ブックマーク / suzukiyuta3104.hateblo.jp (92)

  • 大変ご無沙汰しております。 - suzu@kick diary

    お久しぶりです。 以前こちらでブログを書いておりました。 プロキックボクサーを引退して、そしてブログを終了してからもう一年以上経ってしまいました。こちらで温かい言葉をいただき、たくさんの応援をしてくださったにも関わらず、一方的で自分勝手な終わらせ方であったと思っています。すみません。。 毎日でなくてもいいから定期的に更新しようと決めて始めたブログ。当初は、選手はチケットを買ってもらわないと収入につながらないため、チケットを売るための手段として、戦略的にブログを使っていこうと意図していました。しかし、始めてすぐその方向性でいくのはやめようと思ったのです。 単純にその目的のみでブログを更新するよりも、キックボクシングという競技を広めるためにたくさんの人に読んでもらい、それを通じて様々な人と交流をすることが楽しかったからです。そのため、チケットは副次的な目的とし、試合の単なるお知らせなどだけでは

    大変ご無沙汰しております。 - suzu@kick diary
    suzukiyuta3104
    suzukiyuta3104 2020/10/17
    とても懐かしいお名前ばかり。会ったこともない皆さんと親しみをもつことができたのは心のあるやり取りができたからこそです。ブログを通じて自分が知らない世界をたくさん見ることができました。またどこかで!
  • 報告 - suzu@kick diary

    今回の記事は、もうずっと前からここで言わなきゃいけないと思い続けていたことです。 記事は出来上がっていたのですが、今日こそは今日こそはと毎日思いながらも、なかなか更新ボタンを押すことができず、今に至ってしまいました。 そして、これがブログ最後の更新となります。 書き続けたら長くなってしまって、削ってはみたもののそれでもやはりまだ長い文章のままでしたので、お時間ある時にお読みいただければと思います。。 実は眼の見え方に関して以前から違和感がありました。 視界が二重に見える、近くのものが見づらいなどです。 その症状は、去年の春過ぎたあたりから更に悪くなってきている、そう感じました。 ずっと長い間、気にはしていたのですが、安易な自己判断や時間の経過に伴う視界の慣れなどがあったのも事実です。 そういったものが僕の来取るべき行動を鈍らせていました。 しかし、一向に見え方が改善しないという不安が僕

    報告 - suzu@kick diary
    suzukiyuta3104
    suzukiyuta3104 2019/02/01
    これまで長らくお読みいただきありがとうございました!!!
  • 大きな声の先生がいた教室 - suzu@kick diary

    これまでに学校でたくさんの先生に教わってきた。 年齢も様々、男の先生もいたし、女の先生もいた。 だけど、どんな先生だったかなと思い出そうとしても、ほとんどの先生はもう忘れてしまった。 ただ、記憶に残っている一人の先生だけは別だ。 中学2年生の時。 担任だった先生が何かの事情でこれなくなった代わりに、臨時で若い新米の先生が赴任してきた。 身長は低めだったけど、ラグビーをやっていたというどっしりとした身体から発する声はとにかく大きく響いた。 その先生の容姿や声音、一挙手一投足は、厚みをもった記憶として今でも覚えている。 僕にないたくさんのものを持っていたからだったのかもなと、なんでその先生のことを好きだったんだろうと考えていたときに、それが浮かんできた。 まっすぐで分かりやすい喜怒哀楽。 大きなよく通る声。 荒れてた学校の中で誰よりも熱く、真剣に生徒と向き合っていた。 「おい、ふざけんなって、

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  • 5本だけの幸せ - suzu@kick diary

    近所に美味しい焼き鳥屋がある。 そのお店はぱくぱくとたくさんべることができるような金額ではない。 その為、当にその時べたいものを熟考して、5だけ注文すると決めて行くようにしている。 僕はカウンターに座ることが苦手なのだけど、ここのお店はカウンターに座りたい。 店主の仕事をする身のこなしを見ているのが好きなのだ。 お店に行くようになって最初の頃、店主の塩の振り方をなんとはなしにみていたら、なんて優しい手の動かし方なんだろうと思った。 ぱっぱっと振るようなやり方ではなく、ゆっくりと手をお肉に近づけては離し、離しては近づけてと、正確にその動作を繰り返しながら塩を全体に振っていた。 材を見る目はまっすぐで、美味しいものを作ることにすごく真剣な人なんだなと思った。 僕はずっと見ていたのだけど、店主の仕事をする一連の動きがとても美しくて、不思議と見飽きることはなかった。 そして、串にさした肉

