詩人・尹東柱が解放の日をみないまま福岡刑務所で獄死したのは72年前のことである。彼の命は治安維持法によって奪われた。判決文によると、彼はいとこの宋夢奎ら朝鮮人学友たちとともに、「日本の敗戦を夢想し、その機に乗じて朝鮮独立の野望を実現するべきと妄信」したという。ただし、この目的のための具体的な行動は何もしていない。ただ、心に朝鮮独立の夢を抱き、そのことを友人たちと語り合ったことが罪とされた。まさに人の行為ではなく、その内心を処罰するところに治安維持法の恐ろしい本質がある。 「日本はとうとう来るところまで来た」、このところそういう感が深い。 とくにそう感じる最近の出来事は、法務大臣が6月2日の国会答弁で、悪びれることもなく、かつての治安維持法は「適法に制定」されたものであり「損害賠償も謝罪も実態調査」もしない」と答弁したことだ。同法は「私有財産制の否定」と「国体(天皇制)否定」を目的とする結社