戦争中に父を失い、 鹿児島で苦しい子ども時代を過ごした。 17歳でフランス料理の世界に入り、 19歳で単身オーストラリアへ。 念願の独立を果たしたのは、 1980年、38歳のときだった。 子どものころは、一家の生計は母が和裁をして立てていたんです。夜なべも必要で、食事を作ることもままならなかった。そこで中学くらいから、僕が家族の料理を作るようになって。料理の面白さを知ったのはこのころです。しかも母からは、いつも「手に職をつけよ」と言われてたんですね。 戦争直後は、日本全体が貧しかった。さつまいもはつるまで食べたりして。僕は幸いにも田舎にいたから、自然の食材がまわりにたくさんありました。山の栗、桑の実、川魚…。取れたてのキュウリやナス、青臭いトマト…。僕はこういう自然のおいしさを口にして育ったんです。でも、やっぱりひもじさはある。料理人になれば食事に困ることはないでしょう。この道に進んだのは