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ブックマーク / jp.ign.com (10)

  • 「スター・ウォーズ」続三部作の制作を通してレイの血筋が何度も変わっているとデイジー・リドリーが語る――ケノービ家の一員だった設定も

    米ABCのトーク番組『ジミー・キンメル・ライブ!』に出演したリドリーは、俳優のジョシュ・ギャッドに『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』のプロジェクトの最初からレイの家系を知っていたかを聞かれ、ぶっきらぼうにこのように答えた。「いいえ。最初はオビ=ワンと繋げるアイデアがありましたし、そして、まあ……ほかにも色々なバージョンがありました。やがて彼女(レイ)は“誰でもない”ということになっていました」 「エピソード9になって、J・J(・エイブラムス)は私に映画の大役を任せて『さあ、パルパティーンは君の父親だ』みたいな感じで私に告げ、私は『すごいですね』という風に答えましたが、2週間後に彼が『うーん、まだ迷っている』という感じになりました。だからずっと変わっていたのです。そして(音声が途切れる)撮影が始まっても、私はまだ答えが分かりませんでした」 次に、ギャッドがレイの祖母が誰なのかと聞いたところ

    「スター・ウォーズ」続三部作の制作を通してレイの血筋が何度も変わっているとデイジー・リドリーが語る――ケノービ家の一員だった設定も
  • 過去との決別で残された物語『The Last of Us Part II』レビュー

    前作『The Last of Us』はビデオゲーム史上に残る、マスターピースであることが疑いようがない。ポストアポカリプスという典型的な世界観ではあったが、そこに静謐な感情描写と厳粛な暴力描写を持ち込みつつ、ロードームービー的な筆致で描くという新しい風を吹き込み、ふたつの孤独な魂が寄り添う見事なストーリーを仕立てあげていた。 一般論として、前作がマスターピースであればあるほど、続編のハードルは高くなる。同じことを繰り返せば「焼き直し」と批判されてしまい、逆に過度に前作と決別してしまうとファンが求めているものと乖離する。マスターピースを作り上げたクリエイターにとって、前作こそが大きな呪縛であり重荷だろう。『The Last of Us Part II』を終えて、こうして筆を取っている私は、前作『The Last of Us』がノーティードッグにとって、あまりにも高すぎた壁だったのだろうと想い

    過去との決別で残された物語『The Last of Us Part II』レビュー
  • 世界各国のメディアが『The Last of Us Part II』を大絶賛! IGN JAPANの評価が激しく異なる理由を紐解く

    なぜ、福山の感想は他のライターたちと違ったのか。分析に入る前に、彼のように作を大絶賛しなかったメディアが他にもいくつかあるという点に触れておこう。 アメリカの老舗大手ゲームメディアであるGamespotは8点のスコアを与え、以下のように評価している。 「『The Last of Us Part II』をクリアすると、このゲームが好きだったかどうか、自分でもよくわからない気持ちになった。プレイするのがつらいゲームであり、その理由はエリーの行うことをプレイヤーがコントロールできないところにある。エリーは非常に複雑で問題の抱えている人間であり、自己中心である彼女は多くの人を傷つけてしまう。ときとして、加える暴力があまりにも無意味であり、プレイヤーの感覚を麻痺させる。すべては混沌としており、あまりにも暗いし、私はプレイしていていくつもの理由で切ない気持ちになった。だが、考えれば考えるほど、ストー

    世界各国のメディアが『The Last of Us Part II』を大絶賛! IGN JAPANの評価が激しく異なる理由を紐解く
  • 『ドラゴンクエストXI』海外版で「ぱふぱふ」といった性的要素、カットされず!

    『ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて』は先日、北米欧州向けに発表され、9月24日にPS4/Steamにやってくることが明らかになった。 『ドラゴンクエスト』シリーズといえば、王道RPGでありながらも「ぱふぱふ」やバニーガールをはじめとしたお色気要素でも有名だが、これまで、これらは海外版でカットされるケースも少なくなかった。『DQXI』PS4版のディレクターである岡北斗によると、今回は基的にすべての要素を海外版にも残している。欧米人もたっぷりと、ぱふぱふの集大成を楽しめる、というわけだ。 海外ゲームメディアDualshockersとのインタビューで、岡は『DQXI』で削除するコンテンツはないと話した。とはいえ、ローカライズするにあたり、キャラクターの台詞に変更が施されることはあるという。 『DQXI』は国内でA(全年齢対象)のレーティングになっているが、性的なジョークに敏感な北

    『ドラゴンクエストXI』海外版で「ぱふぱふ」といった性的要素、カットされず!
  • 英語版『美少女戦士セーラームーン セーラースターズ』で、ネプチューンとウラヌスの関係性を間違えた販売会社が謝罪

    漫画やアニメを販売する米国のViz Mediaが、待望の吹き替え版最終シーズンとなる限定版『美少女戦士セーラームーン セーラースターズ』シーズン5 セット1での間違いについて正式に謝罪した。Viz Mediaによると、同性愛者で恋愛の意味でのパートナーであるセーラーネプチューンとセーラーウラヌスを、そうではないように表現していたとのことだ。 エピソード中の間違いというわけではなく、Blu-rayとDVDのシーズン5 セット1の限定版に付いているブックレットに書かれた歌詞のローマ字に問題があった。 Viz MediaはTwitterでセーラーネプチューンとセーラーウラヌスの関係について正式な設定を支持すると発表。 「『セーラームーン』をローカライズするという名誉を、特にセーラーネプチューンとセーラーウラヌスが友達ではなくパートナーであるという事実を認めることをVIZのチームはとても嬉し

    英語版『美少女戦士セーラームーン セーラースターズ』で、ネプチューンとウラヌスの関係性を間違えた販売会社が謝罪
  • 海外のアニメファンはNetflix配信の『新世紀エヴァンゲリオン』になぜ怒っているのか?

