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ブックマーク / kasasora.hatenablog.com (15)

  • わたしの弟はワクチンを打たない - 傘をひらいて、空を

    疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。最初の通達から一年あまり、何度目かの通達のさなか、疫病のワクチンが提供されはじめた。それで全員が打つかといえば、そうではない。わたしの弟は打たないという。そして、わたしはそれを責めることができない。 弟は東京で一人暮らしをして、アルバイトで生計を立てている。今日働かなければ来月の家賃があやうい。運も悪かったし、弟の思慮が足りないところもあったと思うのだけれど、とりあえず自分で生活はできているのだし、人に大きな迷惑をかけているわけでもなし、責められるようなことではない。 わたしはそう思っているのだが、両親は「恥だ」と思っている。自分たちの助言をふいにして大学進学をせず、夢みたいなことを言っておかしな企業に就職してすぐに辞めてその日暮らしをしている、そんな浅はかな息子は心配するのも癪だと、そういうふうに思っている。 そうはい

    わたしの弟はワクチンを打たない - 傘をひらいて、空を
    sso775
    sso775 2021/08/25
  • あなたはこれを好きだった - 傘をひらいて、空を

    はい、これ、いっぱいもらったから、お裾分け。私がそう言うと彼女は小首をかしげ、それから、笑った。声を出して笑う彼女を久しぶりに見て私はうれしかったけれども、その笑いにはもちろん屈折が感じられた。 ハンドクリームは二目、と彼女は言う。ボディクリーム、フェイスソープ、リップバーム、バスオイル。たったの二ヶ月かそこらのあいだに、会社の人も親戚も友だちも、やたらとスキンケア用品をくれる。忘年会のゲームの景品であたったとか、夫の仕事の関係で、とか、年末年始にパリに行ったから、とか。ここのは肌に合うって言ってたからっていう人までいた。他人によくそこまで関心持てるなあって思う。私の肌ってそんなに荒れちゃってるのかしら。 彼女はそう言って両のてのひらを頬のやや下でひらひらと振る。結婚指輪はもともとつけないタイプだ。そのことにすこしほっとして、それから、荒れてはいない、と私はこたえる。お肌に問題はないよ。

    あなたはこれを好きだった - 傘をひらいて、空を
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    sso775 2016/01/06
  • さよなら幻の不惑 - 傘をひらいて、空を

    今年はおたがいいろいろあったねえと藤井が言う。いろいろあったと私も言う。「いろいろ」の内容をおおむね話しおえるとデザートにたどりついている。いつのころからか年末にふだんより張り込んで祝祭的な事をとることが、私と私のいちばん古い友人の年末恒例の行事になっている。人間が複数いて長いこと関係性を持っていると、なにも親族や家族でなくても、その関係性に応じた文化が生成されるものだ。「○○家の伝統」みたいなものに縁のない私は、若いころ、完全に自由で孤独な個人のつもりでいた。けれども友人たちや仲間たちのあいだにも、ある種の習慣が文化としてできあがる。継続的かつ変化する関係性を、結局のところ私は欲した。自分ひとりで生きていけると思っていた若いころの自分を、もちろん愚かだと思う。可愛いとも思う。 再来年になると四十だと藤井が言う。そうだねと私は言う。おかしい、と彼女はつぶやく。小菓子をとる。フランス菓子は

    さよなら幻の不惑 - 傘をひらいて、空を
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    sso775 2015/12/31
  • やまとなでしこの声 - 傘をひらいて、空を

    お高く止まって相手を品定めしな、と私は言った。そして粗雑に、凶暴になる。あなたと同じくらい美しいけれど凶暴な友だちがいてね、ふたりで話してて知らない男から「お綺麗ですね」って言われたときなんか、一瞥だけくれて、「存じております」って返してたよ。「存じております。以上」ってかんじ。その男、すごすご帰っていった。 そうすればいいと私は言う。できないとわかっていて言う。案の定、彼女は眉をわずかに寄せ、それからあいまいにほほえむ。可愛い、と私は思う。満面の笑みより目を伏せたほほえみが似合う。でも、と彼女は言う。似合う、と私はまた、思う。「でも」とか「だって」とか、そういうせりふがこの人には、とてもよく似合う。いちばん似合うのは「はい」だ。女の私が聞いてもちょっとぼうっとしてしまう。 彼女は学生時代からたいそう頻繁に男たちに口説かれていた。それは容姿のせいだけではなかった。なぜ言い寄られるのか、私に

