人は全面的に尊敬し信頼し崇拝しようとする。光だけ見ようとする。けれども、影の反逆に遭い、足元を救われることだってある。 光を見ていて、なにかの拍子にヒビが入ると、なあんだということで、失望し裏切られたようになる。するとこんどはゴミ箱に捨ててしまったり、攻撃したりする。それはよくあることだ。ぼく自身にもある。 ものごとには、光と影がある。その両面を見ていこうと思っている。とくに宗教については、光と影がはっきりする。イエスは光そのものであり、サタンは闇。ブッダは光そのものであり、提婆達多は闇。宗祖は光、その教えに逆らうものは、闇。ということで、争いが起きる。お互いが自分たちは光であり、相手は闇だと思い込む。 また、人はレッテルを張ると、固定してそこからもう動かない。 たとえば、オウム真理教は悪そのもの、荒唐無稽そのものということになっている。しかしオウムにも光の部分があるのだ。そう書いたりする