ブックマーク / mwtstinger.info (58)

  • 厚顔無恥

    世の中に存在する仕事は一様にサービス業の側面を持っている。 顧客に対して何かしらの労働を提供しその対価を得ているのだから、広義の意味で、ほぼ全ての仕事はサービス業といっても過言ではないだろう。 労働と対価の循環が経済を形作り、その環の中で人は人生を生きているのだ。 顧客は支払った対価に見合ったサービスを要求するのは当たり前であり、提供されたそれに不満や疑問を持ったのなら、クレームや苦言を呈するのも当然である。 提供されたサービスが想像・期待していたよりはるかに劣るものであれば、劣化のごとき抗議やクレームにより、その場が炎上するのも致し方ない。 だが・・・・・。 津波のように押し寄せられた猛抗議やクレームが、カスタマー・ハラスメントと呼ばれるいわれなき理不尽なものであった場合はどうなのだろう? 日々の生活を送る中、サービス業に携わるスタッフの人達が理不尽極まりないハラスメントを受けながらも、

    厚顔無恥
  • コロナ、いまさら?

    私との夫婦関係は良くも悪くもなく、可もなく不可もない。 どこからどうみてもごくごく普通の夫婦関係であり、結婚後10年以上を経過したそれは、どこの一般家庭でも見受けられるものと相違ないと信じている。 昭和スタイル全開。体罰・暴言・チェメチョメを信条とする体育教師が乗り込んだバスが突然タイムスリップし、たどり着いたその土地は令和現代の2024年。 昭和と令和。 隔てられた二つの時代の常識、価値観、デファクト・スタンダードやモラルの違い、周囲のリアクションにどうやっても翻弄される。しかし、それぞれの「あたりまえ」を徐々に受け入れつつ、それでもなお拭いきれない違和感に、「ソレって当に正しいの?メンドクセ!」と、遠慮会釈なしに心のつぶやきを声に出してしまう主人公。 「不適切にもほどがある」と銘打ったドラマを夢中になって視聴している最中、がボソリと、しかし、ハッキリとした口調で夕の載ったテーブ

    コロナ、いまさら?
  • 黄昏タイム、ふたたび

    人生を半世紀以上もサヴァイブし、諦めと絶望の数が希望のそれより上回るようになった。 血気盛んで見境がなく、何でも出来て、欲しいものは全て手に入ると盲信していた二十代の頃。 無尽蔵に湧き上がる元気と勇気と性欲で、これからの将来は、黄金色の空に浮かぶ虹のようにキラキラ輝くだろうという未来予想図しか思い浮かばなかった。 それがどうだ・・・・・。 手中に収められると夢想していたたものは、手にしたと錯覚した途端、指の間からすり抜けていく砂のようにこぼれ落ちていった。 砂塵と化したそれらは、もう二度と取り戻すことができない。 時の流れと共に、遥か彼方の時空に飛ばされ、再び相まみえる機会は訪れることはない。 人生の逸失利益は、こうして層を重ねるようにして増えてゆく。 歳を重ね分別がつくということは、諦めに変質した未来の展望を受け入れ、納得していく心境の変化にほかならない。 分別という言葉を無理やり飲み込

    黄昏タイム、ふたたび
  • 2023年9月6日

    気がつけば9月・・・・・。 ブログを放置して早2ヶ月近くが経過しようとしている。 まだまだ終わりの見えない残暑に辟易しながらも、だんだんと日中の空は秋色を帯び始め、徐々にではあるが高くなってきている気がする。 朝夕の時間帯、あれだけ猛り狂ったような暑さが、フッと一息ついたかのように、涼しい風が吹く瞬間が多くなってきている。 確実に季節は秋へとその色を変え始め、今年も残りは4か月を切った。 そうこうしているうちにハロフィンの喧騒が街を覆うようになり、それが終わればクリスマスへと一気に季節は加速する。 季節の変わり目が極端になってきているが、年末のイベントが始まる頃になれば、また手足の末端が痺れるほどの寒さに見舞われるのだろう。 日は四季折々の風情を楽しめる国であると思っていたが、コロナ禍のあたりから夏と冬しか存在しなくなったのでは?と思ってしまう。 季節も人間の性格も、極端にすぎるのは困り

    2023年9月6日
  • 頑なな青春

    三つ子の魂百まで。 最も多感なティーンエイジという時代に色濃く、かつ強烈に心に刻まれた思い出は、その後の人生観や心情、果ては生き方にまで強い影響を及ぼしてしまう。 例えばそれが幼い恋愛であったり、バイクや車などを乗り回す行為であったり、映画小説であったり、演劇や絵画や書のような有形・無形の文化的なものであったとしてもだ。 とにかく、未成熟な心の琴線に触れたものがその後の人生に大きな影響を及ぼすのはいうまでもない。 接近遭遇した時代の潮流ももちろん無視はできない。 今や女性アイドルのコンサートや握手会などは、その吐息や飛び散る汗に手が届かんばかりに間合いを詰められるような時代になった。かつて自分が高校生だった頃、彼女の姿を見るのはTVの画面越しが当たり前であった。もしくは、決して安くはないS席ステージ最前列のプラチナ・コンサートチケット獲得という幸運をもってしても、遥か遠く数メートル先の眼