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    sso775 2015/12/28
  • 平安時代のようなかなしみ - 傘をひらいて、空を

    最近彼女と別れまして、と彼は言った。私は、まあまあ、飲みますか、とワインのボトルを差しだし、このせりふはちょっとおじさんっぽいな、と思った。それから彼の話を聞き、さらにおじさん的に、それも人生だよ、などと言った。 私の考えるおじさん的な反応のひとつは、あんまり意味のない相槌を、なんだか深い意味があるかのように打つことだ。人生仕事、幸福、などの大振りなことばを、「○○とはそういうものだ」「それも○○さ」「○○ってものをわかっていないな」などの定型に代入するとうまくいく。 彼はすごくいやそうな顔になり、人生の一部以外のことが俺の身に起きるわけないでしょう、人生に含まれないことは経験できないんだから、と言った。いい切りかえしだ、と私は思った。身も蓋もないところがいい。 がんばって立ちなおりますよと彼が言うので、せっかくだからしばらく今の感情を味わってたら、と私は提案した。だって、長いことつきあ

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    sso775
    sso775 2015/12/08
    "対象と濃密なやりとりをしないで感情だけを味わうのは安全かつ甘美な経験でもあって"
  • 感情の解像度 - 傘をひらいて、空を

    一昨年の四月、私のチームに新人が入った。まっさらな新卒だ。経験はもちろんなかった。しかし、驚くほどよく勉強する。ひとつ知らないことが出てくれば十は調べてくる。作業スピードが異常なまでに速い。しかも長持ちする。長時間の残業や休日出勤のあともけろりとしていて、代休や有給を取るようにと促さなければならない。 なにか彼女にとって正しくないと思われることがあれば、相手が直属の上司である私でも、さらに上の管理職でも、平気でものを言う。恨みがましさがまったくなく、言葉遣いがぱりっとしているので、文句を言われても(そしてそれが多少の見当違いを含んでいても)、ほとんど気持ちがいいくらいだ。 そういうわけで私は彼女をおおいに評価している。けれども彼女にももちろん欠点がある。彼女はとんでもない見落としやミスをすることがある。感情的には繊細だと私は推測しているのだけれど、仕事ぶりはとにかく力まかせだ。スピードはす

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    sso775 2015/10/25
  • 友だちの焼豚の話 - 傘をひらいて、空を

    私たちは焼豚の披露宴のはじまりを待っていた。焼豚はやきぶたともチャーシューとも読む。中学校時代の友人のあだ名で、小学生の時分からついていたという。色彩と形状で呼び名が決まるのがいかにも子どもらしく、けれども大人になっても彼は豚と呼ばれていることを、何年かに一度会う私たちは知っていた。特定の相手にそのように呼ばれるのが好きなのだそうだ。私たちはなんだか納得した。 披露宴のテーブルには当時の賭けごとの仲間が集められていた。中学生の賭けだから行き交う物品はたいしたものではなかったけれども、今にして思えば期末試験の点数を返却順に足し、一定のラインを超えた者を「ゴール」とする賭けはそれなりに気が利いていた。私たちはそれをダービーと呼んでいた。焼豚は動作と口調が軽快な肥満児で、英語の答案が先に返ってくるとまずまちがいなく負け馬と決まっていて、そうでなければ上位三位には必ず入る手堅い「馬」だった。 「馬

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    sso775 2014/08/20
  • 分母を大きくする - 傘をひらいて、空を

    すこし足を伸ばして深夜営業のスーパーマーケットに寄るのが面倒だった。頭のなかにアスパラガスとトマトとバターと白身魚の姿がよぎる。面倒だったから無視して買い置きのレトルトカレーで済ませる。シャワーを浴びていてシャンプーとコンディショナー、石鹸が二種類、シャワージェルが二種類、アロマオイルの小瓶が四つ、ちまちま並んだ籠に足を引っかける。舌打ちをする。バスタオルを洗うのが面倒でハンドタオルを適当に使う。髪をがしゃがしゃかきまわす。布団にもぐりこむ。クーラーの温度を適切に設定していないことに気づくけれども腕を動かすのがいやだ。暑いとか寒いとかいちいちモニタリングして調整してやるなんて、そんな面倒なことはしたくなかった。 彼女はそのように話す。私はそれを聞く。そういうことは私にもあるよと言う。それから付けくわえる。クーラーをがんがんにつけたまま寝たら風邪をひく、風邪をひいたらとっても不便だ、温度だけ

