日常的に家族の介護や看護などの世話をする「ヤングケアラー」が注目されるようになったのは、ここ数年のことだ。言葉が知られるようになるにつれ支援策も拡充。手が差し伸べられる場面も増えた。一方「子供たちをヤングケアラーにしてしまった」と、家族が過剰に責められることもある。だが、家族もケアを必要とする状況だったからこそ、彼らの境遇につながったともいえる。長年にわたり「ケア」について研究する大阪大学の村上靖彦教授(52)は、ヤングケアラーという言葉を「誰かを責め立てるラベリングにしてはいけない」と説く。 大阪大学の村上靖彦教授孤独深め命絶った教え子英語のケアという単語には「世話をする」のほか「心配する」「気づかう」といった意味も含む。ヤングケアラーという言葉に、病気の両親の世話や高齢者の介護など、本来社会が担う苦役を引き受ける子供の姿というイメージを持つ人もいるが、村上さんは「必ずしもそうではない」
何をするにも合理性や客観性が求められ、数値的なエビデンス(根拠)を示せと言われる時代。そのうち、仕事でもAI(人工知能)が導く最適解に従うことになるのかもしれない。なんだか自分の感覚や経験則には、なんの価値も無いような気がしてしまう。「客観性の落とし穴」(ちくまプリマー新書)の著者で、大阪大学教授の村上靖彦さん(53)に、エビデンス重視の世の中にどう向きあえばいいか聞いた。 数値データがないと耐えられない ――著書が売れています。社会の動きだけでなく、人の気持ちも数値化していった結果、失われたものがあるのではないかというテーマの本です。 会社員の方からの反響が大きかったです。みんな数字に追われてつらいのでしょう。SNSでも、データを持ち出してきて、自分の気に入らない投稿を批判するような書き込みが目につきます。エビデンスという道具を使って、他者をたたきたいという暗い欲望が蔓延(まんえん)して
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く