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ブックマーク / suumo.jp (12)

  • 住んだ時間、年月にかかわらず「帰りたい」と思える場所が「地元」なのではないか【東京都中央区日本橋小伝馬町】 - SUUMOタウン

    著: 池田礼 小伝馬町駅そばにある十思公園。江戸時代に伝馬町牢屋敷であった歴史から、公園内には処刑の合図となった「石町時の鐘」が残っている 「あなたたちは皆生まれた場所が違うの。あなたは北海道、お兄ちゃんは京都、1番上のお姉ちゃんは東京で」。小さいころに聞いた、年子の3人兄弟全員の出生地が違うという母の説明に、幼心に「へえ、私は京都がよかった」とかなんとか、適当なことを言ったのを覚えている。 幼いころはそれが普通だと思っていたけれど、歳を重ね人と会う機会が増えると、初対面で聞かれるようになった「地元はどこですか」の質問に口籠ってしまい、うまく答えられないことに気がついた。生まれたのは北海道だけど、すぐに父の実家がある香川に移ったし、小学校3年生の後半には神奈川県の新百合ヶ丘、中学に上がるころには東京に引越した。だから当時、この質問に慣れていなかったころは、兄弟間でよく「私たちの地元ってどこ

    住んだ時間、年月にかかわらず「帰りたい」と思える場所が「地元」なのではないか【東京都中央区日本橋小伝馬町】 - SUUMOタウン
    steam-punk
    steam-punk 2022/07/14
    世田谷や港区ではなく、東東京の千代田区や台東区にめちゃめちゃ憧れる。
  • 「これ以上、町田に何が必要か分からない」フリーアナウンサー堀井美香さんの町田愛 - SUUMOタウン

    取材・編集: 小沢あや(ピース株式会社) 構成: 吉野舞 写真:飯貴子 3月末で長年勤めたTBSを退社した、フリーアナウンサーの堀井美香さん。エッセイストのジェーン・スーさんと共にパーソナリティを務めるポッドキャスト番組『OVER THE SUN』は多くのリスナーを抱え、大人気番組に。現在は朗読会のプロデュースを担当するなど、ご活躍されています。 堀井さんが長年愛しているのは、もともと縁もゆかりもない東京都の多摩地域南部に位置する街「町田」。秋田出身の堀井さんがなぜそこまで町田に惹かれたのか? また、東京都心から少し離れた町田ならではのおすすめスポットや、子育て中のエピソードも伺いました。 馴染みがなくても子育てしやすい街「町田」 ―― 堀井さんは、新卒でTBSに就職後、すぐに結婚、出産を経験されましたね。テレビ業界の方は都心に住むイメージがあるのですが、そもそも、堀井さんはなぜ町田を選

    「これ以上、町田に何が必要か分からない」フリーアナウンサー堀井美香さんの町田愛 - SUUMOタウン
    steam-punk
    steam-punk 2022/06/16
    ブコメにも互助会員がいて光栄です。ご自愛ください~。
  • わたしが詩人になることを沼津だけが知っていた(文・水沢なお) - SUUMOタウン

    著: 水沢なお 沼津は、わたしがうまれてはじめて暮らした街であり、うまれてはじめて書いた詩の名前だ。 十五歳から十八歳までのほとんどの時間を沼津で過ごした。隣町に住んでいたわたしは、沼津市内の高校へ電車と自転車を乗り継ぎ通学していた。海沿いの、芸術科のある高校だった。わたしはそこで、三年間美術を学んでいた。 教室の窓からは松林が見えた。その奥では、空の色と溶け合いながら波が揺蕩っていた。朝、クラスメイトに挨拶をするときも、水晶体、とノートに書き写す生物の授業中も、窓の外に身体を乗り出しぽんぽんと黒板消しを叩いているときも、いつでも海が存在していることが不思議だった。 沼津駅南口 今年の一月、わたしは沼津駅に降り立った。駅のホームに踏み出した瞬間、あたたかい、と思った。その日はよく晴れていて、雲の少ない空からは絶えず透明な日差しが降り注いでいた。わたしは、静岡や沼津に降る雪をほとんど見たこと

