東大生でない中川淳一郎さんが駒場寮で得た人生訓(私と東大駒場寮 3) 駒場寮の北寮9Bの部屋、「基礎科学研究会」、略して「KKK」の部屋 予備校の講師に連れられて、駒場寮に出入りするように 「代わりに面接受けろ」入寮の面接は「替え玉」で突破 「経営と文体の基本は寮での読書で培った」 東京大学の駒場キャンパス(東京都目黒区)にか…
Unknown/おはよう Unknown/で、奥さんは何してるわけ?まさかその若さで何もしないで専業主婦とか?プッ Unknown/なーにがユキマロちゃんだ Unknown/。 Unknown/。 Unknown/。 Unknown/。 Unknown/。 Unknown/なーにがユキマロちゃんだ Unknown/なーにがユキマロちゃんだ
▼本当(善)か嘘(悪)かは、その世界を支配する物理法則(法律、倫理、ルール)によって変わる。 主観は現実であり真剣(シリアス)である。 客観は虚構であり、なんかよくわからないモノである。 もっと言ってしまえば、現実と虚構は厳密に言えば区別できない。 認知している対象を変えれば、すべては物語(虚構)になる。 私からすれば、赤の他人の一喜一憂や生死はつまらない娯楽でしかない。 私が少しでも思っている他人(友達とか会社の同僚)の一喜一憂は、娯楽を通り越えて自分まで嬉しい気持ちになったり悲しくなったりするかもしれない。 感動する物語が虚構から越境してしまうのは、私の客観視を奪うからなのだろう。たぶん、おそらく、きっと。 すごい技術だって感動する物語ってのは、物語を技術の視点から読んでる人がその技術を技術であると一瞬見落としてしまうからなんだろうなあ。 コレもあの技術、あれもこの技
はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28
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男はよく女性に「お父さんと仲は良いの?」と質問し、女性が「うん、ウチは仲良いよ」と答えると、非常に満足そうにしていることがある。何しろ私がそうだ。お父さんと仲が良いと言われると、三割増しぐらい魅力になる。当社比で。 逆を考える場合、まず有り得ない。 まず女性が男性の「お母様とは仲は良いの?」などとは聞かないし、もし仲が良かったとしても「うん、俺、お袋と凄く仲良いんだよ」などとはストレートに答えないだろうし、もしそう答えられたとしても、それを聞いた女の人が満足気に頷くということはないだろう。 つまりは、マザコンは女性に嫌われるが、ファザコンは男性に好かれる、ということである。百歩譲って、ファザコンの女性を嫌う男性はいるかもしれないが、少なくない男性はファザコンの、というか、お父さんと仲の良い女性を好意的に評価する。 女性は飲み会とかでお父さんとの仲を聞かれたことがある人も少なくないだろうし、
あんまり友達って感じでも無いなーと思っていたらいなくなってしまった。 友達はそんなに素晴らしくない、でも楽しい。変な話をしてきゃっきゃ笑うのは案外に楽しい。友達がいなくなってからはできるだけきゃっきゃしなようになった。うっかりきゃっきゃしてしまうと、あとで残念な気持ちになるし、ああ俺は友達がいない、めそめそ、と思う。じゃあって、そのきゃっきゃした知人と友達になったらいいのだが、いやまて、と思ってしまう。友達になりたくない、接近したくない、ていうか俺はいつもなぜか余計な気を回して、向こうから親しくされないように、ってしてしまうしどうしようもない。阿呆だ。その知人が悪いんじゃなくて、誰でも一緒で、悪い。悪くない。友達嫌い。なんでなんで。というのもわからないので、考えたんですけど、矢張り、脳内ぐねってわからなくってってってってしまったのでした。 友達とは何か、というと、人間関係のことであり、人で
このブログは百式管理人の編集後にお送りしておりますが、いつも直されるのがタイトルです(orz)。 そこで「タイトルどうすればいいですかねぇ・・・」と聞いたところ、「これ、読んでみて」と渡されたのが次の記事です。 » 10 Sure-Fire Headline Formulas That Work | Copyblogger » 7 More Sure-Fire Headline Templates That Work | Copyblogger Copybloggerという「ブロガーのためのコピーを考えるブログ」の記事です。全部で17の「人を惹きつけるタイトルの書き方」が紹介されています。 タイトルだけでなくて内容もがんばって書いておりますが、タイトルはやはり大事です。これを見ながら日々勉強しております・・・。今回は勉強も兼ねてこの記事をご紹介したいと思います。 なお、百式管理人いわく「内
うまくいかない日に仕込むラペ 「あぁ、今日のわたしダメダメだ…」 そういう日は何かで取り返したくなる。長々と夜更かしして本を読んだり、刺繍をしたり…日中の自分のミスを取り戻すが如く、意味のあることをしたくなるのです。 うまくいかなかった日のわたしの最近のリベンジ方法。美味しいラペを…
