「日本軍による真珠湾攻撃の際、敵艦にいち早く攻撃を仕掛けて戦端を開いたのは、魚雷2本を抱えて湾内に潜入した5隻の特殊潜航艇でした。計10名が搭乗していましたが、そのうちの1名が私の父、酒巻和男という名の海軍少尉でした。父は開戦早々に米軍に拘束されたため、 “日本人捕虜第一号” と呼ばれています」 【関連記事:山本五十六の長男が語る「真珠湾攻撃」暗号戦争の真実】 そう語るのは、酒巻少尉の長男・酒巻潔さん。1949年に出版された酒巻少尉の手記が、昨年8月に『真珠湾攻撃 捕虜第一号/酒巻和男の手記』として復刻されたのを機に、父親の人となりや、彼が加わった真珠湾攻撃について再検証に取り組みはじめたという。 「私自身、軍人時代の父のことを知ったのは、この復刻版を読んでからでした。『俺のことを知りたければこれを読め』と手記を手渡されたとき、まだ私は中学生で内容が理解できずに放置していました」 時を経て
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