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  • 焼肉ナイト - suzu@kick diary

    仲の良いメンバーで焼肉をべに行ってきた。 一人はミュージシャンとして、休日はライブ活動でギターをかっこよくかき鳴らし、もう一人は編集者として土日関係なく時間に追われて仕事をしている。 そのため、「今度呑みにいこうよ」とか「すごい店みつけた」と声をかけてから集まるまでに時間を要してしまい、なかなかすぐにみんなで集まってということができない。 各自が忙しいスケジュールを縫って時間を作ってくれるので、その分じゃあこの日に決行しようとなったら、気持ちが自然と弾んでくる。 今でも予定をこうやってあわせて集まれることは実にうれしいものだ。 何べようとかこれ好きかなとか、何時くらいから始めようか、早い時間からでもいいなとか、思いをめぐらしてはお店をスマホで検索したりしてみる。 このメンバーはそれぞれのバックグラウンドだったり、持っている世界観だったりがものの見事に違いすぎていて、なんでこの面子なんだ

    焼肉ナイト - suzu@kick diary
  • 強さについて、あるいは弱さについて - suzu@kick diary

    僕は何故、強くなりたいと思っていたのだろうか。 それは強い人に憧れていたというよりも、むしろ弱い自分が嫌いだったからだ。 小さい頃から、僕は華奢で非力でケンカも弱かった。 その上、気も強くなく、自分からも色んなことからも逃げていた。 そんな自分だから、到底自分のことを好きになることはできず、いつも弱い自分を否定してきた。 あの時僕に力があればな、そうゆう思いが積み重なったその先に、もう変わりたい、強くなりたいという気持ちがどんどん芽生えていったんだと思う。 だからそのために、実に単純ではあるけど、僕は力という実質的かつ実際的な強さを希求するようになった。 強くなり、そして僕自身を肯定したかったのだ。 キックボクシングを始めたのも強くなるための手段であった。 ジムに入ろうと決めたのは26歳の時。 入門するまでに、生来のビビリのためゆうに半年かもしくはそれ以上の時間が経過していたが、今ここで強

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  • 海の近くの映画館 - suzu@kick diary

    逗子の海の近くに小さな映画館がある。 名前はCINEMA AMIGO(シネマアミーゴ)。 映画館と聞くと大きい建物に大きなスクリーンが設置されて、ゆったりした椅子が何列にもわたって整然と並んでいる、そんな絵が浮かんでくるけど、そこの映画館は違う。 海岸近くの住宅地の中に建っている木造の古い一軒家が映画館となっているのだ。 知らずにそこを歩いていたら、え、今の映画館だったのとうっかり素通りしてしまうような、そんな感じの映画館だ。 海岸近くとあって、そこからゆっくり歩いて5分もいけばビーチに出る。 僕はその日逗子にいて、一通り観光した後、その映画館で上映している観たい映画があった。 まだ上映開始まで時間があったので、ビーチに行き、波打ち際を散策することにした。 この日は快晴、日差しは攻撃的であった。 ずっと遠くの方まで続く海の上は光の反射が埋め尽くし、人もカモメもパラソルも浮き輪も見えるもの全

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  • 圧倒的で逞しく、そして美しい - suzu@kick diary

    ここ数ヶ月、東京と静岡の間を新幹線や高速バスで行き来する機会が増えた。 乗車してしばらくすると、静岡に向かうときは車内の右側の窓に、東京に戻るときは左側の窓に富士山がその姿をあらわす。 富士山は僕が見ている距離が隔たった遠いところからでも、いかに巨大なものであるのかがわかる。 見るものに迫ってくるようで、手を思いっきり伸ばせば、もしかしたら届くんじゃないかという、不思議な錯覚を覚える程だ。 車内から見える富士山は、地球の大地を突き破り、上へ上へと空を邁進している。 その存在は圧倒的で逞しく、そして美しい。 どっしりと構え、すそ野を広く遠くに伸ばし、全てを包み込むがごとくだ。 はるか遠い昔、数多の求道者達が水平線に聳え立つ頂きを目指して、足を踏み入れてきた。 以来、人々は富士山を崇め、祈りを捧げる神聖な場として信仰をもち続けて今日に至る。 僕は東京と静岡の往復を重ねる毎に、窓の向こうに見える