    わたしが詩人になることを沼津だけが知っていた(文・水沢なお) - SUUMOタウン
  • 近鉄奈良駅と鹿とビブレと、バンギャルの私。(文・蟹めんま) - SUUMOタウン

    著: 蟹めんま 90年代、奈良盆地に住んでいた私のバンギャル活動 私はビジュアル系バンドが好きな「バンギャル」と呼ばれる部類の人間だ。バンギャルになったのは小学生のころで、全盛期は中高生時代。そのころ、私は奈良県奈良市に住んでいた。 「若いバンギャル」というと、全国のライブを飛び回っている姿を連想されることが多い。だが、私はV系アーティストをCDや映像、雑誌のみで嗜む、今で言う「在宅ファン」だった。当時の奈良にはライブやサイン会が来なかったからだ。 とはいえ奈良は大阪・京都に出やすいので、越県して現場に行く人は山ほどいた。だから「奈良だからしかたなく在宅だった」というのは言い訳かもしれないのだけど、中学生の私には往復1000円以上の交通費が重かったし、門限を破って親と衝突する度胸もなかった。都会への憧れを内に秘め、奈良盆地内での小規模なバンギャル活動にいそしんでいた。 近鉄奈良駅と鹿 当時

    近鉄奈良駅と鹿とビブレと、バンギャルの私。(文・蟹めんま) - SUUMOタウン
  • 愛しい地元は観光地「横浜」(文・前田紀至子) - SUUMOタウン

    著: 前田紀至子 不意に「横浜に“帰りたい”」と、口を衝いて出ることがある。 もっとも、私の生まれ故郷は和歌山だし、親戚がいるわけでもない。 横浜を居住地にしたのは大学に入学してから27歳までの10年弱。それでも私は横浜に並々ならぬ思い入れがあるし、今だって仕事や他諸々の都合がついてどこにでも好きなところに住めるとしたら、迷わず横浜を希望するだろう。 当時私が住んでいたのは横浜市中区。最寄駅で言えば馬車道駅。赤レンガ倉庫や横浜ワールドポーターズからも最寄りの駅だ。 そんな場所だけに、「馬車道に住んでいる」と言うたび、当たり前のように「住むところ、あるの?」と聞かれていた。 意外と住むところがある(後になって知るが、東京に出て来てから出会った気の合う上司もまた、同じ時期に目と鼻の先に住んでいたらしい)馬車道は、横浜の「横浜らしさ」を存分に体感しながら、自由気ままに暮らすには最高の場所だったよ

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  • 日本一有名なニートだったphaさんが、シェアハウスという青春から卒業して一人暮らしを選んだ理由(文・玉置標本) - SUUMOタウン

    著: 玉置 標 「日一有名なニート」という謎の肩書を過去に持ち、長年にわたってギークハウスというシェアハウスを運営していたphaさんが、2年前にとうとう一人暮らしを始めたそうだ。phaさんを知る人にとっては、ちょっとしたニュースである。 そもそもなぜシェアハウスを始めたのか、どうしてニートの道を歩み続けたのか、そして今はどんな暮らしをしているのか。学生時代から遡って、人からじっくりと話を伺った。 ちなみにphaさんと私の関係は、共通の友人に呼ばれて年に何度か顔を合わせるくらいの薄い関係で、二人きりで会うのは今回が初めてである。 家賃4100円の寮で過ごした京都大学時代phaさんは1978年生まれの42歳(2021年3月現在)。出身地は大阪で、大阪城の側にある高校を卒業後、現役で京都大学の総合人間学部に進学。 最初の一年間は実家のある大阪から京都まで通っていたが、二年目からは伝統的に寮

    日本一有名なニートだったphaさんが、シェアハウスという青春から卒業して一人暮らしを選んだ理由(文・玉置標本) - SUUMOタウン
    steam-punk
    steam-punk 2021/03/11
    会社という組織に無理に適応しようとはせずに、 インターネット上のSNSで出会う人との絶妙な距離感が人生をうまく活かしてるし生かしてる。「ニート」としての「仕事」が逆説的で好き。ギークからのギルドからのGSです
  • クセの強い街「大阪」に生まれて(寄稿・ヨッピーさん) - SUUMOタウン