    1995年に放送開始されたアニメの古典『新世紀エヴァンゲリオン』がNetflixで配信されるというニュ―スは海外のアニメファンを歓喜させた。しかし、同作が6月21日に配信開始されると、英語圏のファンの間で不満の声が上がった。Netflixが配信した『新世紀エヴァンゲリオン』にはいくつかの変更が加えられていたからだ。 海外のアニメファンの間で批判された主な変更点は以下の通り。 エンディングの「Fly Me to the Moon」のカバーが流れない 新しい声優による吹き替え キャラクターによってNERVの発音が違う 悪態が削除される 同性愛の要素が削除される。 エンディングの「Fly Me to the Moon」のカバーが流れない 『新世紀エヴァンゲリオン』のエンディング曲といえばCLAIREによる「Fly Me to the Moon」のカバーだが、アメリカNetflixで配信された『

    海外のアニメファンはNetflix配信の『新世紀エヴァンゲリオン』になぜ怒っているのか?
  • いかにして「NieR:Automata」が私たちと「ニーア」を救ったか

    全世界で約200万のヒットを打ち出した、スクウェア・エニックスより発売中のゲームソフト「NieR:Automata」。コラムでは、この作品が一体何を成し遂げたかということについて、私なりのひとつの考えを提示したいと思う。 はじめに、私が作をクリアしたときに思い起こした、ある苦い記憶の話をしよう。もちろん、読み飛ばしてもらっても構わない。 或ル日ノ記憶: 序 頭がおかしくなってしまった。 聡明な母に対してそう感じたことが一度だけ、ある。私が中学を卒業する年の1月、高校受験を直前に控えて塾から家に帰宅すると、そこには新しい家族が待っていた。 空(そら)とすでに呼ばれていたそれは、黒い毛並みに茶色の眉が愛らしいダックスフンドだった。父が獣医であったため、飼いきれなくなった患畜の子供を育てることになったらしい。 時期もあり、最初は少し厄介くらいに思っていたが、彼が母や私の日々の生活の垢を落と

    いかにして「NieR:Automata」が私たちと「ニーア」を救ったか
  • 【SF史に残る(べき)ゲーム】第2回:「NieR:Automata」――人工知能の実存主義

    読者の何人かがお気づきのように、この連載では「SF」や「ゲーム」、あるいは「批評性」や「価値」について定義してこなかった。特に「SF」と「ゲーム」については、正確な定義はおそらくは困難だ。先行研究を参照しても、自然科学の用語の定義のようにはっきりしたものが提示されたことはないように思う。SFとは何か、ゲームとは何かは、有用な副産物を大量に生みはするものの、神学的・形而上的な答えのない問いに陥る危険もある。連載では、読者の面倒を避けるため、そこは敢えて踏み込まなかった。 とはいうものの、「この論ではどういった意味でその言葉を使っているのか」ぐらいは明示しておいた方が読みやすくなる部分もあると思ったので、今回はとりあえず「SF」についてこの論ではどのように考えているのかを記す。これは他のSF観を排除するものではないし、絶対的な定義でもなんでもない。 日SFが果たしてきた心理的機能は、「宗教

    【SF史に残る(べき)ゲーム】第2回:「NieR:Automata」――人工知能の実存主義
  • 細田守最新作『未来のミライ』レビュー

    『未来のミライ』の大きな価値のひとつは、過去の細田守作品の解釈が変わることだ。過去作はどこかで賛否は分かれる面があったが、今回は特にそうした賛否が分かれる点についてが描かれている。特に否定派ほど観たほうがいい。これまでの作品で言葉にできなかった違和感のすべてが作にある。 否定派ほど観たほうがいい。 『未来のミライ』は一見すると理想的な家族が第二子・ミライを授かり、両親や親族の興味が4歳の長男である主人公のくんちゃんよりもミライに向かってしまう。そこでくんちゃんはミライに対して妬いてしまう。ひとりぼっちなとき、なんと中学生に成長したミライに出会う。彼女は未来から来たのか? それとも……というシナリオだ。 細田作品で頻発する賛否の分岐点 ではどこでその自尊感情がフォローされるのかというと「家族」、「血縁」だ。長い血縁の中に自分がいる。みんな同じような子供時代を生きた。きみもそうだ。だから少し

    細田守最新作『未来のミライ』レビュー
  • 【海外の視点】日本のゲーム産業がいかに復活を遂げたか

    それは、非常にシンプルな情景だった。高そうな黒服に身を固めた4人の美男子が、ひときわ高級そうな自動車に乗っていたが、それが故障してしまった。やむなく車を外から押すはめになった青年たちのバックに、Florence + the Machineによる『スタンド・バイ・ミー』のカバー曲が流れる。美しく、穏やかなシーンだが、『ファイナルファンタジーXV』のエッセンスを見事に捉えている。4人の親友たちが、広い世界に初めて乗り出す。これから数々の新しい土地を訪れ、時には友情を試されながら、試練を乗り越えていくのだと伝わってくる。 だが別な見方をすれば、FFシリーズの新たな方向を確立し、今世代機でナンバリングシリーズを再始動しようとしている作品のオープニングシーンが「壊れた車を動かそうとする人々の姿」というわけだ。少しあからさまな例えではあるが、このシリーズ自身の状況とぴったりイメージが重なる。さらにリリ

    【海外の視点】日本のゲーム産業がいかに復活を遂げたか
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