since 1999/04/25 counter since 2004/02/29-2008 broken... about +400000Hits counter since 2008/09/21 - 2004年2月29日 このページは元々トオル氏が作成されたものであり、オリジナルにスクリプトの バグがあったため、仲間内で若干の修正を行ったものです。 なお、ソンディの普及委員会さまとは無関係のページですので、 あちらさまにこのURLを掲載しないでください。 また、トオル氏に問い合わせする事もご遠慮頂ければさいわいです。 (トオル氏が公開を停止しているためです。) 製作者はトオル氏ですが、版権などお気づきの点がありましたら、ご一報ください。 (お手数ですが、ルートディレクトリのインデックスを参照願います) http://www.rak1.jp/one/user/ys_captain/
レポート書いてたら頭が固くなったので、珍しく固い話でいきます。 以前『mixi疲れ』というネタ記事を書きましたが、今回は少しマジメにmixi疲れを考えてみようか、と。 「そんなもんいらん!」 という人は軽やかにスルーしてください( ^ω^) 以下、某掲示板で使いまわされているコピペ。 ----- mixi始めてから縛りが増えたような気がする。 もともとほぼネット上の付き合いの人だけでやってるんだけどそれまでと違ったのは、あしあとが残ることと、マイミクが晒されること。 定期的にコメントを書くとか、あまり書きすぎてもよくないかもとか、あまり興味が無くても交流がある相手ならせめて定期的にあしあとを残すとか、そういうこと考えている自分がうっとおしい。 逆に相手の方も、友達だと思っていたのに、見るだけでほとんどコメントをくれない人や、自分の日記は更新していたり他の人のところには行っているようなのに私
ぬこかわいいよぬこ ってみんな言うけどさ 私にはぜんぜんわからないその魅力。 みんなねこ大好きみたいだからこれを言うのはすごく勇気が要るんだけど ネコの写真みてもなんとも思わないんだから仕方ない。 でもね、むかし友達に 「猫とか犬とか全然可愛いと思えないんだけど。あんなの見てなんで喜んでるの?」 って言ったら、 「動物を愛せないなんて可哀想な人だね、きっと誰かに愛された経験も誰かを愛した経験もないんだね。哀れな子」 って言われて、それがものすごくショックだったんだよね。 んで、今でもネコ画像満載の記事を目にするたびに「またネコかよ!うぜぇ!」と思うと同時に 「あぁ私は未だに誰かに愛された経験も愛した経験もない可哀想な女」という思いがよぎって激しく鬱になるんだよね。 ぶっちゃけ何の根拠もないし友達もそんなに深い意味があって言ったわけじゃないと思うんだけどさ、動物を愛でることができないって、な
単純に言うと、他者に向かって、おまえは自意識過剰だと、言えるほどの自意識をもってないというか。 というか、書かれた自意識というのは、言うまでもないことだが、読まれうる視線のなかの総合として出てくる。だから、書かれたものがそのまま自意識であるということは前提としてありえないのだが、そのあたりをふつうに理解している人は少ないかと思う←こういう感想が自意識過剰に見えるのでしょうけど。 いわゆる作家というのは、社会システムを介して、読まれうる視線を了解し、その了解を社会責務とし、さらに労働の対価としている存在。 それでも、職業作家でもどう読まれるかでその自意識には大きなプレッシャーがあり、簡単にいえば、ふつうの人はそこで潰れるようにできている。そこで生き残る職業作家の自意識というのはもう運命というか不幸としかいいえないものであり、その必然性だけが社会的に是認されるものだろう。作家に必要なのは才能で
罪悪感があるということが、悪いことだとは思わない。別に、良いことだとも思わない。ただ、その罪悪感を感じていることがつらい人には、感じないようになれるといいね、と思う。でも、どうすれば感じなくなるのかなんて、私には分からない。私だって、感じないようになりたいと思っている。でもそれが、本当に自分に安楽をもたらしてくれるものなのかも、私には分からない。 感情もそう、罪悪感も、何かの意識も、みんなそう。自分で気づかないうちにすでにそう感じてしまうのだ。いつのまにか、やってくる。これを、どうしたらなくせるというの?変わりたい。変われると思いたい。 それでもいつのまにかやってくるこの意識を、この感情を、この罪悪感を、この「信じられない」という自分を、どうやって追いやったらいいか。それが苦しいから、どうやって抜け出せばいいのかを苦しんでいるのだ。他人の現状を見て「こういうことなのだろうな」と書くことなど
会話の内容が尽きたとき。 ・お互いの近況 ・誰は今何してるかの噂 ・仕事の愚痴 ・・・ 切れるときは切れるよ。 ミクシィみたいなので無理矢理繋げることには、価値を見い出せない。
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