ブックマーク / nagisa777aoi.hatenadiary.jp (15)

  • 高森天満宮(2)境内を巡る(山口県岩国市周東町緑町) - 何でも見てやろう!瀬戸内海の小さな旅!

    高森天満宮由緒と芭蕉の句碑。一の鳥居近くにあります。由緒は、主神【菅原道真公】、社祠(しゃし・神をまつる殿舎)を建立した蓮華山総持寺住職・活宗和尚、高森天満宮を創立した通化寺住職・戒文禅師について記されています。【他の写真】 芭蕉の句碑。「一声の江に横たふやほととぎす」。元禄六年(1693年)、【松尾芭蕉】が50歳の時に詠んだ句です。「ホトトギスが鋭く鳴いて大河の上を飛び過ぎて行き、その声の余韻が消えずに水の上に横たわっているようだ」と詠まれています。【他の写真】 高森天満宮改築記念碑。高森天満宮は昭和36年7月に改築されました。その後、昭和53年に現在のような赤い近代色に塗り替えられました。【他の写真】 戒文禅師の碑。参道東側にあります。明治初年の頃、通化寺住職だった戒文禅師が総持寺に隠居して寺小屋を開設し、学問の神様を主神とする天神様を復興して高森天満宮を創立しました。【他の写真】 人

    高森天満宮(2)境内を巡る(山口県岩国市周東町緑町) - 何でも見てやろう!瀬戸内海の小さな旅!
    suoaei
    suoaei 2021/08/29
  • 高森天満宮(1)宇野千代の愛した神社(山口県岩国市周東町緑町) - 何でも見てやろう!瀬戸内海の小さな旅!

    天神橋。島田川にかかるこの天神橋を渡ったところに高森天満宮があります。高森は、明治22年に高森村が発足。大正13年玖珂郡高森町。昭和30年に合併し玖珂郡周東町。その後、平成18年再合併し岩国市周東町になりました。【他の写真】 天神橋から島田川を望む。島田川の左側に展開する集落は周東町の差川上中曽根地区。作家【宇野千代】の父の実家が高森にあり、千代は幼少期、この島田川で遊んでいました。【他の写真】 高森天満宮。防府天満宮(防府市)、遠石八幡宮(周南市)と並んで、高森天満宮は周防の国(山口県東南部)の三大天神の一つです。主神は学問の神様、菅原道真公。大山祇命(おおやまつみのかみ・山の神)も祭祀されています。【他の写真】 高森天満宮<一の鳥居・昭和57年建立>。高森天満宮は作家・宇野千代が好んで参拝しました。宇野千代は父の生家がある高森をよく訪れました。著書「或る一人の女の話」の一節には「なぜあ

    高森天満宮(1)宇野千代の愛した神社(山口県岩国市周東町緑町) - 何でも見てやろう!瀬戸内海の小さな旅!
    suoaei
    suoaei 2021/08/20
  • やまだ屋もみじファミリーパーク(2)ふれあい広場、こども広場、エントランス広場、多目的広場(広島県廿日市市沖塩屋) - 何でも見てやろう!瀬戸内海の小さな旅!

    やまだ屋もみじファミリーパークの芝生広場から、ふれあい広場(テニスコート)、多目的広場(イベント広場・運動場)を望む。ふれあい広場の右手にこども広場が広がっています。また、多目的広場の向こうには石の広場があります。 ふれあい広場。テニスをやっていました。バーゴラがあるので、休憩やテニス観戦もできます。左側には広い小田島グラウンドが広がっています。【他の写真】 こども広場。カラフルな複合遊具が設置してあり、すべり台、うんてい、ターザンロープや、ロッククライミングなどがありました。【他の写真】 こども広場にはバーゴラの休憩所や砂場もありました。【他の写真】 エントランス広場。公園の入口で、やまだ屋もみじファミリーパークのネームプレートや休憩所があります。右手の道路の向こうは海(入江)です。【他の写真】 エントランス広場にはハツユキカズラが広がっていました。ピンクと白の新芽が花のようにきれいでし

    やまだ屋もみじファミリーパーク(2)ふれあい広場、こども広場、エントランス広場、多目的広場(広島県廿日市市沖塩屋) - 何でも見てやろう!瀬戸内海の小さな旅!
    suoaei
    suoaei 2021/08/04
  • やまだ屋もみじファミリーパーク(1)ピクニック広場、芝生広場(広島県廿日市市沖塩屋) - 何でも見てやろう!瀬戸内海の小さな旅!