    頑なな青春
  • 断捨離の果て

    2023年1月1日、午前10時30分。 中天にいたるには、まだ少しだけ太陽は東に傾いている。 鋭利な刃物を思わせる冷たい空気はカラカラに乾き、降り注ぐ太陽光線の中にキラキラと無数の埃を舞い踊らせている。 これぞ元旦の朝といわんばかりの快晴と寒風の中、思い切って玄関のドアを開ける。 ダウンジャケットを着込んでいるといえ、室内温度との差に嫌でも身体が勝手に震えだす。 玄関先で聞こえた軽快なエンジン音は、年賀状の配達を告げるものだった。 「なんだよ、コレ・・・・・」 郵便配達員の赤カブの後ろ姿を見送りながら自分宛ての年賀状に目を通した途端、手に取った一枚を見つめ思わずこの言葉が口から吐いて出てしまった。 元日早々、なんだかなぁ~という気分にさせられたのである。 2021年からスタートさせた年賀状の断捨離。 身内と親しい友人にだけ送るようにして、それ以外は貰ったら返すというスタイルに移行して2年が

    断捨離の果て
  • 黄昏のスキャット

    スキャット スキャット。 己の声を楽器に見立て、即興的に、その声を伴奏のメロディーに乗せてゆく。 有名どころといえば、ザ・ビーナッツ「恋のフーガ」、サントリーオールドTVCM「夜が来る」、「徹子の部屋オープニングテーマ」、由紀さおり「夜明けのスキャット」、スキャットマン・ジョン「スキャットマン」あたりが有名で、読者の方も何人かは聞いたことがあるだろう。 (昭和世代限定ってことで) 数ある名曲の中、我が人生におけるスキャットの名曲、孤高のナンバーワンソングといえば、さだまさし「北の国から」のテーマをおいて他に考えられない。 どこまでも続く、澄み切った青い空を思わせるアコースティックギターのアルペジオから始まり、その弦がはじき出す音色に乗るスキャットは、フワっと優しく浮かぶ白い雲のようだ。 ささくれ立って荒んだ心に干天の慈雨が染み渡り浄化していくような、慈愛に満ちたスケールの大きい名曲だ。 歌

    黄昏のスキャット
  • 引き換えにするもの

    早すぎる 机の上、小さな池のような水たまりができている。 パソコンのキーボードを打つために置いた腕の形そのままに、汗でできた小さなそれは、早すぎる夏の到来を形を変えて告げていた。 観測史上最速の梅雨明け。 令和四年の夏の到来は、まだ六月を一週間ほど残した時点で早々に気象庁から発表された。 それにしても、いかんせん早急にすぎる。 梅雨入り当初は例年のような長雨になっていたものの、ある日を境にしてパタっと雨音が止んだ。 グズついた鈍色の空が連日続き、水分を大量に含んだ空気は容赦なく身体にまとわりついた。 妙齢見目麗しい女子ならいざしらず、小遣いをねだる子供と、梅雨時のたっぷりと湿気を含んだ空気にまとわりつかれるのは当に気分が悪い。 自分の放屁もそうだ。 鼻先で臭いが滞留し、身動ぎすれども一向に霧消しない。 低空飛行を続けながら下降線をなぞる日の株価に反比例するように、日々感じる不快指数は上

    引き換えにするもの
    sylvaniantedukuri
    sylvaniantedukuri 2022/08/06
    うちも最近ボイラーが止まる頻度が高くて困っていました。
  • 春がキライ

    冬は終わった また今年もこの時期がやってきた。 気がつけば、刃物のような鋭い大気の冷たさはどこかへ遠のき、ホクホクのおばあちゃんの笑顔のような、ポッと心に火が灯るような温もりを太陽光線から感じられるようになってきた。 ついこの間までは寒くてなかなか寝付けなかったが、最近はベッドに入ってもすんなりと寝れる。 足元の冷え対策に使っていた湯たんぽも、入れてからしばらくすると熱が籠もってしまうようになり、今年はようやくお役御免となった。 ようやくだ・・・・・ようやく寒さから開放される。もう寒いのはお腹いっぱい味わったのだ。 今年の年末あたりまでどこかで大人しくしていて欲しい。 だがしかし。 冬が終わり、春の到来を喜ぶのもつかの間。 この時期には、この時期なりの悩み事があったのだ。 春の悩み もうかれこれ30年以上も花粉症と激闘を交わしている。 暖かくなってきたのは嬉しいのだが、この時期から容赦なく

