「百敲(ひゃくたたき)」の刑、吉宗は計算ずくだった 「公事方御定書」は罪人たちの“再犯”をどのように防いだのか 法学部全ての方向け政治経済 Tweet 若い頃から、法律を学んでいた江戸時代の8代将軍・徳川吉宗。彼が成立させた「公事方御定書」は、それまで希薄だった「更生」の概念を取り入れ、犯罪者がもう一度社会に戻れるように配慮した刑罰が採用された。それが「敲(たたき)」の刑罰だという。 前回の記事:「吉宗の法典で大転換、罪人に開かれた『更生』への道」 「現代人からみると、“野蛮な刑罰”というイメージを抱くことと思いますが、『敲』こそ更生への思いが強く現れた刑罰です。なぜなら、吉宗は敲という刑罰の中に、罪人が社会復帰できるための“さまざまな工夫”を施しているからです」 こう話すのは、法律の歴史を研究する法学部の高塩博(たかしお・ひろし)教授。吉宗はどのような工夫を「敲」の刑罰に込めていたのか。