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  • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***30日目(2月15日)*** - 森の奥へ

    26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から30日目です。 2月15日(水) 夕後、南蛮美術館、M田さんから電話。 お互いの近況報告をし、来週あたり地下鉄が復旧したら飲みに行こうという話になった(※翌16日から神戸市営地下鉄は全線運転を再開します)。 ※M田さんは職場の主査(係長)です。わたしより数歳下の30ちょっとくらいだったでしょうか。当時わたしが務めていた職場は行政職の人と教職の人とが一緒に働いていました。行政職と教職とでは同じ神戸市に務める公務員であっても、勤務形態も違うし給与体系も違います。同じように働いていても行政職の人には残業手当が付きますが、教員には付きません。ご存じかと思いますが、教員には残業という概念がありません。深夜まで働いても、定時に職場を出ても、給与は同じです。職階制(役職)?も違

    震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***30日目(2月15日)*** - 森の奥へ
    sufuretan
    sufuretan 2021/02/15
  • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***29日目(2月14日)*** - 森の奥へ

    26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から29日目です。 昨夜、2月13日午後11時過ぎ福島・宮城で震度6強の激しい地震がありました。マグニチュード7.1~7.3(推測)、東日大震災の余震とのことです。あの地震からもうすぐ10年になりますが、地球規模の時間で言うと、まだあの揺れが続いていると言うことなのでしょうか。阪神淡路大震災はマグニチュード7.3でしたから、地震の規模としてはほぼ同程度ということなのだそうです。 今回の被災の規模はまだはっきりと分かっていないようですが、被災地の方々のご無事をお祈り申し上げます。 2月14日(火) バレンタインデー。課税課の机の上に誰かがチョコレートを置いてくれていた。 今日も家屋の再調査にA田さんと回る。午前中4軒午後4軒。留守宅が多い。いきなりえらそうにしゃべるおっ

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    sufuretan 2021/02/14
  • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***28日目(2月13日)*** - 森の奥へ

    26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から28日目です。被災家屋を回りました。 2月13日(月) 今日から日勤。庁の職員7人全員で家屋の再調査の応援をすることになった。Y村、T井、M井、F井、M崎、K上と僕の7人。 8時半、区役所3階の課税課に集合。顔合わせ、説明のあと、区内へ散らばっていく。ペアは、課税課のA田さん。午前中2軒、午後9軒を回る。 家屋の再調査は、罹災証明を申請した時に被災の判定内容に不服を申し立てた人の家を個別に回って再調査をする仕事だ。家屋を基礎、壁面、屋根の各部分に分けて調査し直し、それぞれにポイントを付けて合計点数で判定する。五割以上の損傷があれば半壊になる。 実際に家を回って話を聞いていると、何割かは申し立て通りになる。地震後の混乱がまだ治まらない時期に大急ぎで判定して回ったもの

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    sufuretan 2021/02/13
  • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***27日目(2月12日)*** - 森の奥へ

    26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から27日目です。 2月12日(日) 8時起床。 家から徒歩3分ほどのところに月極で借りている駐車場に行ってみると、出入口の鎖に鍵がかかっている。近所の美容室がオーナーで、電話をかけるとおじさんが慌てて自転車で来てくれた。このところ、勝手に駐車する人が後を絶たなくて、おまけに注意すると逆に開き直られることもあるので鍵をつけたとのこと。 昨日は母親の誕生日だった。地震で割れてしまったので、新しい茶碗と湯飲みとお箸をプレゼントすることにする。 ※下のリンクは震災当日の記録です。 www.keystoneforest.net ※今日はもう一つ記事を投稿しました。よかったらご訪問ください<(_ _)> www.keystoneforest.net よければtwitterものぞい

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    sufuretan 2021/02/12
  • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***26日目(2月11日)*** - 森の奥へ

