ブックマーク / next.rikunabi.com (2)

  • 坂井宏行さん-プロ論。-/リクナビNEXT[転職サイト]

    戦争中に父を失い、 鹿児島で苦しい子ども時代を過ごした。 17歳でフランス料理の世界に入り、 19歳で単身オーストラリアへ。 念願の独立を果たしたのは、 1980年、38歳のときだった。 子どものころは、一家の生計は母が和裁をして立てていたんです。夜なべも必要で、事を作ることもままならなかった。そこで中学くらいから、僕が家族の料理を作るようになって。料理の面白さを知ったのはこのころです。しかも母からは、いつも「手に職をつけよ」と言われてたんですね。 戦争直後は、日全体が貧しかった。さつまいもはつるまでべたりして。僕は幸いにも田舎にいたから、自然の材がまわりにたくさんありました。山の栗、桑の実、川魚…。取れたてのキュウリやナス、青臭いトマト…。僕はこういう自然のおいしさを口にして育ったんです。でも、やっぱりひもじさはある。料理人になれば事に困ることはないでしょう。この道に進んだのは

    suitengux
    suitengux 2015/01/15
    勉強になりました。
  • メジャーリーガーのパイオニア・野茂英雄氏「必要なのはここ一番で決められるコントロール」 - リクナビNEXTジャーナル

    大きく振りかぶってから背中を打者に向ける、独特のトルネード投法で日米の野球ファンを魅了した野茂英雄氏。1995年、球界とマスコミによるバッシングが続くなか、当時在籍していた近鉄バファローズの年俸1億4000万円を蹴り、980万円のマイナー契約でロサンジェルス・ドジャーズへ移籍。その後、アメリカ全土で野茂フィーバーを巻きおこし、日人選手がメジャーリーグで活躍できる道筋をつくった。 近鉄時代から、寡黙な印象のある野茂氏が、株式会社ワークスアプリケーションズ主催の『COMPANY Forum 2014』に登壇。「世界で戦うメンタリティ」をメインテーマとして、フリーアナウンサーの渡辺真理さんを相手に、野球人生を振り返った。 ■中学時代は全然イケてる選手ではなかった 渡辺:まずは、野球を始めたきっかけから教えてください。 野茂:小学2年生の時、親父がグローブを買ってきてくれたのが始まりです。僕は大

    メジャーリーガーのパイオニア・野茂英雄氏「必要なのはここ一番で決められるコントロール」 - リクナビNEXTジャーナル
    suitengux
    suitengux 2014/10/26
    やっぱりすごい!
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