──25周年という節目は、中川さん的にはどうですか? ソウル・フラワー・ユニオンの前身ニューエスト・モデルは今年で結成33年やし、その頃から奥野(真哉 / key)ともずっとやってるから、感覚的には「そういや25周年やな」ぐらいの感じやね。ローリング・ストーンズのまだ半分以下やん、とか(笑)。ソウル・フラワー・ユニオンのファースト・アルバム『カムイ・イピリマ』(1993)は、もともとあったメスカリン・ドライヴの曲を俺や奥野がサポートして作った作品やし、その次の『ワタツミ・ヤマツミ』(1994)は、ニューエスト・モデルの後期の頃にやってた曲が過半数を占めてて。そういう意味で、ソウル・フラワー・ユニオンっていうのは、それまで自分がやってたニューエスト・モデルとの境界が曖昧やね。だから、どうしてもニューエスト・モデルの始まりを起点に考える感じが常にあるな。 ──地続きって感じなんですね。今後30