    26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から26日目です。 2月11日(土) 6時45分、起床。 今日は土曜日で罹災証明書の発行は受け付けていない。10時より湊川公園の掃除をする。仮設トイレ周辺が悲惨な状況。汚物があふれ、臭いもひどく、正視できるものじゃない。 1時より拠点配布の荷物積み込み。庁の職員は配布に同行しなくてよいとのことで、午後は物資の搬入と明日配布するロープ作り。隣では海外から救援物資として贈られてきた巨大テントを設営していたが、組み立て方が分からず、ずいぶん手こずっていた。 5時頃より夕をとり、5時半終了。 夕を少なめにして家でビールを飲むつもりだった。缶ビールを買って帰り、昨日母が大量に作ってくれていた煮物をあてに飲む。 途中、電話。I淵(※高校時代の親友、東京在住)からだった。3月の

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    sufuretan 2021/02/11
  • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***25日目(2月10日)*** (柏井ビル倒壊の経緯) - 森の奥へ

    26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から25日目です。柏井ビル倒壊の経緯をたどりました。 2月10日(金) 昨日から母が帰宅していた。二人で朝をとる。浴槽にためていたトイレ用の水が洗濯にほとんど使われてしまっていた。トイレが使えない。少し口論になる。 朝後、母は銀行へ住宅ローンの返済方法について訊きにいく。一年間ローンの支払いを停止してもらっても、結局利子分の約6万円は支払わなければならないとのこと、わざわざ銀行の担当の人が電話で説明してくださったが、結局返済方法は変更しないことにする。 濯ぎが残っている洗濯物の山を母の友人宅まで車で運ぶ。 一日休んだだけで、今日からまた次の仕事に出かける母を三宮(※中央区)まで送る。全壊した阪急三宮駅は半分取り崩されていた。阪急会館のスクリーンが外からのぞけた。母が

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    sufuretan 2021/02/10
  • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***24日目(2月9日)*** - 森の奥へ

    26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から24日目です。グリーンアリーナ神戸に行きました。 2月9日(木) 8時、湊川公園のテントに着いたが、Y根氏はもちろん、S谷氏も見当たらない。二人とも交代したようだ。しかたなく先に一人で公会堂に行ってみたがやはり気になる。もう一度公園に行こうとした時、新しいメンバーを見つける。今日からは、M井さんとF井さん。今までの四人より年長。ややおとなしそうな感じの人だ。 公会堂で来庁者の誘導を始めるが、今日は「連合」からの応援職員に仕事を引き継いでくれとのこと。大まかに説明し、9時半に引き上げる。その後、午前中は、総合運動公園に物資を取りにいくトラックに同乗する。初めて見るグリーンアリーナは、救援物資が山のように積まれていた。ここが市西部への配送拠点の一つになっているらしい。

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    sufuretan 2021/02/09
  • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***22日目(2月7日)*** - 森の奥へ

    26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から22日目です。り災証明書もらう。 2月7日(火) 8時前、湊川公園(※兵庫区役所に隣接する公園)のテントに集合。8時半業務開始。申し込みに来た一人一人に住所を尋ね、窓口まで案内する。ほとんどトラブルになることははなく、淡々と仕事が進む。 被災の程度を軽く判定された人が大声を出したり、足元にハンカチが落ちていたので「落とされたんじゃないですか」と声をかけると、「こんなんワシのんちゃうわい!」とわざわざ足で蹴っ飛ばすおっさんがいたりして、ちょっとカチンときたが、それくらいだった。 立ちっぱなしなのがけっこうきつかった。 18時頃、受付がほぼ終了した段階で、個人的なことで申し訳ありませんが、と僕個人の被災状況について尋ねてみる。僕の家は「半壊」と記されてあった。後日申請に

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    sufuretan 2021/02/07
  • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***21日目(2月6日)*** - 森の奥へ

