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2013年5月22日のブックマーク (2件)

  • 権利を主張することは図々しいことだ

    なぜなら、権利には義務が伴うからだ…なんて言うと怒られそうだけど、実際「図々しい」ことに間違いは無いと思う。 だって、「私のある権利を認めさせる」ということは、「(私がその権利を行使できるように、)他人に何らかの義務を負わせる」ということでもあるわけだから。 そういう意味で、全く図々しくない権利の主張というのはあり得ない。 だから権利を主張するな、ただただ謙虚であれ…なんていうつもりはもちろん無い。 むしろ、もっと「図々しく」なってもいいんじゃないか、(特に弱者は)完全に「謙虚に」生きることなんて不可能なんだから、と言いたい。 他人に全く迷惑をかけずに、社会で生きていくことはまず不可能だ。もし一切他人に迷惑をかけたくないなら、死ぬしかない。(死なれても迷惑だ、とか言われそうだが) 特に弱者は、謙虚になり過ぎると生きていけなくなる。実際、「心苦しさ」から生活保護を辞退し、母と心中しようとした

    権利を主張することは図々しいことだ
    sumomomimi
    sumomomimi 2013/05/22
    他人に認めさせんことには権利って呼べんからね。原理的に図々しくならざるを得ない。生存権も選挙権も何もかもすべて図々しい。すべてそうなんだからあえて特に図々しいと認識する必要はない。つまり図々しくない。
  • 「ココロのバリアフリー」論は零戦・グラマンの精神論と何が違うのか

    ココロのバリアフリー? 大いに結構! だが。果たしてそのような精神論で現実は回るのだろうか? 日の熟練パイロットが操作する、職人の技で作られた工芸品のような一品物の零戦は マスプロ大量生産未熟なパイロットでも扱いやすいアメリカ戦闘機に敗れたのだ。 「ココロのバリアフリー」論は零戦と何が違うのか。 結局は場当たり的、その場しのぎなやり方を現場に押し付けているだけである。 零戦  = こころのバリアフリー、人力対処 グラマン= 法整備によるバリアフリー対応施設への移行、ハードウェアの改善 と考えればいい。 労働者も高齢化すれば体力も無くなる。 補助すべき人も補助される人と紙一重の高齢化社会で 「ココロのバリアフリー」論といった美名に頼るのは間違いだ。 短期的には現状、バリアフリー対応の施設を載せた情報を集め、サイトを作る。 長期的には法律に沿ったバリアフリー対応施設への完全シフトをする。 と

    「ココロのバリアフリー」論は零戦・グラマンの精神論と何が違うのか
    sumomomimi
    sumomomimi 2013/05/22
    誰が何をどうしようが同じ結果が出る。力こそパワー的なごり押し。合理主義こそが真の脳筋なのであるなあ。そして大抵は脳筋が一番強い。なぜなら使いやすいから。