    著: ヨッピー 僕がまだ大学生で、生まれ育った大阪に住んでいたころの話である。 インターネットで知り合った東京の友達が、大阪で開催されるオフ会に参加する、と言うので大阪駅まで迎えに行った。「初めて行くので大阪を案内してほしい」とのことで、オフ会の時間まで梅田や難波といった代表的な大阪の街を案内する事にしたのだ。 友達は夜行バスで東京から来たため、朝早い時間に合流した。疲れただろうし、と喫茶店に入って休憩しつつモーニングコーヒーなんかを飲んでいたのだけど、東京から来た友達はのっけからテンションが高かった。 「大阪の人って全員ボケとツッコミをやるんでしょ?」 「おばちゃんがアメちゃんくれるとか」 「知らない人ががんがん話しかけてくるって当?」 などなど。 「大阪人」という人種(?)は全国的にも独特のポジションというか、変なバイアスがかかって見られがちだというのはひとりの大阪人としてヒシヒシと

    クセの強い街「大阪」に生まれて(寄稿・ヨッピーさん) - SUUMOタウン
    steam-punk
    steam-punk 2021/02/25
    鳥飼茜「サターンリターン」の一場面で、大阪人の大阪っぽさハンパないですねっていうシーンがあってすごい好きです。
  • 大阪市阿倍野区で過ごした、もう戻れない愛しい記憶。 - SUUMOタウン

    著者: 劔樹人 大阪の曇天に差した「ハロプロ」という光 私は、18歳で大学に進学した1998年から、上京する2007年まで、およそ10年間の青年期を大阪で過ごした。 その中でも、大学を卒業してからの数年間、私の暮らしの中心は大阪の天王寺・阿倍野近辺だった。 当時大学院への進学に失敗し、バンドでの成功を目指しながらアルバイトをする生活を選んだ私は、常に金がなく彼女もいない日々に、将来への不安を募らせ続けていた。 そんな時期にのめり込んだのがモーニング娘。をはじめとするハロー!プロジェクトの応援である。 うまくいかない日々に塞ぎ込んでいた私の心の曇天に、まず松浦亜弥が、そしてモーニング娘。が明るい光を照らした。 私は駆け上がるように(転がり落ちるように)ハロプロのオタクになり、それだけで底辺だったはずの生活が生き生きと輝き出すのを感じた。 モーニング娘。のコンサート会場にて。ダフ屋にしか見えな

    大阪市阿倍野区で過ごした、もう戻れない愛しい記憶。 - SUUMOタウン
    steam-punk
    steam-punk 2021/02/19
    あの頃。映画、最高でした。
  • 金は言葉。ーー 平民金子 × 安田謙一 × tofubeats『ごろごろ、神戸。』出版記念トークイベント - SUUMOタウン

    執筆: 榎並紀行(やじろべえ) 2019年12月に出版された『ごろごろ、神戸。』(ぴあ)は、写真家・文筆家である平民金子さん初のエッセイ。2015年に東京から神戸に移住した平民さんが、子どもを乗せたベビーカーをごろごろと押しながら神戸の街を歩き、考えたことを綴っている。 その発端となったのは、2016年にSUUMOタウンに寄稿した「ごろごろ、神戸」。以後、神戸市広報課のウェブサイトに「ごろごろ、神戸 2」として引き継がれ、「ごろごろ、神戸 3」まで約3年にわたって連載された。 そこから大幅な加筆や、書き下ろしを加えたのが書籍『ごろごろ、神戸。』だ。今回は、その出版を記念し、昨年12月に行われたトークイベント(旧グッゲンハイム邸)から一部内容を抜粋してお届けする。 『ごろごろ、神戸。』(ぴあ) / 著:平民金子 / 1600円(税別) 登壇者は平民金子さんに加え、ロック漫筆家の安田謙一さん

