モスクワから300キロ離れると、そこはもうロシアの古い商業都市である。ここには風光明媚な景色が広がり、かわいい古い教会が立ち並び、また人々の想像を超えた地元の伝統工芸がある。
10歳だった。 その時ぼくは、まだ「ソビエト連邦」だったモスクワにいた。 そこで見たのは、「国」というものが劇的に変化する瞬間だった―― 外務省が公開した6000ページにのぼる外交文書。外交官たちの生々しい報告が、私をあの時代に連れ戻した。そして私は、何が起きていたのかを初めて実感した。 (渡辺信) 「空回り」 その書き出しは、文学的だった。 『BUKSOVAT(空転する)。2年1か月のモスクワ在勤を終え帰国する日、空港の暗い待合室で搭乗を待ちながら、ふと、この単語が頭に浮かんだ。ゴルバチョフの始めたペレストロイカを、ひと言で総括するとすれば、まさに「空回りしている」というのが適当ではなかろうか』 1987年11月の「ソ連在勤を終えて」という報告書の冒頭だ。書いたのは、モスクワの日本大使館の政務班長だった角崎利夫氏。これまで私が読んできた硬い外交文書とは異なる表現で、1985年に書記長に就
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