    26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から21日目です。 2月6日(月) 今日から、罹災届け・義援金申し込みの受付業務に変更になるので、明けの日だったが新しい仕事内容の確認のために出勤した。仕事は公会堂内で申し込みに来た人を誘導する係だった。来庁者は多かったが、それほど複雑ではない。 仕事の内容を確認すると、9時すぎに区役所を出る。郵便局で郵便物を受け取り、帰りにローソンで昼を仕入れる。昼間から飲むつもりだった。帰ると玄関の前でポチと目が会った。ドアを開けるとポチはいそいそと僕より先に家に入っていく。しばらくポチを膝に乗せ、味醂干しをやる。 その後は、僕の事に付き合わせることにした。2階まで呼ぶとポチは敷いたままにしていた僕の布団をよけて、おそるおそるという感じで部屋に入ってきた。僕は焼きそば、ポチには

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    sufuretan 2021/02/06
  • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***19日目(2月4日)*** - 森の奥へ

    26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から19日目です。郵便届く。 2月4日(土) きのうは泊まらずに済んだので、今日は朝から休み。 昼頃、ドアを開けると、ポチが我が物顔に入って来る。ポチはしばらく前から近所を縄張りにしているらしい野良(たぶん)。丸々太っていて、愛想がいい。名前は僕が勝手に付けた。 昼用に焼いていたイワシの干物をやる。僕はその横で遅い昼をとった。 夕方近く、弟からお風呂においでの電話がかかる。 20時過ぎに家を出る。でがけにポストを見るとM代(※前任校での教え子)から手紙が来ていた。 久しぶりに国道2号線を走る。緊急車両専用らしき車線を前の車に続いて入って行くと、なんとなく走れてしまった。お風呂を借りて、少し雑談。粕汁をごちそうになる。 22時半頃玉津(※西区、弟の自宅近く)を出て、

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    sufuretan 2021/02/04
  • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***18日目(2月3日)*** - 森の奥へ

    26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から18日目です。解体撤去申請の受付業務を担当する。 2月3日(金) 6時半起床。7時50分区役所到着。8時45分より区役所4階で、倒壊家屋の解体撤去申請の受付業務。申請者の数は前より少しずつ減ってきた様子。 定時に昼をとり、午後の一人目の応対が済んで次を待っていると、別の作業を頼まれた。申請書のコピーをとれとのこと。それから午後の時間帯はその作業で埋まる。これまでに受け付けた約1500人分の申請書のコピーをとった。その間、Y根氏(※庁からの応援職員)は、解体の順番を早めて欲しいと言ってきた人と口論になる。 午後5時頃、受け付けは終了するが、その後もコピーと仕分け作業が続く。6時45分、ようやくすべてが終わり、公会堂(※兵庫区役所地階)に降りて夕をとる。 今日は泊

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    sufuretan 2021/02/03
  • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***17日目(2月2日)*** - 森の奥へ

    26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から17日目です。 2月2日(木) 夜勤明けの日。 朝、弟より電話をもらう。お風呂においで、とのお誘いだった。せっかくだけど、どうしようもなく眠いので断る。今は風呂よりじっくり休みたかった。電話を切って、さらに寝る。ぐっすり眠る。 13時半、目がさめ、昼をとる。 昼後、また眠る。 これまで何度か日記を付けたことはある。数年続いたこともある。でも、何かの拍子で途切れてしまっていた。今回のことは、これまでとはまた別の意味で記録しておかないといけない、という気がしている。昨日までの分を、メモを元にまとめて書く。かなり忘れかけている。 ※この日の日記を読むと、あの日からの出来事を17日経った2月2日になってようやく文章にまとめたようです。パソコンで書きました。ですので、この

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    sufuretan 2021/02/02
    こんにちは、山猫さん。日記はつけたことがないのです。山猫さんは偉いなぁっておもいました。
  • コロナ禍の墓参。 **ブックマーク・ツイートから** 山猫ノート30 - 森の奥へ

