2021年3月11日のブックマーク (1件)

  • 明治の作家は言文一致運動なんてなんでしたの?

    書き言葉を話し言葉に近づけるためにそういう運動をしたみたいなことが日語学のに書かれてたるするが腑に落ちない。 ある言葉(単語)に対して書き言葉とか話し言葉とかいう区別は存在しないと思うから。 つまり、その単語をしゃべるときに使ったら話し言葉、書くときに使用したら書き言葉というだけの話だと思う。 たとえば漢熟語が書き言葉であるとか言われるが、「自分」なんて言葉はしゃべるときも書くときも普通に使う。 単語に依存して規定されるものでないのならば、「話し言葉」や「書き言葉」が何か形の定まった文体になることもありえない。 それなら話し言葉や書き言葉との間に表現の傾向の差みたいなものは生じえないわけで、一方を他方に接近させる「一致運動」なるものもやりようがない。 そもそも言文一致運動が始まる前の明治初期の安愚楽鍋なんか、いわゆる書き言葉的な臭いが全くしない。 たとえばこんな文で書かれているわけだ。

    明治の作家は言文一致運動なんてなんでしたの?