明和5年(1768)に面山瑞方和尚(1683~1769)が著した「桃水和尚伝賛」によると、桃水和尚は、60代の半ばに、「放下著(ほうけじゃく)」に代表される”無所有の境地”を実践すべく乞食(こじき)の群れに身を投じている。宮崎 安右衛門氏が著した大正10年1月初版、昭和33年(1958)最終版の「野聖桃水和尚」の序文には、(.)釈迦もキリストも乞食した。真の出家者は乞食する。その辺の路傍で通行人から物や金銭を貰う乞食は、乞食の部類に入らない。(.)真の乞食は精神的な糧を与えるものだ。釈迦やキリストによって救われた人々が心から感激して財や物を捧げる。(.)それを受けてゆく。それが真の乞食だという。今日の僧はどうか。仏心より欲心のほうが盛んである。(.)宗教への関心より経済運動に熱心である。世間でもこうした俗僧を問題にしてはいない。むしろ軽蔑している。(.)桃水和尚が360年前に桃水が常に疑問
東京都小金井市の東京学芸大学こども未来研究所内に、『変人類学研究所』が設けられている。この研究所は、「誰もが保持する生得的で個別の潜在能力・創造力を維持し、伸ばすための方法を模索するための、実践型の研究機関」である。 変人類学研究所が定義する変人学とは 「変人学」とは、以下の通りである。 1.「変」という語に集約されてきたような異常性やマージナリティ(境界性)、マイノリティの持つ特異な視点が、社会・文化空間においてどのように扱われてきたのかを研究することにより、インクルーシブ教育(包摂する教育)に向けた基礎研究を促進する。 2.周縁化されたこども達の独自の能力の源泉や、その維持力・拡張力のメカニズムを明らかにし、急激に変動する現代社会に適合的な、次世代のクリエイティブ教育(=変人教育)の構築を目指す。 偉人と変人は紙一重だがその後の人生は大きく異なる 一般に「変人」「変わり者」というと、ど
桃水雲渓 ~乞食として生きた禅僧~ 江戸初期の時代に、桃水雲渓(とうすい・うんけい)という禅僧がいた。 現在の福岡県に生まれた人物で、子どもの頃に出家し、20歳を過ぎた頃から諸国を行脚するようになり、多くの禅師に歴参した禅僧である。 桃水はいくつかの寺院の住職を勤めたのだが、島原の禅林寺での勤めを最後に出奔して乞食に身を投じ、以後寺院での僧侶としての生活には戻らなかった。 晩年を乞食として生きることに志したのである。 そのような人生を指して、世間の人々は後に桃水のことを「乞食桃水」と呼ぶようになった。 畑に肥をまく 桃水にまつわる逸話は、やはり乞食になってからのものが多いが、それ以前の話もある。 たとえば桃水が熊本の流長院で修行をしていたときのこと、ある日桃水は肥たごを担いで畑に肥をまいていた。 すると、その姿を見た住職が桃水に声をかけた。 「これ、桃水。清浄であるべき僧侶が、そのような汚
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