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  • 世界によって変えられない自分 - suzu@kick diary

    さらさらと。 生命(いのち)は、両手ですくった砂がすき間からこぼれ落ちるように進んでいく。 砂の落ちる量、スピードは知る由もない。 たしかなことは、砂は落ち続けること。 止まったり、途中で増えたりすることは絶対にないこと。 そもそも手のひらにのった砂がどれくらいあるのか、それは人それぞれ違う。 ゆっくり落ちても、与えられた砂が少なければすぐになくなってしまうだろう。 反対にスピードが速く落ちていく場合でも、与えられた砂がたくさんあれば落ちきるまでには時間は長くかかる。 時間は有限。いつかはここから消える。 僕にどれくらいの時間が用意されているのか、当然わかりはしないが、僕はこの一日一日をできる限りの範囲で記憶にとどめておきたいと思っている。 そのあらわれの一つでもあるけど、以前までは不定期的に書いていた個人的な日記を、今は毎日、寝る前に書いている。 それはありふれた生活の平凡で取り留めのな

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  • あいつはいつも僕の前を走っている - suzu@kick diary

    普段、あいつという人の呼び方は嫌いなので、誰かを呼ぶ時にあいつという人称形式は絶対に使わない。 でも、例外があって、あいつに関してだけは別だ。 言葉を探そうとしても、あいつにはあいつ以外の他の適当な呼び方が見つからないのだ。 あいつとの付き合いは決して仲の良い関係性の上に築かれたものではないのだから。 親しみなんてとてもじゃないがそこには込められない。 そう、あいつはいつだって僕の前を走っている。 僕が息をぜーはーさせて、苦しい表情で足を前に運ぶ力が尽きかけると、あいつは「どうした、もう終わりか?」と言いたげなそぶりをみせて僕を振り返る。 呼吸は落ち着いて、汗ひとつかかずに髪も乱れてもいない。 この間なんかはもっと早くこいよと笑みを浮かべて手招きもしやがった。 それが余計に、僕をいらだたせる。 ちくしょうとなって、またあいつについていこうとむきになって、スピードをあげる。 でも、必死で追い

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  • 『GOGOモンスター』松本大洋 - suzu@kick diary

    ◇-◇-◇-◇-◇-◇-◇-◇-◇-◇ 小学4年生のユキとまことが、春から次の春を迎えるまでの一年間がこのの中で描かれている。 子どもの心を思いださせるような、あるいは取り戻せるような不思議な物語。 ユキは大人には見ることができないあっち側の世界を見ることができる。 それは子どもでも皆が見ることができるわけではない。 夜、校舎の屋上でハーモニカを吹くと、あっち側のヒーロー、スーパースターがユキに会いに来てくれる。 音に合わせてグルグル踊るスーパースターがユキは大好きだ。 周りの生徒はそんなユキをみて、おかしいやつだって馬鹿にするけど、まことはそれが嘘だなんて絶対に思わない。 まことはなんのフィルターも通さないで世界を見ることができて、その瞳はとても綺麗で、優しい心根をもっている。 空たかく飛ぶ飛行機をみて、「あの飛行機はどこへ飛んでいくんだろう」と想像するユキと、「どこから帰ってきたのか

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  • 夏のゲリラ戦と夏の薬膳 - suzu@kick diary

    夏といえば、蚊との終わりなき戦いを僕に想起させる。 今の住居のひとつ前に住んでいた古いアパートはとにかく大変であった。 周りが蒼とした茂みの奥まったところに建っていたせいか、蚊の出撃率は高く、窓を開けようものならどんどん僕の部屋へ侵攻してきた。 窓は開けっ放しにはせず、網戸にしていても、なぜかいつの間にか部屋の中を飛び回っている始末であった。 ブーンとやってきてはペシッと叩くを繰り返しても、ずる賢い蚊はやっぱりいる。 そう寝静まった夜中に活動し始める蚊だ。 ブーンと耳元を飛び回り、追い払っても援軍をよこして、その攻撃は休まることを知らない。 僕に殺傷能力がないとみるや、一斉に体当たり攻撃をしてくるのだ。 時間はもう深夜をゆうに越す、迎撃したいが電気をつけて起こされるのも癪だと思って、タオルケットで頭から足先まですっぽりとくるまる。 刺せるものなら刺してみろとばかりに、完全防護した即席のタ

