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考え方と文化に関するstudio417のブックマーク (3)

  • 「やりたいこと」の多くは、「やりたい」と思わされている|磯野真穂|人類学者

    私たちは「自分のやりたいこと」をはっきりさせ、それに向かって突き進むことをよしとする社会に生きています。それが大変に素晴らしいことと思うのですが、「やりたいこと奨励社会の難しさ」は、そんなに簡単にやりたいことが見つからないということに尽きるでしょう。 それには色んな理由があると思いますが、私がここであげたいのは、「選択肢がたくさんあるから」でも、「みんな失敗を恐れるから」でもありません。 そうではなく、私がここで強調したいことは「やりたい」ことと、「やりたいと思わされている」ことの分離の難しさにあります。 私たちが日常生活でする多くのことは「やりたい」というより「やりたいと思わされている」ことの方が多く、そこから純粋に「やりたいこと」を取り出すのは至難の技なのです。 女性とあぐら 例をあげましょう。たとえば日の女性は、人前であぐらをかくことはあまりありません。もちろん公園の芝生で友達と音

    「やりたいこと」の多くは、「やりたい」と思わされている|磯野真穂|人類学者
  • 「マイルドヤンキー」論への違和感 “再発見”する東京の視線と、大きな物語なき後のなにか

    「マイルドヤンキー」論への違和感 “再発見”する東京の視線と、大きな物語なき後のなにか(1/5 ページ) このところ「マイルドヤンキー」という言葉が注目を集めているが、私はこれにどこか違和感を覚えてきた。「そうした新たな社会層が台頭している」と言われるのだが、私は思うのである。「それってもしかして、日の平常運転では?」と。 マイルドヤンキーについて、たとえばNHKの報道番組ではこのように解説していた。 地元志向 世界は半径5キロ 車、酒、タバコ、パチンコが好き 仲間を大切にする 礼儀正しく優しい こうした社会層が台頭し、今や若者の間で一大勢力となっているというのだが、よく考えてみるとおかしい気がするのである。 地元志向 世界は半径5km ──地元志向でなぜいけないのだろう。みんながみんな、東京に憧れて上京するべきなのだろうか。 車、酒、タバコ、パチンコが好き ──これらはみな戦後日のご

    「マイルドヤンキー」論への違和感 “再発見”する東京の視線と、大きな物語なき後のなにか
  • フィリップ・トルシエ 「工場の機械のような日本のセックス」 | 「不思議の国のエロティシズム」オール讀物より | 著者インタビュー - 本の話WEB

    2013.09.20 インタビューほか フィリップ・トルシエ 「工場の機械のような日のセックス」 田村 修一 「不思議の国のエロティシズム」オール讀物より サッカー日本代表監督に就任し、98年秋に初めて来日した当初、私が驚いたのは日人が触れ合わないことだった。挨拶のとき握手をしないし抱擁もキスもしない。肌の関係が日には欠落していた。 官能(フランス語ではセンシュアリテ)について語るとき、官能という言葉には感覚(同じくサンス)の意味が内包されている。つまり触れ合う感覚、挨拶の際にお互いの身体を接触させることが、官能の最初の要素として存在する。柔らかい(あるいは硬い)肌の感触を感じ、お互いの匂いを感じる。他者と触れ合うのは、肉体的な関係であるからだ。 日にはそうした概念は存在しない。親が子供たちと肌を触れ合わないのも、私には驚きだった。西洋では子供が大きくなっても、親との身体的な触れ合

    フィリップ・トルシエ 「工場の機械のような日本のセックス」 | 「不思議の国のエロティシズム」オール讀物より | 著者インタビュー - 本の話WEB
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