短歌の評以外の文章を書くのは気が進まない。 しかしこうなってくると(実はすべてにおいてそうなのかもしれないが)、書かないことはあえて書かないことに近い。短歌は(諸説あるが、今のところ僕が考えるかぎり)つまるところ人間という存在と切り離すことのできないもので、人間は人間社会から絶えず影響を与え続けられるものである。したがって、短歌を読むためには人間社会に関する最低限の理解を持っていなくてはいけない。短歌と人間社会の接続を認めないためには、明らかにあらわれている何らかをあえて無視することしか道はない。それはあんまり意味のない営為である。 どこまでも人間や人間社会から逃げられないことにはため息をつきたくもなる。 × さいきん考えてきたことを簡潔に述べると以下のようになる。新型コロナウイルス感染症という経験は、現代人が相対した近年まれにみる強烈な気晴らしだった。僕たちの辛い辛い退屈をかき消してくれ