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  • ニューヨーク 2010年の足跡 - suzu@kick diary

    人種のるつぼ。 多種多様な人々が集まっていることからアメリカはそう呼ばれている。 さまざまな移民や先住民の思想が分裂・発展・統合を繰り返しながら出来た社会。 僕が2010年の秋から冬にかけて滞在したニューヨークではそれが顕著に立ち現れていた。 街ですれ違う人々は肌の色も国籍も言語も違う。 べるものも、手にしている飲み物もそう。 身にまとう衣服もアクセサリーも髪型だって同じものはない。 誰もが個を持ち、個を主張することを知っている。 ピザ屋の軒先でカフェで歩道の途中で、身振り手振りを交えて自分を出す。 そのような光景は昼夜、視界のそこかしこで見られた。 ある時、黒人が僕に近づいてきた。 距離の近さに、思わずたじろぐ。 日より一歩半くらい近い距離感だ。 そして、彼がこう言ったのを見上げながら聞いた。 「ここはニューヨークだ、楽しめ」 自分に正直に生きる。 彼、彼女らのほとんど多くはそれを自

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  • 打つ言葉 - suzu@kick diary

    最近、人からから映画からなど、あ、いいなその言葉がいくつかあった。 (詩人 茨木のり子 「自分の感受性ぐらい」) 自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ →思わず背筋をピンと伸ばして、はいと言ってしまいそうだ。 手元に置いておきたい一冊。 自分に活をいれたくなるときに読もうかな。 言葉にストレートな力がこもっていて、始めて読んだとき、はっとなった。 (人から) 「ため息をついちゃうと、幸せが出ていっちゃうんだよ。 それは周りの人の幸せも持っていっちゃうんだから」 →「ええっ、そうなの」と出て行った幸せを慌てて追いかけて捕まえて、口にもどして飲み込んだ。 「ふう、大丈夫、間に合ったでしょ」と言葉を返した。 ため息つきそうになったら口を塞ぐようにしないと。 (映画「フジコ・ヘミングの時間」※現在公開中) 「楽しいことばかりあって、悲しいことがないっていうのはちょっとどうかと思うの。 セン

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  • 溜まるフィルム - suzu@kick diary

    身の回りの小さい生活圏の写真をずっと撮っている。 撮るときに使うのは、今でも旧式のフィルムカメラ。 (ブログに使ってるものはデジカメかiPhoneで撮ります) 時代はすでにデジタル隆盛のため、フィルムの種類や販売店はもはや減少の一途。 それもかなりの速度で進んでいる。 おそらく遠くない将来にフィルムで撮るという文化は絶滅するのではないだろうか。 富士フイルムのネオパンというモノクロフィルムが昔からの定番品として販売され続けていたが、それも生産を中止するという発表がちょっと前にあった。 これで日で製造されるモノクロフィルムはなくなることになってしまう。 そういえば、Canonもフィルムカメラから完全に撤退するというニュースが先日流れていたっけ。 フィルムを取り巻く環境はそんな切ない状況にある。 いやはや、これも時代の流れなので仕方ないこと。 しかし写真を撮っていて楽しいのはフィルムだ。 限

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  • 2代目の土鍋 - suzu@kick diary

    少し前の記事で2代目となるペンケースをあげたが、ペンケースだけでなく、ご飯炊き用の土鍋もつい最近2代目に代替わりした。 初代はふたを割ってしまって、ご飯を炊くことができなくなったので、普通の鍋として現在は使っている。 2代目も今までと同じものを購入しようと思っていたのであるが、新宿のデパートの中にある調理道具店に赴いた際、今まで使っていた土鍋の隣に違うメーカーの土鍋が置いてあった。 形の違いのほかに値段にも差があって、今まで使っていたほうが断然安いのであった。 形が多少違うが、そこは同じ土鍋だ、仕上がりにそんな差はないだろうと思って、ずっと使っていた方を買おうかと思っていた。 とそう思っていたところに店員さんが来てくれて、それぞれの土鍋の特徴を教えてくれた。 「こちらの平べったい土鍋と比べるとこちらの方は高さがあります」 「あ、そうですね。確かに高さが今まで使っていたものは低いですね」 「

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  • ひとはみな、あまねく照らされている - suzu@kick diary