    やまだ屋もみじファミリーパーク(小田島公園)にやって来ました。この公園は元々「小田島公園(おたじまこうえん)」という名称でしたが、ネーミングライツにより2019年4月から「やまだ屋もみじファミリーパーク」に変わりました。ネーミングライツとは、公共施設(スポーツ施設や公園など)の命名権を企業が買うビジネスで、自治体としては施設建設費用や維持費を買取企業が請け負いますので、経費節減になります。一方、企業としては来場者に自社の企業名やブランドを知ってもらうことで大きな宣伝メリットがあります。【他の写真】 ピクニック広場から瀬戸内海の大野瀬戸を望む。やまだ屋もみじファミリーパークは瀬戸内海に面して造られています。大野瀬戸の向こうの大きな島は、宗像三女神(むなかたさんじょしん)が御祭神の厳島神社(世界文化遺産・国宝・日三景)がある宮島(厳島)です。【他の写真】 小高い丘になっているピクニック広場。

    やまだ屋もみじファミリーパーク(1)ピクニック広場、芝生広場(広島県廿日市市沖塩屋) - 何でも見てやろう!瀬戸内海の小さな旅!
    suoaei
    suoaei 2021/07/27
  • 岩国石人形資料館(2)所縁の人々(山口県岩国市横山) - 何でも見てやろう!瀬戸内海の小さな旅!

    岩国石人形資料館<来館者の色紙・記念品・写真・文化コーナー>。資料館を訪れた作家、俳優、芸能人、歌手、タレント、スポーツ選手などの色紙、記念品、写真などが展示してあります。 上の列には南方一枝と吉耐天の漢詩、柳沢慎吾、池乃めだか、田中健の色紙と写真、その下には、資料館館長・横田馬鹿一さんの絵画が並んでいます。下のガラスケースには宮和知の色紙と写真があります。【他の写真】 藤あや子、妹尾河童、IKKO、JOY、マイケル富岡、地井武男などの色紙、写真などがありました。【他の写真】 宇野千代の写真と短歌、高木春山の「草図説」解説、横田馬鹿一さんの絵画などがありました。【他の写真】 報道、マスコミ等の色紙コーナー。 岩国石人形資料館が取材を受けたテレビ局の番組の色紙も多数ありました。【他の写真】 山田新川の漢詩。【他の写真】 南方一枝の漢詩。【他の写真】 横田馬鹿一さんの短歌。【他の写真】

    岩国石人形資料館(2)所縁の人々(山口県岩国市横山) - 何でも見てやろう!瀬戸内海の小さな旅!
    suoaei
    suoaei 2021/07/16
  • 岩国石人形資料館(1)300年以上の石人形文化を伝承(山口県岩国市横山) - 何でも見てやろう!瀬戸内海の小さな旅!

    岩国石人形資料館。錦帯橋近くの錦帯橋いざない街道沿いにあります。錦川の錦帯橋下付近の川の中で採れる石人形(人の形に似た石)を展示しています。また、石人形の研究資料や、伝説、歴史、漢詩、和歌、俳句などの文化資料も展示。石人形のお土産も販売しています。「馬鹿石の店」の”馬鹿石”は資料館の館長さんの雅号。【他の写真】 館内カウンターで来館者に対応中の館長・横田馬鹿石(雅号)さん。横田館長さんに館内を案内していただきました。ちなみに、横田館長さんは、武者小路実篤の小説の作中人物”馬鹿一”の生き方に共鳴して”馬鹿石”という雅号にされたそうです。【他の写真】 資料館の館内は分野別にきれいに整理され、石人形の研究資料や関連資料が展示してありました。石人形は江戸時代から錦帯橋土産や、お守りとして知られており、現在まで300年以上の文化が伝承されています。 石人形や資料館に関する、新聞、雑誌等の報道資料。錦

    岩国石人形資料館(1)300年以上の石人形文化を伝承(山口県岩国市横山) - 何でも見てやろう!瀬戸内海の小さな旅!
    suoaei
    suoaei 2021/07/07
  • 初夏の錦帯橋(3)河畔の群像(山口県岩国市岩国) - 何でも見てやろう!瀬戸内海の小さな旅!

