫画が復刊 魔夜峰央、どん底のち絶頂:朝日新聞デジタル
  • 労働組合のアニメをつくれ

    ホッテントリで話題になったが、日経済が低迷しているのは、企業が内部留保を増やしているからだ。つまり、金を貯め込んでいるばかりで、ちっとも使わないからだ。 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161106-00000017-mai-bus_all どうして内部留保が増えるかというと、労働者に渡す賃金を削っているからだ。つまり、人件費をどんどん削っている。(下記に統計データ) http://www.mof.go.jp/pri/reference/ssc/keyword/keyword_05.gif 出典: http://www.mof.go.jp/pri/reference/ssc/keyword/keyword_05.htm ※ 労働分配率の低下は下記。 New! http://www.rieti.go.jp/users/nakajima-atsushi

    労働組合のアニメをつくれ
    srjspirits
    srjspirits 2016/11/07
    面白そう。
  • 手塚治虫「秘蔵」のエロス 仕事場に眠る遺稿を初公開:朝日新聞デジタル

    1989年に60歳で亡くなったマンガ家・手塚治虫が仕事場に「秘蔵」していたイラスト29点が、7日発売の「新潮」(新潮社)12月号で「手塚治虫のエロティカ」と題して初公開される。2年前、長女るみ子さんが「開かず」状態の机の引き出しとロッカーから約25年ぶりに見つけた遺稿約200点のうち、手塚作品の重要な要素の一つ「エロス」をテーマに選んだ。 初公開されるのは、グラマラスなネズミが体をくねらす絵や、裸の女性がコイや白馬に変身する絵など。「動物や昆虫までが色っぽく、命の変容する様がエロスを放つのが父の作品の特徴。それを描くのを楽しんでいたことが伝わる。エロスは手塚マンガの“毒”でもあり魅力でもある」とるみ子さんは話す。 絵柄から60~70年代のものと推定され、淡く彩色までされているが、何のために描いたかは不明。「新潮」では、巻頭カラーグラビアで25点、特集記事の中にモノクロで4点を載せる。手塚プ

    手塚治虫「秘蔵」のエロス 仕事場に眠る遺稿を初公開:朝日新聞デジタル
    srjspirits
    srjspirits 2016/11/07
  • ペリーの黒船、実は1年前に予告 幕府は対策取らず:朝日新聞デジタル

    「黒船」という言葉には、日人が初めて見た蒸気軍艦への恐れと強い関心が伝わってくる。日を開国させた歴史事件として語られる米国ペリー艦隊の来航。だが、知られていない事実も数ある。 1853年7月、ペリー艦隊が姿を現した江戸湾では、黒煙を吐いて走る異国船をひと目みようと、「黒船」見物ブームが起きたという。艦隊は突然やってきたと多くの人が受け取ったが、実は幕府は1年前に来航を予告されていた。 52年7月、長崎・出島のオランダ商館長が「別段風説書」と呼ばれる文書を長崎奉行に提出した。毎年、オランダ領東インド政庁が海外情報を記した書面を作成し、商館長を通して幕府に渡していたもので、そこに米国政府が日に使節を送る計画が示されていた。 東京大学史料編纂(へんさん)所の松方冬子准教授によると、予告文には、その重要性を強調すべく丸印がつけてあったという。風説書に添えて、オランダ東インド総督の書簡と日蘭

    ペリーの黒船、実は1年前に予告 幕府は対策取らず:朝日新聞デジタル
    srjspirits
    srjspirits 2016/11/07
    オランダ通じてかなり海外情勢に詳しかった幕府だから、蝦夷地直轄にしたり海防についていろいろ試行錯誤してたし、実際の交渉では理路整然と応対してるんだけど、単なる無策無能扱いすんのはだめだろ