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天皇に関するsuteadokakuのブックマーク (2)

  • 松本清張の北一輝批判 - heuristic ways

    清張『北一輝論』(ちくま文庫)の解説を書いている筒井清忠氏によると、書が出版された一九七〇年代半ば頃には「一種の北一輝ブームが起こっていた」らしい。たとえば「村上一郎の『北一輝論』が典型だが、それらは北一輝に対する共感を含んだ評価を生み出していた」という事情があり、「松がこうした風潮に水をさすことを目的として書を執筆したことは、間違いのないところ」だと筒井氏はいう。 松清張氏は、北一輝の理論的な混乱や矛盾を逐一指摘し、しつこいくらいに「ダメ出し」している。それはほとんど痛快なくらいである。私も北一輝や二・二六事件に対して、「共感」を感じるところはほとんどない。ただ、日近代史の「暗部」や「謎」として、興味をかきたてられるところがあるにすぎない。おそらくそれは、北一輝がいわば「天皇その可能性の中心」を見出したことに関わっている。だが北は、国体論批判において、明治期の宗教的・神話的

  • 「国体論」と『堕落論』 - heuristic ways

    清張『北一輝論』によると、北が二三歳のときに書いた『国体論及び純正社会主義』が出版されると、「福田徳三、矢野竜渓、田川大吉郎、河上肇などが北に手紙を寄越し、片山潜が雑誌「光」にこれを紹介して好意的な批評をした」という。福田らの評言を読んでも、「北が最も情熱を傾けた「国体論」すなわち天皇制分析については一言もふれるところがない」が、「しかし、実はこれが諸家に与えた衝撃であった」と松氏は推測している。 松氏自身も、第四編「所謂国体論の復古的革命主義」に関して、「明治三十八、九年まで、だれが天皇制の歴史に対してこれほど科学的な解剖をしたであろうか。日露戦争で日が勝ち、天皇制の神格化がますます鞏固になった時点で、この史的批判を敢えて試みたところに「国体論」のユニークさと北の勇気がある」と高く評価している。実際、この第四編のために、『国体論―』は発禁となるのである。 ところで松氏は、北が

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