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内田樹に関するsuzukichihiroのブックマーク (4)

  • 露天風呂から桜島 - 内田樹の研究室

    鹿児島での九州の高校の公民科の先生たちの集まりで講演。 鹿児島には梁川くんがいるので、90 年から後何度も訪れた。去年も鹿児島大学で講演して、黒豚をべて、美味しい泡盛を飲んだ。 今回は城山観光ホテルに投宿。宴会&露天風呂付きである。 講演がなければプチ・バカンス気分である。 あ、こういうことをフランス語の教師が書いてはいけないね。 「休暇」という意味の「バカンス」は通常複数形で用いられるから、あえて表記すれば petites vacances「プティット・ヴァカンス」で「プチ・バカンス」ではない。 フランス語の表記の間違いはたいへん多い。ほとんどすべての看板のフランス語は間違っていると言って過言ではないくらいだ。 家の近所に La Tour Blanc 「ラ・トゥール・ブラン」というレストランがある。 「白い塔」というつもりなのだろうが、tour は女性名詞であるから、これは La To

    suzukichihiro
    suzukichihiro 2009/08/07
    「ノイズ-シグナル変換」
  • 「父」からの離脱の方位 - 内田樹の研究室

    『1Q84』は記録的な売れ行きらしい。 今の段階で、発売一週間で96万部。 ミリオンを超えることは確実で、『ノルウェイの森』の450万部という記録を塗り替えるかもしれない。 おそらくメディアはこれから、このの文学作品としての意味より、なぜこれがこれほどの社会的な「事件」を引き起こしたのかの方に多くの紙数を割くようになるだろう。 メディアが『1Q84』を「事件」として扱い、膨大な非文学的言説が行き交うようになる前の短い空白の間に、この作品についてまだ誰の感想も聞いていないイノセントな状態で、自分ひとりの感想を書き付けておきたい。 ムラカミ・ワールドは「コスモロジカルに邪悪なもの」の侵入を「センチネル」(歩哨)の役を任じる主人公たちがチームを組んでい止めるという神話的な話型を持っている。 『羊をめぐる冒険』、『ダンス・ダンス・ダンス』、『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』、『アフ

  • まず隗より始めよ - 内田樹の研究室

    授業の合間に取材が二つ。 ひとつは三菱系のシンクタンクから「10 年後の日はどうなるか」というテーマで。もうひとつは資料請求者に配布するリーフレットの「神戸女学院大学って、こんな大学です」というパブリシティ。 両方で同じような話をする。 同じ人間が続けて話をしているのだから、内容が似てくるのは当たり前であるが、それにしてもそれは「10 年後の日が神戸女学院大学のような社会になる(といいな)」というふうに私は考えているということを意味している。 何を荒誕なことを、と笑う人がいるかもしれないが、これは私にとってはごく自然な考え方である。 今自分がいる場所そのものが「来るべき社会の先駆的形態でなければならない」というのはマルクスボーイであったときに私に刷り込まれた信念である。 革命をめざす政治党派はその組織自体がやがて実現されるべき未来社会の先駆的形態でなければならない。 もし、その政治党派

  • マルクスはいいぞお - 内田樹の研究室

    新規の仕事は受け付けないと言っておきながら、木曜の午後に仕事の打ち合わせの予定が入っていた。 学で経済学を講じている石川康宏先生(このブログでは「ワルモノ先生」という通称で繰り返し登場しているが)と共著でを出そうという企画が持ち込まれたのである。 ワルモノ先生は人も知るマルクス主義者である。 それも “代々木の森の” マルクス主義者である。 『前衛』に資論について研究論文を寄稿するような、「保証書付き」の正統派のマルクス主義者である。 そういう方から私に「いっしょにマルクスについてのを書きませんか?」というオッファーがなされたのである。 これはお受けせざるを得まい。 私は社会理論としてのマルクス主義の政治的有効性にはひさしく懐疑的であるが、カール・マルクスというひとの天才的知性には高校生のときから変わらぬ敬意を抱いているからである。 その人の立てた理論が歴史的反証事例によって失効し

    suzukichihiro
    suzukichihiro 2008/11/08
    『「確信は持てないが腹を決める」ということがどこかでなされねばならぬ。』
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