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    sso775 2014/08/06
  • 私たちはいけすかない - 傘をひらいて、空を

    マキノさん今日誕生日なんだよねと上長が言い、はい三十四になりましたと私はこたえた。おめでたいのでビールを飲むと良いというせりふとともにグラスが手渡される。残業していたら上長がああやめ、もうやめ、仕事はやめだ、と宣言し、ふだん話す機会の少ない同僚たちが来ている飲み会に連行されて、それで私はこの場にいるのだった。反対側に座っていた顔見知りの別の部署の社員が大きい声をそこにかぶせる。マキノさんそんな三十四歳とか、言わなきゃわかんないんだから、大丈夫、黙ってりゃ大丈夫ですよ。私は彼のことばをうまく理解できなかった。大丈夫ってなんだろう。 お誕生日おめでとうと言われたら、ありがとう、何歳になりましたとこたえる。それについて深く考えたことがなかった。でもそれを止める人がいる。きっと私の年齢が好きじゃないんだと私は思った。だから黙っていろと言うんだ。中年であって、女であって、家庭を持っていないことに、な

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    sso775 2012/10/03
  • 彼女のかわいい女の子 - 傘をひらいて、空を

    この子こんな顔して仕事はえぐいんですよ。上司が言い上司上司が笑い彼女もにっこりと笑う。どいつもこいつも顔に言及しないと私の仕事の話ができないみたいだと彼女は思う。顔で仕事をしているとでもいうみたいに。私の顔、眉の薄い目の丸い栗鼠めいた顔、剥がして家に置いて出ることができない、早く老けたらいいのに、でも女の顔だからきっとそれでは、充分ではない、上司やいっそ上司上司みたいな、年とった男の顔につけ替えたい、そしたら私の仕事はきっとずっとうまくいく。でもそれはできない。だから彼女はかわいい女の子の顔を保持する。 もう頑固でねえ、言うこと聞きやしない。お父さん苦労するねと上司上司がこたえ彼らはほがらかに笑う。彼女も笑う。社交。上司は親なんかじゃない。上司上司でしかない。私は私の働きに応じて報酬をもらっていて私はちゃんとしたプロだ。それなのに彼らは私の性別と容姿と年齢という付属物だけを根拠に保

    彼女のかわいい女の子 - 傘をひらいて、空を
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    sso775 2012/08/21
  • もう手放しで憎めない - 傘をひらいて、空を

    育児休暇中の里佳子さんが赤ちゃんを連れてあいさつに来た。赤ちゃんはなにしろ小さかった。小さいねえ小さいねえと言うと里佳子さんは可笑しそうにだって赤ちゃんだものとこたえた。母子の通された空き会議室には入れ替わりいろんな社員が訪れていた。里佳子さんはにこにこ笑って、変わっていないように見えた。 私がデスクに戻ろうとしたとき先輩が里佳子さんに尋ねた。その声はさりげなさを装うことにあきらかに失敗していた。この先輩はお芝居というものが一切できないのだ。旦那さまはお元気。彼女の発言とともに空気の色がわずかに変わり、ええとっても、と里佳子さんはこたえる。家事が行き届かなくなって機嫌悪くなるかと思ったらそうでもないのね、子どもがいるといいわね、ちょっと散らかっててもそんなに怒られないの。私たちはそっと目を合わせ、早すぎも遅すぎもしない完璧なタイミングで辞した里佳子さんを見送り、女ばかり三人で昼に流れた。

    もう手放しで憎めない - 傘をひらいて、空を
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    sso775 2012/08/01
  • 感情を外注する - 傘をひらいて、空を

