松本清張『北一輝論』(ちくま文庫)の解説を書いている筒井清忠氏によると、本書が出版された一九七〇年代半ば頃には「一種の北一輝ブームが起こっていた」らしい。たとえば「村上一郎の『北一輝論』が典型だが、それらは北一輝に対する共感を含んだ評価を生み出していた」という事情があり、「松本がこうした風潮に水をさすことを目的として本書を執筆したことは、間違いのないところ」だと筒井氏はいう。 松本清張氏は、北一輝の理論的な混乱や矛盾を逐一指摘し、しつこいくらいに「ダメ出し」している。それはほとんど痛快なくらいである。私も北一輝や二・二六事件に対して、「共感」を感じるところはほとんどない。ただ、日本近代史の「暗部」や「謎」として、興味をかきたてられるところがあるにすぎない。おそらくそれは、北一輝がいわば「天皇その可能性の中心」を見出したことに関わっている。だが北は、国体論批判において、明治期の宗教的・神話的