2015年1月29日のブックマーク (5件)

  • 「手話」というひとつの言語について

    もりたま/ayammin @ayammin 手話でビデオ通話してるのを見てそういう使い方もあったのかーすげーなー、みたいなツイートに、「文字で打つほうが早いだろう」みたいな感想がたくさんついてるの見て、あー、やっぱり手話を「日語の音声を1つずつ手の動きに置き換えてる」だけだと思ってる人って多いんだなあと。 もりたま/ayammin @ayammin 「日語の文章を、英語のアルファベット(ローマ字)を使って書く」みたいなイメージで、手話を「日語を手の動きに置き換えてる」だけだと思ってる人は結構いるみたいだけど、違うからね。むしろ日語と英語みたいなもんで、言語体系からして違う言語です。

    「手話」というひとつの言語について
    suna_kago
    suna_kago 2015/01/29
    「手話は『恥ずかしいけど他に方法がないから仕方なく、ひっそりと使ってる』ものではない。自分達の大切な言葉だから、使いたいから、堂々と使ってるんだよ」
  • 子供が産まれたら漢字1字の名前や読みが2音の名前は付けない方が無難

    もしもその名前が漢字1字の子が結婚する時に名字が漢字1字の物に変わったら、名字1字+名前1字になってバランスが悪い。 そういえばこれのせいで私の小学校の時の担任の先生はからかわれていました。「フルネームが僕の下の名前より短いじゃ〜ん」てな感じで。 読みが2字の名字+読みが2字の名前も同様で、フルネームで読んでみるとなんだか歯切れが悪い。 俳句や短歌が5音と7音で構成されているように、不思議と5音や7音の言葉は歯切れのよい物が多い。字余りの6音や8音もそこそこ。 名字+名前の音数をどんな名字と組み合わせてもも5音から8音の間に収めようと思うと、日の名字は2音〜5音のものが大多数なので3音の名前をつけるのがベターなんでしょう。 なので基的に漢字2字以上かつ読みが3音以上の名前を付けるのが無難かと。 そんなことを我が子の出生届を提出してから気付いてしまった。

    子供が産まれたら漢字1字の名前や読みが2音の名前は付けない方が無難
    suna_kago
    suna_kago 2015/01/29
    そう?
  • ISIS、紀元前700年の遺跡を爆発させた模様

    Assyrian 🔵⚪️🔴 @ashooretah The #Assyrian ancient walls of Nineveh date back to 700BC which have now been destroyed by ISIS. #FreeAssyria pic.twitter.com/qEi40uitPx

    ISIS、紀元前700年の遺跡を爆発させた模様
    suna_kago
    suna_kago 2015/01/29
    やばい。
  • 田母神俊雄 on Twitter: "イスラム国に拉致されている後藤健二さんと、その母親の石堂順子さんは姓が違いますが、どうなっているのでしょうか。ネットでは在日の方で通名を使っているからだという情報が流れていますが、真偽のほどは分かりません。マスコミにも後藤健二さんの経歴なども調べて流して欲しいと思います。"

    イスラム国に拉致されている後藤健二さんと、その母親の石堂順子さんは姓が違いますが、どうなっているのでしょうか。ネットでは在日の方で通名を使っているからだという情報が流れていますが、真偽のほどは分かりません。マスコミにも後藤健二さんの経歴なども調べて流して欲しいと思います。

    田母神俊雄 on Twitter: "イスラム国に拉致されている後藤健二さんと、その母親の石堂順子さんは姓が違いますが、どうなっているのでしょうか。ネットでは在日の方で通名を使っているからだという情報が流れていますが、真偽のほどは分かりません。マスコミにも後藤健二さんの経歴なども調べて流して欲しいと思います。"
    suna_kago
    suna_kago 2015/01/29
    親子の苗字が違うことくらい普通にありうるし様々な事情も考えられる。どうしていきなり在日云々に話が飛ぶのか分からない。田母神氏自身も離婚調停中ではなかったか。
  • 句点が嫌いだ

    わたしはとにかく句点が嫌いだ あれを文中に用いることは、文章を作り上げることに対する怠惰だと思っている 一つのことを表現したければ潔く一つの文章を作り上げるべきであり、それを疎かにするようにすました顔で現れる句点をみていると文の内容にかかわらずそれだけで筆者の底が知れてしまうような気になってしまう 長い文章を、それでいて読みづらくなくすとんと頭に入ってくるようにリズムよくつむぎ出せることが文章力なのではないか 当然表現方法の一つとして否定するわけではなく、ここぞという時に今までの流れの一切を断ち切るようにあらわれる句点の使い方には頭が下がる わたしが言いたいことは、終わりもしない、変化もしない文章のつながりにあらわれる句点がどうしても許せないということだ 大げさな話をすれば、句点を打つということはその文章の流れに死を与えるものと同意なのだ その覚悟なく、水気とコシのないそばのようにぶつぶ

    句点が嫌いだ
    suna_kago
    suna_kago 2015/01/29
    この文章は句点を改行で代用しているだけだと思う。それでは句点を使用しているのと何も変わらないのではないか。個人的には読点を打つタイミングがいちばん気を使う。