    うれしかったのねと彼女は言う。そうだねと彼はこたえる。それからほほえむ。彼女もほほえむ。いやだったのねと彼女は言う。そうだねと彼はこたえる。それから彼らは眉間に皺を立てる。まったく同じ深さで。それが同じ深さになるまで三年と八ヶ月を彼らは要した。彼女がまずやってみせて、彼がそれにしたがう。それを繰りかえしたから、彼は今ではとても上手にそれができる。彼女さえいれば。 彼らはなるべく一緒にいる。できるだけ長いあいだ手をつないでいる。彼らはすでに睡眠をともにする権利を相互に付与しているので、一日に平均六時間はそれだけで確保される。そのほかに彼らは週末の平均一日半を確保している。残りの半日を彼らはどうしても調整できない。彼らには社会生活というものがあるからだ。出張、休日出勤、結婚式に葬式、病人の見舞い、避けられない親戚の集まり。 そんなものがあると彼らはひどく苛立つ。彼女が苛立ち、それから、彼が苛立

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    sso775 2012/07/10
  • 彼女の悪い趣味 - 傘をひらいて、空を

    彼女は彼を甘やかすのがとてもうまい。彼女は彼の安い欲望の諸相を熟知している。持ち上げて。連絡して。連絡しすぎないで。呼んだら来て。顔色を読んで。きれいにして。安心させて。優越させて。頼るそぶりをして。好ましい内容で。 彼女はそれを軽々とクリアする。彼女の能力は高い。その程度のことは彼女の娯楽の範疇だ。甘い真綿を敷くように彼女は彼をいい気持ちにする。彼女の有毒であることは私の目にはあきらかだけれど、彼女はもちろんそれを彼に見せない。キャンディみたいなパッケージ、両端を引けばころりと落ちる。そんななりをしている。 彼が彼女を愛玩しはじめて、そう見えて実のところ彼女が彼を愛玩しはじめて、もうすぐ一年になる。夏になると彼女は、ねえ悪巧みがしたいなと言う。彼女は悪い企みごとがとても巧い。夏が来たからねと私はこたえる。彼女のそれは季節性の病だ。悪巧みのために彼女が彼を引っかけたのが去年の夏で、それはす

    彼女の悪い趣味 - 傘をひらいて、空を
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    sso775 2012/07/05
  • 傘をひらいて、空を

    ちょっと自慢話を聞いてもらえませんか。 このあいだ、○○さんと仕事したんです。ええそうです、よくご存知ですね、そんなに知名度はないんだけど、僕は昔からとても好きで、彼の書いたものはすべて読んでいます。雑誌に少し書いただけのものも追っている。若いころには「こういうのって恋愛みたいなもので、そのうち醒めるんだろうな」と思ってたんですけど、いまだに好きです。 他にも好きな作家はいるけれど、そういう感情がずっと続いたことはないな。○○さんが特別なんだ。 そうですか、あなたも○○さんの著作を読んでいらっしゃいますか、嬉しいなあ。 いや、業で○○さんのを担当したのではないんです。僕は編集者ではありますが、会社では違う分野のを作っていて、○○さんは、うちの会社で書かれている方ではないですし、接点はないんです。○○さんとした仕事は、いわば課外活動です。うちの会社は副業OKでして、外でを作ってもかま

    傘をひらいて、空を
    sso775
    sso775 2012/07/04
  • talk to me, - 傘をひらいて、空を

    たのしそうに聞くねえと半ば呆れた声で彼女は言う。半ばでなくて完全にあきれた彼女の声が私は好きだから細心の注意をこめてばかの顔をつくる。それから、だってあなたの話はたのしい、と言う。完全なばかの声で。 彼女はくいと首を反らして私の好きな顔をする。私はひとまず満足する。そうしてそこいらで摘んだみたいなミントの葉を山ほどつっこんでグラニュー糖の粒でもって乱雑にすりつぶしたほとんど下品なモヒートをのむ。彼女はこんな落ちのない話が好きだなんてあなたばかでしょうと言い、そうですと私は誇らしくこたえる。 私は落ちとやらのない話が好きだ。遠くの箱からこぼれ落ちたように文脈に回収されない話、焦点や筋道や感情がうっすらと見えるような見えないような話、大切なのに不意に大切でない相手(私だ)の前でしっぽを出してしまった話、あるいは今日のお昼はカレーべましたみたいな話が好きだ。リハーサルされた話は好きじゃない。

    talk to me, - 傘をひらいて、空を
    sso775
    sso775 2012/07/04
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