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2020年8月12日のブックマーク (3件)

  • 大阪の音楽シーンが気づかせてくれた、音楽を作る一番の理由(tofubeats) - QJWeb クイック・ジャパン ウェブ

    中学生のころから音楽制作をスタートさせ、29歳にして10年以上のキャリアを誇り、8月19日に『TBEP』と『I Can’t Do It Alone』の12インチアナログ盤の発売を控えている音楽プロデューサー・DJのtofubeats。 この記事では、関西のオルタナティブな音楽シーンの重要人物・山精一氏が『日経済新聞』で受けたインタビュー記事( 「『あほな音楽大阪に土壌 山精一さん」2020年7月1日)を引きつつ、tofubeatsが関西の音楽家やそのシーンから受け取ったものを明かします。 謎のイベントが行われていた大阪の箱「SAOMAI」&「Nuooh」 『山精一 絶叫無観客ライブ』のチケットを少し前に買った。自分がこのコロナ禍の中で唯一課金した(無)配信ライブである。そんなわけで今回は大阪の話です。BGMには山氏の新作『CAFÉ BRAIN』を。 【CAFÉ BRAIN】Se

    大阪の音楽シーンが気づかせてくれた、音楽を作る一番の理由(tofubeats) - QJWeb クイック・ジャパン ウェブ
    steam-punk
    steam-punk 2020/08/12
    [[tofubeats][大阪][兵庫][神戸]Tofubeats
  • 死者の声を運ぶ小舟 (Published 2020)

    広島の原爆の日は8月6日。長崎は8月9日。そして終戦の日が8月15日。日にとって8月は、死者を思う季節である。 当なら今年、75年めの原爆の日を、私たちは東京オリンピックの期間中に迎えるはずだった。しかし、新型コロナウイルスの蔓延によりオリンピックは延期され、思いがけない静けさの中で人々は、死者のために黙祷を捧げることになった。 1964年の東京オリンピック大会で聖火の最終ランナーを務めたのは、19歳の、無名の陸上選手だった。その青年は、原爆投下の当日、広島で生を受けていた。真っ白いランニングシャツと短パンを身に着け、聖火台に続く長い階段を駆け上がる彼の姿は、実に清潔で、均整がとれ、全身に若々しさが満ちあふれていた。この映像を目にするたび、敗戦からわずか19年で、世界中の人々が集まるスポーツの祭典が日で催された、という現実に驚かされる。人類が経験したことのない徹底的な破壊の中から誕生

    死者の声を運ぶ小舟 (Published 2020)
    steam-punk
    steam-punk 2020/08/12
    NYタイムズで以って、どれほどのアメリカ市民がこの記事を読んでくれるだろうか。
  • 「死んだ真似で生き残った」――沖縄の集団自決、生存者が語る75年前の悲劇 - Yahoo!ニュース

    太平洋戦争では、日で唯一の地上戦が沖縄で繰り広げられた。米軍が上陸した際、沖縄島や慶良間諸島では集団自決が行われた。最も自決した人が多かった渡嘉敷島では、村長の号令のもと329人が命を落とした。ただし、手榴弾の不発などによって一命を取り留めた人もいる。あの集団自決の現場では何が起き、どのように生き抜いたのか。75年前を振り返ってもらった。(文・写真:写真家・亀山亮/Yahoo!ニュース 特集編集部) 5月1日から68日間、新型コロナウイルスの新規感染者数ゼロが続いた沖縄。だが、7月に入ると、在日米軍基地を含む県内で感染者が急激に増加。さらなる感染拡大への恐れと自粛の空気が強まりつつある。例年であれば夏休みの観光客で賑わう那覇市内の国際通りも、人通りが減っている。 今年はそんなコロナ禍の影響で、生まれ故郷の島へ帰れなかった人がいた。 「(3月28日の渡嘉敷島の)慰霊祭、毎年行ってたけど、

    「死んだ真似で生き残った」――沖縄の集団自決、生存者が語る75年前の悲劇 - Yahoo!ニュース
    steam-punk
    steam-punk 2020/08/12
    その時とっさの判断で生き残ってくれて本当に良かった。こうして後世の私らに話をしてくれて。もし自分がその場面を経験して、勇気を出せるか?自決を捨てて、米兵が差し伸べた手をつかめるだろうか?果たして?