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読み物と人生に関するsumogri40secのブックマーク (6)

  • 第50回 練習の効果 | ワイアードビジョン アーカイブ

    第50回 練習の効果 2010年12月14日

  • 編集者の日々の泡:14歳になった君に ――とある親戚の子と話し合ったコト

    2012年01月05日 14歳になった君に ――とある親戚の子と話し合ったコト Tweet 「夢を持て」「やりたいことをやれ」なんてことを言う親や先生、友達やアーチストに騙されないことだ。自分を見失うだけだよ。 どんなに親切心からの発言でも、むやみに信じてはいけない。自分の人生に責任を取るのは、自分しかない。どうしても嫌でなければ、自分で学費を稼いででも大学まで進め。 夢を追求できるのは、子供じゃない。大人だ。経験と知識豊富な大人だからこそ、家族を養いながら「夢をあきらめるな」を実践できる。夢が叶うかどうかには価値がない。働きながら人生に立ち向かう態度に価値があり、自尊心の源になる。 それに大人はみんな知ってるけど、人生はどう転ぶかわからない。今自分がいちばん楽しいことなんか、子供の頃思ってたものと全然違うのが普通だ。 好きなことができなくても生活のために働いてもいいじゃないか。君の父親は

  • 他人が肯定しても、自己否定的な人間は自分を肯定できない:こころの肥溜め:So-netブログ

    自己否定的な人の根的な過ちは、他人の評価によって自分を肯定しようとすることだ。 自己否定的な人は、自分を肯定するために他人の評価を得ようと必死になる。 そして、他人から評価を得たら、それを維持するために神経をすり減らす。 他人の評価を得るために大きな犠牲を払っているので、 自己否定的な人に対する周囲の評価は平均以上に高い場合が多い。 でも、それは人の自己評価にちっとも結びつかない。 自分を切り売りして、他人の評価を得たところで、 それによって得た自信は一つの失敗で水の泡のように消えてしまうのだ。 自己否定的な人は、自分を肯定してはいけないという強い自己規制がある。 心の奥底から、わき水のように自己否定感が無尽蔵にしみ出してくるのだ。 こういう状態では、表面にいくら他人の肯定を敷き詰めても、 一カ所に穴が開いただけで、自己否定感が吹き出してくる。 そして、ひとたび自

  • せんぱいの話。

    先輩は、目も眩むような職に就いた。 紆余曲折あったが、「なかなかすごいね」と言われる僕らの大学の中でも圧倒的なところへ就職していった。 政治経済学部や法学部をブチ抜いて、彼はたった一人そこに到達し、あっという間に辞めた。 先輩は、一言で言えばへんな人だった。 二年遅れで大学に入って来た彼は最初の大学を「教授とケンカして」辞めたそうだ。 必修単位を取るために頭を下げるくらいなら、潔く大学を辞めるべきと考えたらしい。 そんなわけで、彼はウチに大学に来た。昔いた大学は教えてくれなかったが、 就職実績と反比例する形で偏差値の高止まりを続けるこの学部にあっさり入ってくるくらいだから それなりのところから来たんだろうと思う。昔は法学をやっていたらしい。 先輩は大体喫煙所か、喫茶店か、屋かあるいは酒のあるところにいた。 ロングピースが好きなのだが、予算の都合でエコーばかり吸っていた。でも、彼には煙草を

    せんぱいの話。
  • Galliano's tumblr - 相談者 女子高生 10代 10代の女子高生です。...

    ここはgallianoのtumblrです。 リブログ(もらいもの)がメインの瓦版ですから! 娯楽志向のガセネタも混じります。 記事の真贋は各自でご判断を。 家ブログは> こちら twitterはこちら>@galliano mailはこちら>mail "相談者 女子高生 10代 10代の女子高生です。 父の休日はべる、寝る、テレビの繰り返し。他のことは何ひとつやりません。仕事は自営業で、「忙し い」と言う時期もありますが、一日中テレビがついているようで、ちゃんと仕事しているのか不審です。最 近は夜遅くまでケータイをいじっており、50歳にしてケータイ依存症で、意味がわかりません。 私は物心ついたときから父が嫌いで、母には「お父さんみたいにならないように」と、育てられてきまし た。幼い頃、2月の公園の噴水で私が遊びたがるからと父が遊ばせ、私は肺炎で入院したことがあります。 父への感謝の気持ち

    Galliano's tumblr - 相談者 女子高生 10代 10代の女子高生です。...
  • 新しいことを始めようとするとケチつける人は世界中にいます - My Life After MIT Sloan

    研究でも、起業でも、社内での新しいプロジェクトでも、新規サービスでも、 何か新しいことを始めようとすると、外野から何かとケチがついたりする。 例えば、私が例の修士論文を書き始めた頃は、MITの先生とかは面白いと肩押ししてくれたのだが、 中には「それ、何が新しいの?そんなの10年前から言われてるよ。やる意味あるの?」と言ってくる学生もいた。 ボストンのような学術の街でもこうなんだな、というのは少し驚きだった。 私が書いたのは、コンサルファームにいるとかで、業界全体を色んな角度から良く見ているひとなら、 一度は考えたことがあるかもしれない、良く見られる業界の現象だった。 しかし、現状ではその現象に名前も付いてないし、メカニズムもちゃんと解明されてないので、ちゃんと研究する意味があると私は思ったわけだ。 で、取り組んだ結果、その分野の最先端にいる何人かの先生に、これは面白いから、修論で終わらせず

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