    わたしの父は56歳で亡くなりました。 脳腫瘍でした。 亡くなる2年前に病気が分かり手術をしましたが、1年後に再発、その後、回復することなく逝きました。 父が亡くなった当時わたしは28歳、孫の顔どころか、わたしの奥さんの顔も見てもらえないままの別れでした。 墓は父の生まれ育った山に建てました。兵庫県の山間の地です。墓からは父の生家があった場所や田んぼが望めます(農道が整備されたため、父が知っていた景色とは全然違ってしまってはいますが、、、)。 写真は父の墓の前から撮りました。映っているのは父の墓ではありません、、、(^^; 墓がある山までは、わたしが住んでいる神戸から車で2時間半ほどかかります。頻繁に訪れるには少し遠い距離です。 年に一、二度くらい会いに行っていましたが、2020年はコロナを言い訳にして一度も墓に参りませんでした。 下のリンクは、3年前の墓参のことを書いた記事です。 www.

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    sufuretan 2021/01/31
  • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***14日目(1月30日)*** - 森の奥へ

    26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から14日目です。 1月30日(月) 朝から湊川公園でカセットコンロの配布、4000人ほど集まる。 午後はあまり仕事がなく、時間をもてあます。 夜9時、M上氏と帰る。彼は明石在住。神戸駅まで送る。今日、姫路方面から神戸駅までJRが運転を再開したところだ。 彼の自宅は、揺れはしたが、ほとんど被害はなく、家に帰れば、電気・ガス・水道と、何不自由なく使えるという。震災前とまったく変わらない普通の生活の場から、電車に乗って、被災地へ仕事に来る。話を聞くだけでも妙な気分になってくる。 屋辺氏に電話する。明日お風呂においでとのこと。 先日京増氏へ送ったメールに返事が届いていた。 京増 弘志    S*I00*85 95/01/30 16:24 題名:メールありがとうございました.

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    sufuretan 2021/01/30
  • 満月の夜の雪 **ブックマーク・ツイートから** 山猫ノート29 - 森の奥へ

    去年の暮れのこと、神戸の街に雪が降りました。しんしん降った雪はうっすら積もりました。満月の夜でした。 満月の夜の雪。梢の葉に積もりました。積もった雪を月明かりは溶かせたでしょうか。 12月の満月をネイティブインディアンの人たちは「コールドムーン(Cold Moon)」と呼ぶのだそうです。 満月の夕、それはそれは寒い夜でした。 ちなみに、今夜、1月の満月はWolf Moon(狼月)と呼ぶそうです。 あの日の夜も満月でした。満月に向かって神戸の街は燃えました。 満月の夕 [ライヴ 1999] ソウル・フラワー・モノノケ・サミット オルタナティブ ¥306 あの日の出来事は、人の生死は偶然の積み重ねでしかない、とはっきりと教えてくれました。けれど、生き方は選ぶことができる。そう思います。 残されたわたしたちは、震災のあれこれを思い出すこと、思い続けること、語ること、語り続けること、そして、命の意

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    sufuretan 2021/01/29
  • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***13日目(1月29日)*** - 森の奥へ

    26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から13日目です。 1月29日(日) 朝帰宅。家でごろごろして過ごす。 前任校の同僚、屋辺先生からメールが届く。 屋辺    J*E00*40 95/01/29 11:07 題名:山氏!元気? 山氏へ いやあ、こんにちは。で、とりあえず始めます。この度は当にお互い大変な目にあってしまいましたね。でも、くよくよはしていられません。頑張りましょう。 ところで、おととい聞いたD先生(※前任校の同僚)のTEL番号写したメモを紛失してしまいました。メールでお知らせください。とりあえず今回は「試験放送」ということで。 31日(火)是非お風呂にどうぞ。楽しみにしています。 over! ※下のリンクは震災当日の記録です。 www.keystoneforest.net ※今日はも

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    sufuretan 2021/01/29
  • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***12日目(1月28日)*** - 森の奥へ

