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2015年6月29日のブックマーク (2件)

  • すごい事は、やってみなければわからない – 愛の日記

    ここのところZipcarというカーシェアリング会社の戦略を策定している。そこでの悩みのひとつは、カーシェアリングはまだまだ「産業」と呼べる大きさではないので戦略を立てるためのデータがない事である。ちらほらアナリストが分析を始めたがデータは間違いだらけ。産業をつくっている僕たちがデータを作らないと無いのである。僕たちに、カーシェアリング産業というものが作れるだろうか?それは、やってみないとわからない。 ちなみに僕は、これから世の中を進歩させるすごい事のほとんどが、やってみなければわからない事だと思っている。僕にとっての「すごい事」と「すごくない事」を対比するために、僕の頭の中にある「成功の要因」を分解してみたい。これには3つある。 知っていたから成功した事。多くの企業が高学歴を好むのは、知っていれば成功できることがたくさんあるからである。 論理的に考えたから成功した事。「知っていること」を統

    suna_zu
    suna_zu 2015/06/29
    「すごい事」の定義。それは「やってみなければわからない事」。わからない事をどうやってやるんだ?じゃなくてわからないってことがわかる人なんだな。それは天才だな。
  • webのフラットさによる暴力はweb自体によって去勢されるという微かな希望

    昨日のエントリの続きです。 前回の内容をものすごい端折ってまとめてみると、 1 テクストは常に「誰か」が書いたもの(「誰か」を想定することなしに、わたしたちは意味を意味として受け取ることができない) 2 そのテクストを「誰が」書いたかは質的ではないが、「誰か」がテクストの有意味性を保障する唯一の砦であるため、「誰か」はすぐさま「誰が」を呼び出してしまう。 といったところでしょうか。 あるいは次のように言うこともできるでしょう。 「誰か」は「誰が」に対し論理的に先行するが、わたしたちは「誰が」抜きで「誰か」を認識することができない。 こういう「厳密には間違っている具象」と「正確だがわかりにくい抽象」が制しあっているような風景というのは色々なところに見られて、わたしはよく三角形のことを考えます。 わたしたちは三角形を見たことがあるでしょうか? 中一くらいまでの子供にそう尋ねると、大抵はき

    suna_zu
    suna_zu 2015/06/29
    テクストをそれだけで読む。でも、それをテクストだと思うために誰かが書いたと思わなければならない、そして、誰が書いたかが具体的で強くて気になってしまう。順番は1それ→誰が2それ→誰か→誰が3それ→誰か4それ