    剣豪 佐々木小次郎の像(吉香花菖蒲園)。後方の城山の山頂には岩国城が見えます。錦川河畔や錦帯橋周辺には銅像や石碑があちらこちらにあります。吉川英治の小説、「宮武蔵」には、「先祖以来、岩国の住、姓は佐々木といい、名は小次郎と親からもらい……」と書かれています。これが、佐々木小次郎が周防岩国出身である由縁ですが、福岡県や福井県なども出身地とされています。生年が不詳の為、享年も不詳ですが、史実では慶長17年4月13日(1612年5月13日)、山口県下関市の巌流島(関門海峡)で武蔵に敗れて亡くなったと記されています。【他の写真】 巌流ゆかりの柳(錦帯橋近くの錦川河畔)。佐々木小次郎は元々「岩流」と名乗り、後に「巌流」と改名しました。小説「宮武蔵」では、秘剣「つばめ返し」は錦川の河畔で揺れる柳の枝を切り、水辺を素早く飛び交うツバメを切り落とすことで編み出したと伝えられています(他の地域で編み出し

    初夏の錦帯橋(3)河畔の群像(山口県岩国市岩国) - 何でも見てやろう!瀬戸内海の小さな旅!
    suoaei
    suoaei 2021/06/26
  • 初夏の錦帯橋(2)周辺風景(山口県岩国市岩国) - 何でも見てやろう!瀬戸内海の小さな旅!

    吉香公園入口。向いの山は岩国城のある城山。錦帯橋の西側、横山地区には広大な吉香公園がありますが、今回は錦帯橋の河畔や近くの風景、建物、商店などを巡りました。なお、錦帯橋周辺は、6月18日、国重要文化的景観に選定されることが決まりました。 ソフトクリーム専門店「佐々木屋小次郎商店」(吉香公園入口)。れんこんコロッケや岩国寿司なども販売しています。佐々木小次郎にちなんだお店です。吉川英治の小説「宮武蔵」では、佐々木小次郎は岩国出身となっています。 ソフトクリームとお事の店「むさし」。巌流島で決闘した佐々木小次郎の相手、宮武蔵にちなんだお店。岩国寿司とセットの各種定もあります。「佐々木屋小次郎商店」と仲良く並んでいます……?(並んでいると言っても、距離は少し離れています)。 錦帯橋河畔。石垣が苔むしています。桜の名所です。錦帯橋河畔はとても広く、散歩する人も多く見られました。毎年4月下旬

    初夏の錦帯橋(2)周辺風景(山口県岩国市岩国) - 何でも見てやろう!瀬戸内海の小さな旅!
    suoaei
    suoaei 2021/06/17
  • 初夏の錦帯橋(1)錦帯橋八景(山口県岩国市岩国) - 何でも見てやろう!瀬戸内海の小さな旅!

    橋の西側(横山地区・吉香公園)から錦帯橋(きんたいきょう)を望む(右が下流)。初夏の錦帯橋に来ました。山口県最大の大河である錦川に架かる錦帯橋は、日三名橋(東京の日橋、長崎の眼鏡橋、岩国の錦帯橋)の一つです。 橋の東側(岩国市街地)から錦帯橋を望む(左が下流)。後方の城山(200m)の山の上には桃山風南蛮造りの岩国城の天守閣が小さく見えます。錦帯橋は1673年(延宝元年)、岩国藩3代目藩主・吉川広嘉(きっかわ・ひろよし)公により創建されました。翌年流出しましたが、すぐに再建されました。以来、1950年(昭和25年)9月のキジア台風により流出するまで276年間、その威容を保ちました。流出後、錦帯橋は1953年に再建されました。その後、2001年(平成13年)~2004年(平成15年)に「平成の架替事業」が行われ現在に至っています。【他の写真】 錦川上流から錦帯橋を望む。屋形船がひっそりと

    初夏の錦帯橋(1)錦帯橋八景(山口県岩国市岩国) - 何でも見てやろう!瀬戸内海の小さな旅!
    suoaei
    suoaei 2021/06/06
  • 清流通り(2)水車小屋~鹿野総合支所(山口県周南市鹿野上) - 何でも見てやろう!瀬戸内海の小さな旅!

