今更ですけど読みました。 星★★★★☆四つ 「世界史は合理性と列伝で出来ている」とは僕の言葉である。 世界の歴史は、つまり人間の歴史である。人間の集団と、人間個人がすることなんて、たかだか数千年の目線では大して変わらないものである。人間が集団に属し、集団の中でどのように振る舞い、その結果、その集団がどのような出来事をやらかしたのか。そんな風に歴史を追って行けば、自分の身の回りで誰かがやらかしている出来事とあまりかわらないんだ、ってことがよくわかる。 傍目には非合理的に動いているような組織でも、その中では何らかの合理性があったり、その合理性と別の合理性がぶつかって何か争いごとが起こったり、とかそういう話。 もう1つ、列伝というのは、そんな組織の中に属する人間で居ながら、何か突き抜けた物を持ってしまったか何かの理由で、とんでもない事をしでかしてしまった人間の行動のことである。組織の合理性を異常
「問いを立て、それに答えるように文章を書いてゆくと、よい文章になる」。これは、作文や感想文を卒業して、情報をきちんと伝える文章を書くために、最も重要なことの一つです。しかし、じつはこれだけ知っていてもあまり意味がありません。そこから一歩進んで、問いには大きくわけて二つの種類のものがある、ということを知る必要があります。その二つとは、Whyの問いと、Howの問いです。 世界史の教科書と、マクニール『世界史』の違い 実例を見るところから始めましょう。以下は、マクニール『世界史』(中公文庫)への、とろろそばさんのレビューからの引用です。 これは素晴らしいと思いますよ。その意味では「人間が、どうして、どんな合理性を持ってここまで発展してこれたか」をひたすらに追求している。普通の歴史の教科書にかいているような出来事ドリブンな記述「○○が起きて、そのあと誰それがナントカ事件を起こして、そのあと同盟を組
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