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数年前のことだが、艦これに熱中していたころ太平洋戦争関連の書籍を読み漁っていたことがある。そのうちの一冊が加藤陽子『それでも日本人は戦争を選んだ』である。高校生向けに日清戦争から太平洋戦争までの流れを解説するものだが、文体は易しいものの内容はかなり高度である。なぜ朝鮮半島が日本にとって死活的に重要であったかから始まり(これは現代でもかわらないのだが)、満州事変、国連脱退、日米交渉、日米開戦までが語られる。 そして著者の政治的立場は私から見ればかなり左なのであるが、そこは高校生向けということでわりと中立的な立場から著されているように感じた。特に昭和帝が日独伊三国軍事同盟や北進論の件で大変嫌っていたとされる松岡洋右の評価が高いのも意外であった。 自分にとって新鮮であったのはリットン報告書が日本にもずいぶん配慮した内容であり、現代からみればかなり交渉の余地があったことだ。またこの後に熱河侵攻作戦
ミッツ・マングローブ「保毛尾田保毛男を狩る、分別できない人たち」https://dot.asahi.com/amp/wa/2017101300080.html を読んでモヤモヤした気持ちを書き綴ります。 ミッツさんのコラムに対する反論ではないです。そもそもエクスキューズが散りばめられていてはっきり反論できるようなものでもないし。 当時これによって心を傷つけられた当事者も多い「とんねるずのみなさんのおかげでした」のキャラ「保毛尾田保毛男」。 ちなみに当時幼い私がもっとも傷ついたのは綺麗なニューハーフが出演しているテレビ番組を観た時でした。完全に女性の格好をして、「私は女です」と主張しているのに男扱いされ、笑われる。ここまでしてもこんな扱いしかされないんだ、という絶望。 それでも、女性として生きている人たちの情報が欲しくてミスターレディ(ニューハーフ)の出演している番組を食い入るように見ていた
今回のノートはいつもよりかは短めになる……はず。というのも、正常な思考力を持ったオトナならば、直感的に理解できるような、とてもシンプルかつ当たり前の内容だからだ。 という訳で、本日のテーマは「なぜ嫌悪感を抱く表現であっても守らねばならないのか」である。 嫌悪感を抱く表現であっても守らねばならない理由 特に重要なのは以下の3点だと思われる。 「特定の表現を弾圧してしまうと……」 (1) 表現の自由を侵害する (2) 弱者や少数派が差別に抗えなくなる (3) 権力者しか得をしない(1)表現の自由を侵害する 「基本的人権である表現の自由の侵害になる」と、普通はこの一言で話が終わるはずなのだが、それで納得しない狂人がいるために話がややこしくなっている。その手の輩は、どうも "権利" が自分にだけあると勘違いしているようで、他者の表現の自由よりも、自分の「見たくない物を見なくて済む権利」の方が勝ると
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