    「清流通り」の水車小屋を通り過ぎました。鹿野総合支所まで歩いて行きます。山頭火の「どうしようもない私が歩いている」の句の如く、ぶらぶらと歩いて行きます。この「清流通り」は鹿野の観光スポットとして整備され、平成6年に完成しました。 二所山田神社(にしょやまだじんじゃ)入口までやって来ました。明治時代の二所山田神社21代目宮司、宮重胤(みやもと・しげたね)は、神道には女性をけがれとみなす思想がなかったことから、いち早く”男尊女尊”を唱え、女性神主の登用と女性の地位向上を主張しました。【他の写真】 二所山田神社前には「女子道」の石碑がありました。明治38年、宮重胤宮司は女性の自立のための全国組織「大日敬神婦人会」を設立。明治39年、その機関誌「女子道」を発刊(昭和17年まで)し、女性の地位向上と女性の権利を擁護する主張を展開、女性参政権も提言しました。また、おみくじを、これらの活動資金とし

    清流通り(2)水車小屋~鹿野総合支所(山口県周南市鹿野上) - 何でも見てやろう!瀬戸内海の小さな旅!
    suoaei
    suoaei 2021/05/24
  • 清流通り(1)漢陽寺~水車小屋(山口県周南市鹿野上) - 何でも見てやろう!瀬戸内海の小さな旅!

    「清流通り」から漢陽寺を望む。清流通りにやって来ました。標高380mの高原なので、空気がとても澄んでいます。漢陽寺の裏山にある「潮音洞」(ちょうおんどう・山口県指定文化財)は、年中水不足の鹿野集落のために、江戸時代初期の1651年、代官・岩崎想左衛門重友が中国山脈から流れ出た錦川上流から水路を引き、漢陽寺の裏山にトンネルを掘り、1654年に完成させた導水路です。この潮音洞から鹿野集落に用水路が引かれたのです。その清流が、367年を経た現在も農業用水として鹿野の人々の暮らしを潤しています。 今から「清流通り」を散策します。通りの左側に用水路があります。「潮音洞」から引かれた用水路沿いに、漢陽寺から鹿野総合支所までの約600mが、「清流通り」として整備され、四季折々の自然と文化・史跡の散策道となっています。「潮音洞」と「清流通り」は平成20年に環境省により「平成の名水百選」に認定されています。

    清流通り(1)漢陽寺~水車小屋(山口県周南市鹿野上) - 何でも見てやろう!瀬戸内海の小さな旅!
    suoaei
    suoaei 2021/05/16
  • 漢陽寺(3)高僧と名将と巨匠、古刹の礎の軌跡(山口県周南市鹿野上) - 何でも見てやろう!瀬戸内海の小さな旅!

    臨済宗・鹿苑山漢陽寺(ろくおんざん・かんようじ・杉村宗一住職)。法堂から堂を望む。南北朝時代(室町時代)の応安7年(1374年)、周防・長門・石見国(中国地方)の守護大名・大内弘世(おおうちひろよ)がこの地に鹿苑庵(ろくおんあん)を建てたのが漢陽寺の起こりです。弘世公は石見の国の高僧、用堂明機禅師(ようどうみんきぜんじ)を懇請し、漢陽寺の初代住職に迎えました。その後、大内家26代当主・大内盛見(おおうちもりはる・大内弘世の6男)が当地に漢陽寺を開基・建立しました。【他の写真】 堂の須弥壇(しゅみだん)には中央にお釈迦様、左に開基・大内盛見公、右に開山・用堂明機禅師の像が祀ってあります。漢陽寺は明治初期まで、臨済宗用堂派の山として、約200カ所の末寺を有していました。現在は京都東山の南禅寺が山となっています。【他の写真】 【用堂明機禅師(ようどうみんきぜんじ)の像】。用堂明機禅師(1

    漢陽寺(3)高僧と名将と巨匠、古刹の礎の軌跡(山口県周南市鹿野上) - 何でも見てやろう!瀬戸内海の小さな旅!
    suoaei
    suoaei 2021/05/05
  • 漢陽寺(2)歴史的建造物と伝説を巡る(山口県周南市鹿野上) - 何でも見てやろう!瀬戸内海の小さな旅!

