タグ

2021年4月7日のブックマーク (2件)

  • 「映画を倍速で見ることのなにがわるいのか」ROUND2 - obakeweb

    noteに「映画を倍速で見ることのなにがわるいのか」という記事を載せたら地味に伸びたうえ、森さん、松永さん、ネットユーザーの皆さんからそれぞれコメントを頂いたので、いくつか応答しておく。 1.「人それぞれ論法」「たとえ論法」はやめましょう noteでは、倍速肯定派の「人それぞれ論法:どう見ようが自由でしょ」および倍速否定派の「たとえ論法:映画を倍速で見るとか、アレと同じようなもんだぞ」に関して、「こういう論法は議論にならないので、やめましょうね」と指摘している。私の指摘があまり説得的ではなかったのか、はなから読んでいないのか、Twitterやはてブにおける反応の多くはこういった「人それぞれ論法」「たとえ論法」を焼き増したようなものであった。おかげで、肯定派にも否定派にもこっぴどくマウントされたわけだが、この手の反応は「議論なんてしたくない」というのが実態だろうから、特に言えることはない。(

    「映画を倍速で見ることのなにがわるいのか」ROUND2 - obakeweb
  • 映画を倍速で見ることのなにがわるいのか|obakeweb

    以下は2020年3月に書いたまま放置していたドラフトだ。ちょうど『現代ビジネス』で同じ話題を扱った記事がバズっていたので、この機に多少手を加え、成仏させておく。 上の記事で問題視されている「「10秒飛ばし」で観る」「1.5倍速で観る」のうち、私は後者のみを擁護するつもりだ。「10秒飛ばし」を含む鑑賞は、あとで論じる「回復可能な鑑賞」に該当しないと考えられる点で、私にとっても「わるい」鑑賞である。よってそちらは問題とせず、倍速鑑賞のみを問題とする。 また、上の記事はこれら不適切な鑑賞がはびこっている原因に関して「①作品が多すぎること」「②コスパが求められていること」などを指摘しているが、社会的な風潮の分析も稿の関心事ではない。稿が問題とするのは、「映画を倍速で見ることのなにがわるいのか」という美学的問いのみである。 ―――――――――― 映画を倍速で見ることのなにがわるいのか タイトルは

    映画を倍速で見ることのなにがわるいのか|obakeweb