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ブックマーク / yoghurt.hatenadiary.com (5)

  • 悪人 - 未来の蛮族

    2時間半近い上映時間が非常に長く感じられたのは確かで、おそらくもう二度観る事はない映画だろうとは思うんだけど、闇に沈む三瀬峠と、そこを走り抜けてゆく白いGTRの姿、おれはおそらくその光景を何度も思い出すだろうし、それだけで十分観に行った甲斐はあった。しかし、原作を読んだときから思っていたのだが、夫木演じる清水青年は、なぜに料理が来る前にあんな重大な告白をしてしまったのだろう。*1あんなことを言われてしまったら、せっかくのイカ料理にも手をつけられなくなってしまうじゃないか。重たい沈黙の中で、清水青年がイカの眼を見つめることしかできなくなってしまったことは十分理解できるが、イカの眼に吸い込まれるようにして回想が始まってしまったときは正直どうしようかと思った。しかし、振り返ってみれば、あの演出も悪くなかったように思う。 国道生まれ*2のおれにとっては、この映画の持つどん詰まり感には非常に身につ

    悪人 - 未来の蛮族
    sumakin
    sumakin 2010/09/24
  • (我が家の)ゼア・ウィル・ビー・ブラッド - 未来の蛮族

    ずっと、母方の祖父のことが好きではなかった。 そう言い切ってしまうのも実際とはやはり違っていて、より正確に表現するならば、好きだとか嫌いだとかいう以前の問題で、おれは祖父の生き方を全く理解することができなかった、と言うべきなのだろう。おれにとっての彼は、ほとんどエイリアンのようなものだった。たとえば、母方の祖父はかつて家庭にほとんどお金を入れることがなかったという。これで祖父が酒や博打に現をぬかす放蕩者であったなら、まだ人間的な理解を行う手だてもあったかもしれない。しかし、タチの悪いことに、実際の彼は非常に勤勉な男だった。日が昇る前に畑に出かけてゆき、日が落ちても月明かりの下で働く。それが祖父の生活であった。それほどまでに必死で働いていながら、家庭にはまるでお金を入れない。奇妙な生き方だ。 祖父はいったい何のために働いていたのだろう? 母の話によれば、祖父は畑仕事で得たわずかな利益の全てを

    (我が家の)ゼア・ウィル・ビー・ブラッド - 未来の蛮族
  • 人生は、『はがねのつるぎ』を手に入れるまでがいちばん面白い - 未来の蛮族

    異論は認めない。だいたいなんだってそうなのだ。「おうじゃのつるぎ」だの「はかいのつるぎ」だのといったような、伝説級の武具。それらは確かに格好いいかもしれない。しかしだ。それらを手に入れたとき、我々の心はほんとうにときめいているだろうか? だいたい、そんな大層な武器を手に入れたところでだ、我々にはどこにも行くところがないじゃないか。もう地図はほとんど埋め尽くしてしまっているころだし、呪文だってもう「ギガディン」なんて名前の、あからさまに最強くさいものを覚えてしまっていたりする。強力な武器や魔法を手に入れたところで、それを用いて闘う相手などいやしない。せいぜい魔王か、さもなれけばとってつけたような隠しボスが、倦み疲れた我々を接待してくれるだけだ。 もはやそこに冒険はない。 あるのはただ、憂な義務感だけだ。 「はがねのつるぎ」には、そうした重たさはない。その切っ先が指し示す先には、ただただ限り

    人生は、『はがねのつるぎ』を手に入れるまでがいちばん面白い - 未来の蛮族
  • 疾風の如く、女を語れ! 第一章 川本真琴 - 未来の蛮族

    真琴。今となっては、ずいぶんと古い名前に感じられるかもしれない。 映像は、彼女のデビュー曲、愛の才能*1。当時13歳だった僕は、この曲の歌い出し、しょっぱなのワンフレーズだけで、一瞬のうちに恋に落ちてしまった。 「成長しない」って約束じゃん 僕の衝撃を想像頂けるだろうか。なにしろ僕は13歳だったのである。右も左もわからぬ年齢だ。右も左もわからぬままに右頬を張り飛ばされて、僕は頼まれもしないのに左頬を差し出した。繰り返すが僕は13歳だったのだ。成長痛で夜も眠れない僕に、「成長しない」という「約束」が唐突に突きつけられたのだ。随分、一方的な約束もあったものだが、心を奪われた僕は従わざるをえない。それほどにこの約束は魅力的だった。川真琴……蛙みたいな顔しているくせに、どうしてこんなにエロティックな約束を突きつけることができるのか? 成長、の「せい」、その息遣いに含まれた圧倒的なまでのエロさ

    疾風の如く、女を語れ! 第一章 川本真琴 - 未来の蛮族
    sumakin
    sumakin 2009/02/26
    夢精の地平には何も無い
  • 静林の如く、女を語れ! 第二章 ともさかりえ - 未来の蛮族

    はじめに断っておくが、僕はともさかりえに恋したことはない。それどころか、僕は彼女について、何一つ語るべき言葉を持っていないのだ。かろうじて、顔がうつみ宮土里に似ているナア……というような感想を持つくらいである。僕にとって、ともさかりえは「語るもの」ではなくて、常に「語られるもの」だった。椎名林檎は、彼女を評して、「きれいで儚い人」だと語った*1。伊集院光は、「微妙な顔なのに美人扱い」「顔が曲がっている」といったような、かなりひどいことをラジオで喋っていた。(深夜の馬鹿力でそのようなことをよくネタにしていたように記憶している)。そのどちらも、僕にはいまいちピンと来なかったのだけれど、不思議に心の隅にひっかかってしまって、今日に至るまで忘れることができなかった。ともさかりえ自身よりも、ともさかりえについて語る彼らのことが気になっていた。僕には、彼らがともさかりえにかこつけて、他の何かを語ろうと

    静林の如く、女を語れ! 第二章 ともさかりえ - 未来の蛮族
    sumakin
    sumakin 2009/02/26
    勉強になる
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