2019年8月27日(火) 開学30周年「グランドデザイン2030」と「京都芸術大学」への名称変更(2020年4月1日〜)について 学校法人瓜生山学園 京都造形芸術大学は、2021年4月1日に大学開学30周年を迎えます。この度、大学開学30周年記念事業の一環として、本学の理念である「京都文藝復興」「藝術立国」の実現に向けた将来構想「グランドデザイン2030」を策定いたしました。 大学開学30周年を契機に、多くの芸術大学が集まるこの京都から、芸術を学ぶ学生たちが協働して共に新たな価値を創造することを目指し、本学はこれまでに築いてきた企業、自治体、研究機関、海外とのネットワークをさらに強化し、その共創を推進する役割を担ってまいります。
音楽は時に聴く人に対して特別な効能を持つことがあります。さまざまなシチュエーションで、その音楽を聴くことで、ふっと楽になったり、気持ちが落ち着いたり。 中でも、その歌詞が聴き手に力を与える、ポジティブな気持ちにさせてくれる、そんな楽曲を我々は総称して“応援ソング”と呼びます。今や当たり前の音楽カテゴリの1つではありますが、しかし考えてみればかつてはこれほど“応援ソング”と呼ばれるような歌詞を持つ楽曲は多くなかったはずです。そもそも“応援ソング”という呼称もさして古くはないものですし。 なぜ今のような状況になったのでしょうか? ざっくりと音楽の歴史を眺め、日本で一番古い“応援ソング”は何だろうかと追っていくと、歌曲の形を取ったものでは“軍歌”というところにあっさりとたどり着いてしまいました。それは間違いないと思うのですが、それで終わってしまうのはあんまりなので、改めて戦後の流行歌に絞って“応
@JAM EXPOの話をしようと思っていたのですが、公開されたのでこっちの件を先に。再び音楽ナタリーで原稿書かせてもらいました。 “応援ソング”のルーツと変遷を探る 桜ソングの時はブログでもある程度情報固めていましたし、言うても歌詞やタイトルをキーにして範囲を具体的にすることができたのですが、今回はアイデアとしては持っていたものの趣味での事前調査も断片的で、かつそこまで具体的なキーで拾えないものも多く、正直なところ非常に難儀しましたが何とか形にしてみました、という感じです。 原稿に組み上げる前のメモには他にもいろいろ書いていたので、そこらへんを多少補足的に。 前回に音楽ナタリーで「桜ソング」について書いた時には、1970年代から10年単位で切る形にして、今回もそれで行こうと思っていたのですが早々で断念。時代の流れというよりはきっかけとなる曲があって、それによって動いている感じだったため、各
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