    日が暮れる前、傾きはじめた日の光は柔らかくて暖かい。 公園のベンチに座り背をあずけて、しばらくの間、目をとじる。 柔らかい光に包まれて、疲弊した身体がほぐされていく。 日中はあんなにもつよい日差しだったが、今は違う。 心地よい気温と身体を吹き抜けていく風。 じんわりと暖められる気持ちよさに思わずため息をもらす。眠ってしまいそうだ。 大きく伸びをして、目を開けた。 行く人よりも帰る人のほうが多いこの時間。 子ども達は遊び疲れてまた明日と言って手を振って別れた。 仕事を終えたサラリーマンも今日の早い帰宅を喜んでいるようだ。 買い物袋をカゴに積んだ自転車をこぐ母親は家路を急ぐ。 彼、彼女らの背中にも暖かい光が降っている。 背中は光に輝き、影は長い。 昼間の緊張から開放されて、身にまとった鎧が風に流されていく。 今日の一日の疲れをかかえて、家族や恋人が待つ家へと帰るのだろう。 「ひとはみな、あまね

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  • 笑いもある顔 - suzu@kick diary

    笑った顔をみるのは好きだ。笑ってくれたらこちらも嬉しくなるし、気持ちよくなる。 人間の程度や能力にはきっと良い悪い、高い低いがあるのだろうけど、思いっきりの笑顔はどんな人でも素晴らしいと思うし、そこに優劣なんかはない。 受け取る側に絶対的な安心感や幸福感をもたらしてくれるものだ。 疲れや沈んだ気持ちも吹き飛ばしてくれることだってある。 人間はとてつもなく大きい場に存在していて、日々内的にも外的にも広がる世界で生きている。そのなかで当然のことながら悲しみにくれることはたくさんある。テレビニュースも伝える第一報は決まって不幸なニュースだ。悲しみの影はいつもつきまとっていて、笑えない生き方と誰もが紙一重で接している。そう、明日笑って過ごせる保証はどこにもないのだ。 だからといって、今生きていることに感謝して笑って生きていこうとかは毛頭言うつもりはない。 だけど、自分に近しい人を笑わせてあげれば、

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  • 2代目 革のペンケース - suzu@kick diary

    長いこと愛用している革のペンケース。 たくさんの荷物が入ったバッグの中に入れて毎日持ち歩いている。 練習着や仕事で使う重いPCに押しつぶされたりと苦情を言われそうな環境下だ。 それでも壊れたりすることなく、使い始めてからもう4年以上が経過しているだろうか。 この革のペンケースは買うときに他の候補も含めて、なにが良いかなとたくさんの時間をかけて悩んで選んだ。ずっと使えるものにしたいという思いがあったから。 実際に使用してみて、幅や太さのサイズ感だったりマチの付け方、革の素材など当に使う人のことを考えに考えて作られたものだなと思う。 大きすぎず、小さすぎずで個人的には調和が取れたデザインだなと。 一針一針、丁寧さを感じさせる縫製や適度な厚みのある革の触り心地など、使う用はないけども開けたり閉じたりとやってしまいたくなるほど手に持っていたくなるような仕上がりなのだ。 中にペンやらUSBやらをた

    2代目 革のペンケース - suzu@kick diary
    suzukiyuta3104
    suzukiyuta3104 2018/05/25
    ”エムピウ”というブランドになります!バッグや財布も出ていて、お気に入りが見つかるかもです!
  • 浅井健一さん(ベンジー)の個展『宇宙の匂い』 @新宿 - suzu@kick diary

    新宿のビームスギャラリーで僕が大好きな浅井健一さん(ベンジーの愛称で呼ばれています)の個展が現在開催中です。 《浅井健一さんは、BLANKEY JET CITY (ブランキージェットシティ)というバンドのボーカルとギターを担当していました。 現在は解散して、ソロで活動したり、”SHERBETS”や”浅井健一 & THE INTERCHANGE KILLS”というバンドで音楽を作り続けています。 その音楽活動と平行して絵を描いてもいて綺麗で優しい色をした世界をみせてくれます》 今回の個展は6月に一般販売される浅井健一さんの新しい詩集『宇宙の匂い』を記念しての開催となっており、会場では詩集の先行販売もしています。 ギャラリー内には浅井健一さんの絵やグッズが展示されていて、BLANKEY JET CITY 好きにとってはまさに夢見心地な楽しい時間を過ごすことができます。 さらには、彼が昔から乗っ

    浅井健一さん(ベンジー)の個展『宇宙の匂い』 @新宿 - suzu@kick diary