    春がキライ
  • 人生の苦だんご

    人生は恥の上塗り 思えば、いや、思わずとも、恥の上に恥を塗り重ねながら、我が人生は半世紀以上の時を重ねていったのだ。 芳醇なウィスキー(サントリーオールド/格安酒屋で購入¥1,450税別)が一口、喉の奥を通り抜けていく。 無精髭が薄く浮かぶ喉元を小さく上下させながら、ゆっくり、ゆっくりと、琥珀色の液体が肚の中に収まっていく。 誰かが言った。 「ウィスキーを飲んだ途端、神が全身を暖かく抱きしめてくれたのだ」と。 私の場合は神ではなく、艶かしい遊女が着物の帯を解くように、ゆるりゆるりと、蛇が蜷局とぐろを巻くような、湿った肌触りと生暖かさでウィスキーに抱きしめられるのだ。 そんな酔いに溺れる宵ほど、愚かな過去の自分を思い出してしまう。 年相応とはなんぞや?と、その言葉の定義を紐解かずとも、幼少期から学生時代まで、いや、成人した後も、ありとあらゆる愚かな年不相応な行為を繰り返してきた。 授業中、聞

    人生の苦だんご
  • 継続は力なり

    どのクチだ!そんなこと言うのは!! 「継続は力なり」。 今、この言葉を噛みしめるようにして毎日を過ごしている。 ブログの更新をパッタリと止めてしまって、はや半年以上が経過しているが、もはやそれはどうでも良いことだ。(どうでもいいのか?) 言っても仕方ない。 書けなかったのだから仕方がない。だが、書きたい気持ちはあったのだ。 もはや、おいそれと愛車にチャージすることを躊躇してしまうガソリン価格のように、書きたいという気持ちだけは異様に高かった。 だが、気がついてみれば令和三年も十月を過ぎてしまい、今年も残すところあと三ヶ月となってしまった今、ようやくPCの画面に向かい、このブログを書いている。 コロナウィルスの新規感染者数が目に見えて減少し、今月から一斉に緊急事態宣言が解除となった。 酒類を提供する店にとっては福音であっただろう。 もはや、路上で宴会とは名ばかりのドンチャン騒ぎをブチかまし、

    継続は力なり
  • 受け取ったバトン

    ヨウちゃんは不良だった ヨウちゃんは不良だった。 誰が見ても一目瞭然。不良と呼ばれる生徒の、典型的な見のようなクラスメイトだった。 友人として紹介したら、どんな母親も同じ様に怪訝な表情を真っ先に浮かべてしまうような、そんなルックスと生活態度がヨウちゃんのスタンダードだった。 今はヤンキーって言うんだろうけど、僕が中学生の頃、そんな生徒のことは、良きに非ずと書いて「不良」と呼ばれ区別されていた。 決して上手い表現じゃないけど、見事に的は得ていると思う。 学校の規則からはみ出している者は皆、「不良」というレッテルを貼って、ひと括りのワクの中に押し込めて、普通の生徒とは区別して対処するのが昭和のやり方だった。髪型でもファッションでも授業中の態度でも、良しとされるルールからはみ出す人間は、男女の例外なく不良として扱われた。 そう考えると、僕は学力の面からいったら確実に不良の部類に入っていたと思う

    受け取ったバトン
  • 麒麟が来たりて蒼天を衝く

    8.6病バズーカー! 昨日(2021年2月7日)、コロナ禍により約二ヶ月の撮影中断という苦境に立たされながらも、壮大なスペクタクルを展開しつつ、堂々のクライマックスを迎えた大河ドラマ、「麒麟がくる」の最終回を視聴させていただいた。 (撮影再開後も、コロナ感染防止のために相当の苦労をされたとメディアが伝えていた) 戦国時代最大のクーデターといわれる「能寺の変」を企て、天下統一を目前にした「織田信長」の野望を、その燃え盛る能寺とともに歴史の表舞台から消失させた張人。 歴史を教科書通りに学んでいたならば、三日天下で終わった悲しい人、主君に仇なした謀反人であり反逆者という、ダークでダーティーなイメージを強く刷り込まれてしまっている、「明智光秀」がこのドラマの主人公だ。 そんな彼の生涯を、天下の国営放送が大河ドラマとしてどのように描き、新たなる光秀像をどう解釈・提示してくるのか、ドラマ中のプロ

