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ブックマーク / note.com/ichirindo (3)

  • 山里暮らしの便利さ不便さ|池谷 啓|note

    山里の特徴は、なにしろ人が少ないことである。わが町春野は、4,400人。50年代の3分の1。10年で22%の減少率。そして加速している。当然、高齢者比率が高い。 仕事が無いので、若者はほとんどいない。活気はでない。希望溢れる話は聞かない。もう春野はおしまいだよ、という話ばかりを聞かされる。まあ、これは全国の過疎地も同様と思う。体である日自体が、そもそも活気を失ってきているわけだから。 --------------------------------------- 山里の活性化をどうしよう、システムがどうの、グランドデザインをこうして、行政がどうのという論はいろいろある。が、それは置く。 基軸は暮らしていて、自分が幸せをどう感じるか、にかかっている。自分の生き方として、いかに満ち足りることがでるかどう、と。 ---------------------------------------

    山里暮らしの便利さ不便さ|池谷 啓|note
    suganokei
    suganokei 2018/12/07
    田舎暮らしに憧れる都会の人にぜひ呼んでほしい、東京から浜松市春野という山里に移り住んだフリー編集者の静やかなエッセイ。
  • ダライ・ラマ②|池谷 啓

    人は全面的に尊敬し信頼し崇拝しようとする。光だけ見ようとする。けれども、影の反逆に遭い、足元を救われることだってある。 光を見ていて、なにかの拍子にヒビが入ると、なあんだということで、失望し裏切られたようになる。するとこんどはゴミ箱に捨ててしまったり、攻撃したりする。それはよくあることだ。ぼく自身にもある。 ものごとには、光と影がある。その両面を見ていこうと思っている。とくに宗教については、光と影がはっきりする。イエスは光そのものであり、サタンは闇。ブッダは光そのものであり、提婆達多は闇。宗祖は光、その教えに逆らうものは、闇。ということで、争いが起きる。お互いが自分たちは光であり、相手は闇だと思い込む。 また、人はレッテルを張ると、固定してそこからもう動かない。 たとえば、オウム真理教は悪そのもの、荒唐無稽そのものということになっている。しかしオウムにも光の部分があるのだ。そう書いたりする

    ダライ・ラマ②|池谷 啓
    suganokei
    suganokei 2018/11/24
    松本智津夫氏とダライ・ラマ法王の関係。
  • 空き家があるから、住みたいからといって、すんなり住めるわけではない|池谷 啓

    田舎移住しようというとき、空き家があるから、住みたいからといって、すんなり住めるわけではない。 地域の人は、「山里は年寄りばかりなので、若い人に住んでもらいたい」とは言う。 それはいわば「総論」である。実際に、隣家が空き家になって、そこに移住者が来たらどうかというと、「あ、それは困る」というケースがわりとある。 ■ かつて、家主が「貸しましょう」ということで、移住をきめた人がいた。とてもステキな空き家だった。改修の準備までしていたが、引っ越す寸前になって、地元の自治会にはかったら反対されたことがある。 今回の空き家のケース。空き家がある、そのまま住める。隣のおばあちゃんは、寂しくなるばかりだから、ぜひ住んでもらいたい、ぜひきてもらいたいと言っていた。 ということで、空き家の家主に聞いてみた。 すると、家主はこう言う。 おばあちゃんはそう言うが、じつは息子さんが反対している。ひとりでも、反

    空き家があるから、住みたいからといって、すんなり住めるわけではない|池谷 啓
    suganokei
    suganokei 2018/11/12
    都会の人が憧れだけで田舎に住まないほうがいいのはなぜかが分かる良記事。
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