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2017年6月22日のブックマーク (5件)

  • 男で一人称が「私」だと気持ち悪いらしい……どれ使えばいいんだ - ちしきよく。

    一人称めんどくさすぎ なぜ日人に産まれたんだろ いやあ、参っちゃった。 先日、塾の子(小学4年)に勉強を教えてたら、 「先生って自分のこと私って言うの?」 って聞くもんだから、 「うん、まぁ……」 と歯切れの悪い返事で答えたところ、 「気持ち悪っ!」 と一蹴されてしまった。おじさんは確かに一人称は私だけどさ、気持ち悪くなんかないよ。許してよ。 「気持ち悪い」まで言うことないんじゃないか……。 子どもは大人と違って、あまり気づかうということをしない、その分心へのダメージも大きい。率直、音だから。 まあ子どもの時は、身近な大人でしかも男が「私」を使っているのを見ないし、経験値の差なのかな~と思っていた。 でも、なんか同年代のいろんな人に聞いてみると、一概にそういうわけでもないらしい。私の一人称が私であることを隠して(紛らわしい)聞いてみたら、「私?うーん……ちょっとね」「私ってかしこまった

    男で一人称が「私」だと気持ち悪いらしい……どれ使えばいいんだ - ちしきよく。
    suganokei
    suganokei 2017/06/22
    一人称の個人史。おもしろく読みましたよ、わたしは(笑)。
  • 世界は因果に満ちている - セカイノカタチ

    因果応報といいますが、世界は因果に満ちています。 原因があって結果があるというのは当然のことなのですが、それが自分とどのように関係するか、ということについて考えるのは、興味深いことだと思います。 因果というと、何か個別の事柄、例えば「家の周りを掃除すると良いことがある」のような単位で考えてしまいがちだと思いますが、実際には、あらゆる行動が微弱ではあれ、何らかの影響を後に残します。 呼吸や瞬きだって、それをしないことを考えれば、大気の動きやCo2の濃度に影響を与えるでしょう。 どんな些細な影響であっても、バタフライ効果を引き起こすカオス理論によるならば、時間や距離の離れた先で、どんな結果を引き起こすのかは、誰も予測できません。 例えば、このページにあるように、二重振り子や天気予報であっても、初期値のほんの少しのズレが拡大されて、予測不能な動きの差を引き起こしてしまいます。 [L] 二重振り子

    世界は因果に満ちている - セカイノカタチ
    suganokei
    suganokei 2017/06/22
    因果の網の目の中で「よく生きる」ことの意義がよく説かれています。「すごく同感」なはずなのに、ミョーに体がムズムズしてしまうぼくは、なんと「因果」な存在でしょうか。
  • 多次元にもほどがある。人間の脳は最大11次元の構造を持つ可能性(代数的位相幾何学) : カラパイア

    従来の数学をまったく新しいやり方で用いて、脳の構造を覗き込んだ神経科学者がいる。そして明らかになったのは、脳は最大11次元で動作する多次元幾何構造を持つということだ。 3次元による認識に慣れすぎた私たちには理解しづらいところであるが、脳という既知のものとしては最も複雑な構造を理解するうえで、研究は大きな前進である。

    多次元にもほどがある。人間の脳は最大11次元の構造を持つ可能性(代数的位相幾何学) : カラパイア
    suganokei
    suganokei 2017/06/22
    少し分かりやすく解説してみたつもりです。→あなたの脳は11次元? ついでにカラパイアさんにちょっと一言http://dimofsoul.mitona.org/entry/11zigen
  • [寄稿]来るところまで来た

    詩人・尹東柱が解放の日をみないまま福岡刑務所で獄死したのは72年前のことである。彼の命は治安維持法によって奪われた。判決文によると、彼はいとこの宋夢奎ら朝鮮人学友たちとともに、「日の敗戦を夢想し、その機に乗じて朝鮮独立の野望を実現するべきと妄信」したという。ただし、この目的のための具体的な行動は何もしていない。ただ、心に朝鮮独立の夢を抱き、そのことを友人たちと語り合ったことが罪とされた。まさに人の行為ではなく、その内心を処罰するところに治安維持法の恐ろしい質がある。 「日はとうとう来るところまで来た」、このところそういう感が深い。 とくにそう感じる最近の出来事は、法務大臣が6月2日の国会答弁で、悪びれることもなく、かつての治安維持法は「適法に制定」されたものであり「損害賠償も謝罪も実態調査」もしない」と答弁したことだ。同法は「私有財産制の否定」と「国体(天皇制)否定」を目的とする結社

    [寄稿]来るところまで来た
    suganokei
    suganokei 2017/06/22
    「東アジアに過去の悪夢を再現させないため」徐京植(ソギョンシク)東京経済大学教授
  • Q: ニッポンはなぜ全体主義を目指すのか - A: 昔日の栄光が懐かしいもので - *魂の次元*

    ネギさんのこちらの記事、 ・政治:昔取った杵柄 - ネギ式 を見て、卓見だなと思いました。 日の人は全体主義を好きか、というと、必ずしもそうではなく、たんに 「全体主義を(再)構築するためのノウハウが蓄積されている」 から、それを選んでしまうのだろう、という説です。 「昔とった杵柄」というわけです。 今回はこのネギさん説に触発されて、日の将来についてつらつら考えてみようと思います。 ドイツはどこが日と違うのか どうにも残念な国ニッポン ドイツはどこが日と違うのか ネギさんの説を簡単にまとめると、 日の統治者は「全体主義」のノウハウを持っている しかし、日の国民は「全体主義」を避けるノウハウを持っていない したがって日は「全体主義」化する ということになります。 そのとき、たとえば、ドイツは日とどう違うのか、ということを考えることには意味があるでしょう。 ドイツは敗戦によって

    Q: ニッポンはなぜ全体主義を目指すのか - A: 昔日の栄光が懐かしいもので - *魂の次元*
    suganokei
    suganokei 2017/06/22
    id:kame710さん、ネットを通じて、そして現実の世界で、自分なりに行動していくことが、周りの人たちにも影響を与えていくのではないでしょうか。