    臨済宗・鹿苑山漢陽寺(1374年創建)。漢陽寺参道の正面には歴史的な山門が聳え、参道の左には伝説の鏡池、右には桃山時代様式の「曹源一滴の庭(そうげんいってきのにわ)」。歴史的建造物と伝説の名刹が、私達をあたたかく迎えてくれました。【他の写真】 鏡池。伝説の池には鯉が沢山泳いでいて、心が癒されました。【伝説】漢陽寺の開山(最初の住職)・用堂明機禅師(ようどうみんきぜんじ)が中国で修業後、1346年、帰国する船が大嵐に遭遇し難破しそうになりました。その時、観音様から「大切な2品を天空に放て。さすれば難を逃れる。いずれ、その2品が落下せし地に寺を建てることになる」とお告げがあり、出国のとき母から頂いたお守りの「八葉の鏡」と帰国前に恩師から頂戴した「カヤの木の実の念珠」を、お告げ通り、空高く投げました。すると海は鎮まり無事帰国できました。それから30年後、大内の殿様が祈願所を建立するため用堂明機禅

    漢陽寺(2)歴史的建造物と伝説を巡る(山口県周南市鹿野上) - 何でも見てやろう!瀬戸内海の小さな旅!
    suoaei
    suoaei 2021/04/27
    setono kabutogani さん、いつもありがとうございます。
  • 漢陽寺(1)“昭和の雪舟”重森三玲の六つの庭(山口県周南市鹿野上) - 何でも見てやろう!瀬戸内海の小さな旅!

    鹿苑山・漢陽寺(ろくおんざん・かんようじ)。参道より山門を望む。臨済宗南禅寺派の寺院である漢陽寺は、室町時代の1374年、後に中国地方を支配する大内氏により祈願所として創建されました。正式名称は、大山南禅寺派別格地鹿苑山漢陽寺。漢陽寺は瀬戸内海沿岸の周南市中心街から約40km内陸の標高約380mの高原にあります。 漢陽寺法堂より堂を望む。漢陽寺先代住職・杉村五由(すぎむら・ごゆう)さんに案内していただき、お話を伺いました。以前から“昭和の雪舟”と呼ばれた重森三玲氏の日庭園に魅せられていた杉村五由さんは、宇部市の宗隣寺で重森氏に面会、熱心に作庭を依頼しました。その結果、重森氏は「日に無いものをやりましょう」と応じました。以後、重森氏は5年の歳月をかけて調査、設計、作庭し、漢陽寺に六つの異なった様式の日庭園、「曹源一滴の庭」「曲水の庭」「地蔵遊化の庭」「蓬莱山池庭」「九山八海の庭」「

    漢陽寺(1)“昭和の雪舟”重森三玲の六つの庭(山口県周南市鹿野上) - 何でも見てやろう!瀬戸内海の小さな旅!
    suoaei
    suoaei 2021/04/15
    setono kabutoganiさん、いつもありがとうございます。
  • 光市文化センター(3)常設展示場(山口県光市光井9丁目) - 何でも見てやろう!瀬戸内海の小さな旅!

    歴史民俗展示室(常設展示場)。「ふるさとの歴史と人々のくらし」をテーマに、光市の古代から太平洋戦争終了までを歴史的に展示されています。 人間魚雷「回天」(訓練用)の頭部。「回天」は全長14.7m、直径1m、排水量8トンの有人の特攻兵器です。ここに展示されている頭部には、出撃時には1.55トンの炸薬(火薬)が装填されます。威力は戦艦でも撃沈できます。太平洋戦争末期には、光市に人間魚雷「回天」の基地があり、実際に出撃しています。【他の写真】 当時の光海軍工廠(海軍の兵器や爆弾などを開発・製造する工場)の資料も展示されていました。写真や工員募集のポスターもありました。【他の写真】 光海軍工廠貨物取扱場建物の鉄骨柱の一部。アメリカ軍の空襲で、機銃掃射による弾痕(丸い穴)が残っています。【他の写真】 光市出身の偉人コーナー。清水宗治(しみず・むねはる・戦国時代の武将)、難波覃庵(なんば・たんあん・明

    光市文化センター(3)常設展示場(山口県光市光井9丁目) - 何でも見てやろう!瀬戸内海の小さな旅!
    suoaei
    suoaei 2021/04/06
  • 1