    26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から12日目です。 1月28日(土) 朝、母と一緒に出勤。 午前中、家屋調査、午後は公会堂で待機。区の職員は公会堂内に電話を引き込み、救援物資の在庫に合わせて、避難者へ配給する弁当やサンドイッチの手配に追われている。あちらこちらに物資を詰めた段ボール箱が積まれており、どこに何が入っているか、どれが新しくてどれが古いか、何度か確認する。 夜、庁(※神戸市役所)からの呼び出しで、Y田さん帰る。 待機の時間を利用して、おそらく係長試験の勉強をしているらしい職員もいる。来の仕事があり、ここでの仕事があり、将来のことがあり、大変だ。 深夜1時頃物資の搬入があり、その後は読みかけのを2時頃まで読む。この日は文庫を二冊読み終える。読後もなかなか寝付けない。 当時、神戸市兵庫区へ

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    sufuretan 2021/01/28
    こんにちは、山猫さん。きょうも貴重な体験をおはなし してくださってほんとうにありがとうございます。
  • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***11日目(1月27日)*** - 森の奥へ

    26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から11日目です。 1月27日(金) 初日の24時間が終わる。朝帰宅。 夜、屋辺さんから電話をもらう。 ニフティサーブ、京増氏にメールを書くことを思い立つ。 #山        M*I00*04 95/01/27 21:55 題名:はじめまして ニフティに接続して初めて届いたメールが 京増氏からでした。 電話とも違うし、手紙とも違う、 とっても不思議な感覚を味わいました。 その後、大学の先輩からの年賀状の隅に IDが書かれているのに気付き、 その返事に僕のIDを書き添えました。 そして数日後、メールが届きました。 「メールが届いています。(未読分一通)」 このメッセージには未だに心時めくものがあります。 京増氏が2通目のメールを送信されたのは1月17日。 その日の早朝

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    sufuretan 2021/01/27
  • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***10日目(1月26日)*** - 森の奥へ

    26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から10日目です。 1月26日(木) 日より24時間勤務が始まる。 午前中、区役所横の保健所に避難している人にパンと栄養ドリンクを配る。一人のおばあちゃんに、風邪気味なのでドリンクをもう一もらえないか、と頼まれる。数はほぼ人数分しかない。ごめんね、おばあちゃん。おばあちゃんに飲んでもらいたいけど、そうしたら当たらへん人がでてくるねん、とあきらめてもらう。これでよかったんだろうか。 昼からは湊川公園で救援物資の配布をする。仕事は警備係。順番を待つ人の行列は思ったほど乱れることはなかった。 夜、何度か物資の搬入を手伝う。ペットボトルの飲料にカップ麺、ジャケット、ティッシュペーパー、毛布など。 仮眠場所は区役所の地階にある公会堂。それほど寒さは感じなかったが、気分が高まっ

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    sufuretan 2021/01/26
  • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***9日目(1月25日)*** - 森の奥へ

    26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から9日目です。この日から兵庫区役所への応援出務となりました。 1月25日(水) 日より兵庫区役所に出務。家から歩いて5分だ。9時区役所に集合。地震後の交通手段が寸断された中で、歩いて通勤できるこの環境は恵まれすぎ、というしかない。 南蛮美術館(※中央区、来の勤務地)は市の総務局(※仮称です)の一部署なので、僕も身分上はその所属になっている。その総務局から兵庫区役所に派遣された応援職員は、(N芝、Y田、M上、わたし)チームと、(Y村、T井、T田、D東)チームの二班に分かれる。この二班で24時間交替。係長のN芝さん以外は二十代から三十前後くらいか。他のメンバーはみんな庁(※市役所)の職員なので、面識のある人はいない(※わたしの勤務地・南蛮美術館は庁からの出先機関で

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    sufuretan 2021/01/25
    おはようございます、山猫さん。>救援物資が届いても、避難所の方々全員に行き渡る数がそろわないと配れない。なので、物資があっても配れない。その上、〜。  なかなか配ってもらえない理由がわかりました。