    金は言葉。ーー 平民金子 × 安田謙一 × tofubeats『ごろごろ、神戸。』出版記念トークイベント - SUUMOタウン
  • 街路樹のまち「仙台」を自転車で駆け抜けた日々(寄稿:むらたえりか) - SUUMOタウン

    著: むらたえりか 行きたいときに行きたい場所に確実にたどり着ける。 そんな私にとっての「自由」を教えてくれたのは、大学入学から25歳で上京するまで住んでいた街・仙台だった。 自転車で駆け巡った仙台の「道」 仙台のことを考えるといつも並木道ばかりが思い出される。もともとは江戸時代に伊達政宗公の意向により街に緑が増え、明治時代には「森の都」と呼ばれたそうだ。その後一度は空襲で消失してしまうものの、復興などを経て現在は「杜(もり)の都・仙台」として親しまれている。そんな歴史から、繁華街・郊外問わず仙台には大きな街路樹が多い。 今年は少ないと聞いたが、秋になると銀杏並木の下には足の踏み場もないほどたくさんの銀杏の実が落ち、足の踏み場もないので踏んでしまう。学生のころには、友達とくさいくさいと大げさに騒ぎ笑いながら仙台駅までの道を急いだ。 仙台市の中でもいくつかの街に住んだが、大学時代の大半を過ご

    街路樹のまち「仙台」を自転車で駆け抜けた日々(寄稿:むらたえりか) - SUUMOタウン
  • 京都で学生生活を送り、東京で就職した人間の身に起こること - SUUMOタウン

    著者: 夜衰 私は大学の学部入学から大学院(修士課程)修了まで、京都で過ごした。年で言うと2004年から2010年初頭までの話だ。いまのところ、人生の中で、もっとも長い期間住んでいた場所になる。だから京都について紹介しようと思うのだが、ここSUUMOタウンでも、そうそうたる面々が京都について語っているから、まだ未読の人がいたら、まずはそちらを読んでもらうとよいのではと思う。 最近は“僕の京都”を壊しにかかっているんです――小説家・森見登美彦さん 京都には世界の全てがあった(著者:phaさん) 二条に住んで、今日もヨーロッパに思いを馳せる。(著者:上田誠さん) 特にphaさんの記事は素晴らしく、京都の魅力を私の少なくとも1000兆倍は上手に語っている。というか、ほぼ私の言うことがなくなってしまって途方に暮れているのだけど、とりあえず自分なりに体験したことを書きたいと思う。 私が京都で過ごした

    京都で学生生活を送り、東京で就職した人間の身に起こること - SUUMOタウン
  • ジブリの秘密は“4階”にあった――「時間と空間」をめぐる、鈴木敏夫プロデューサーの50年【上京物語】 - SUUMOタウン

    インタビューと文章: 佐藤 譲 写真:関口佳代 進学、就職、結婚、憧れ、変化の追求、夢の実現――。上京する理由は人それぞれで、きっとその一つ一つにドラマがあるはず。地方から東京に住まいを移した人たちにスポットライトを当てたインタビュー企画「上京物語」をお届けします。 ◆◆◆ 今回「上京物語」にご登場いただくのは、スタジオジブリ・プロデューサーの鈴木敏夫さんです。高畑勲監督・宮崎駿監督と数々の作品を手掛けてきた鈴木さんは、1948年に名古屋市で生まれ、1967年に慶應義塾大学入学とともに上京しました。東京で暮らし始めて、およそ50年。学生時代は5回以上引越した一方で、結婚後は恵比寿の同じ家に40年以上も住み続けています。 インタビュアーの佐藤譲さんは、鈴木さんのもとで働いていたスタジオジブリ出身の編集者・プロデューサー。鈴木家の別階に住んでいたこともある、鈴木さんを公私ともよく知る方です。

    ジブリの秘密は“4階”にあった――「時間と空間」をめぐる、鈴木敏夫プロデューサーの50年【上京物語】 - SUUMOタウン
    steam-punk
    steam-punk 2019/06/08
    私がDIYをしたかった動機はこういうことかもしれないと思った。そしてジブリの女性たちの働く姿も影響している。住まいの話でこのようなインタビューができるなんて、すごい。
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