自殺と倫理 人間が「死を選択しうる存在」であることは、善悪以前の事実です。したがって、「生きなければならない理由」も「死んではいけない理由」も、それが理屈である限りは、まったく反対の理屈が成り立ちうるわけで、それは「生死の選択」、すなわち自殺の是非を理屈で決着させることの無意味さを示しています。 このことは、同じ理屈で生死を否定も肯定もできることを考えれば、さらに明瞭になるでしょう。 たとえば、「生きてるって、それだけで素晴らしいことよ!」と言われても、生きている当人は「死を選択しうる存在」ですから、「死の選択」も「素晴らしい」ことの内でなくてはなりません(中学生のときに考えた理屈。テレビドラマの主人公が大声でこのセリフを叫んでいて、それがたまらなく嫌だった)。 逆に、「生きていることは無意味だ」というなら、同じ理屈で「死の選択も無意味」になりますから、いわゆる「存在論的」自殺は妄想にすぎ