    麒麟が来たりて蒼天を衝く
  • ごめんなさい。やっぱり通勤電車はキライです。

    考える人 足早く過ぎゆく人々の音と、上り電車の発射を告げるベルを聞きながら、今私はここにいる。 下半身を丸出しにし、かのオーギュスト・ロダンが、ブロンズにありったけの情熱と魂と命とを吹き込んだ「考える人」の如きポーズをとりながら、今私はここにいる。 午前8時10分。 私の地元、神奈川のクソ田舎から電車で小一時間ほどの場所にある、県内では中規模程度の大きさを誇るターミナル駅に降り立った私は、急転直下の腹具合からもたらされる苦悶の表情を顔にへばり付け、尻穴に余計な力を加えないよう、ヨチヨチ歩きの幼児の如き足取りで、ようやくここにたどり着いたのであった。 ホームの階段を登りきった、改札口まであとホンの少しのところ。 そにはまるで、神が両手で迷える子羊を優しく迎え入れてくれるかのように、その門戸を開いて待ってくれていたのだ。 そう。その輝かしい場所とは、まさにトイレなのである。 最近改装されたば

    ごめんなさい。やっぱり通勤電車はキライです。
  • トイレの神様

    トイレには神様がいる。絶対にいる。 汚いトイレがキライだ。 こと女性に対し、アレコレと注文をつけられる男などではないことは重々承知しているが、それでも、モノをすときクチャクチャと音を立てる女性と同じくらい、汚れたトイレがキライなのだ。 (女性の咀嚼音とトイレを同列に比較するとはなにごと、というフェミニンな指摘はどスルー) 汚れたトイレが大好き!という、ト変態な性癖をお持ちの方と話が合わないのは仕方がないとはいえ、トイレを汚れたまま放置しておいて、良いことなど一つもないのである。 断言できる、トイレには神様がいるのだ。絶対に。 2010年の初春、FM Tokyoの番組から爆誕した大ヒット曲「トイレの神様」。 その歌詞の中でも、「トイレにはキレイな女神様がいて、べっぴんさんになりたきゃ毎日ピカピカにトイレを掃除せよ」と、コンポーザーである植村花菜嬢も説いているではないか。 「あなたが芸術的に

    トイレの神様
  • あけましておめでとうございます。(2021)

    気がつけば2021年も残すところ360日。 みなさま、あけましておめでとうございます。 年も、この下らなくどうしようもない、アラフィフおやじの戯言日記にお付き合いください。 どうぞよろしくお願い申し上げます。 さて、 去年一年間でコロナウィルスにまつわる日記をいくつか書いて、もぅいい加減ウンザリ・・・・・と思っていたところ、ここへ来て、またも非常事態宣言が発出されそうな勢いである。 東京では連日1,000人に手が届きそうなくらいの新規感染者を数え、我が神奈川県もそれに迫る勢いで感染者を増やしている。コロナに正月休みもヘッタクレもないのだ。 外出自粛という名の「引きこもりぐぅたら生活」を自主的に励行してはいたのだが、身近に感染者がいなかったこともあり、コロナウィルス自体が対岸の火事のような、どことなく遠い世界の出来事と思って生活してきたのは正直な話である。 だが、私の住む神奈川のクソ田舎

    あけましておめでとうございます。(2021)
  • 全くわからない女心

    ショーケースに並ぶ宝石 手が触れた途端、ヒヤっとするガラスのショーケース。 コートのポケットで温めていた手に、びっくりするような冷たさが一瞬で伝わる。 およそ3~6℃に保たれた何段かで構成されたその中に、色とりどりの甘い宝石たちが並んでいる。ケースの中の空気はシンと冷え切っているのだろうが、濃密で甘美な香りが、その中にたっぷりと広がり溶け込んでいるだろうことは、ひと目見ただけで容易に想像できた。 真っ赤で大振りな一粒のイチゴを載せた純白のショートケーキ。 艷やかな光沢を放つ表面に、煌めく星々を散らしたかのような細かい金箔をあしらった、まるで小宇宙を思わせるようなダークチョコのムースケーキ。 まだ誰も歩いていない新雪の上、その存在を鮮烈にアピールするかのように、数個のブルーとカシスのベリーが散りばめられたレアチーズケーキ。ケーキの素地とベリーの色とのコントラストが見事な一品に仕上がっている。

    全くわからない女心
  • 年賀状を断捨離しました

    今年のハロウィンは静かであった 今年も既に11月半ば。 例年、眉をひそめるほどの乱痴気騒ぎで繁華街を騒然とさせる一夜の仮装パーティーも、今年はコロナの影響か、それとも既にオワコンとなりその使命を果たしたのか、すっかりと大人しいものだった。 ミニオンズのキャラクターに扮した若者が、普通の服装をした人々で溢れかえる渋谷のスクランブル交差点で浮きに浮きまくり、半時も立たないうちに足早に帰路についたとTVのニュースは伝える。 半笑いで半べそに近い表情を浮かべたあの若者。 もう二度とコスプレをして渋谷の街に繰り出そうとは思うまい。 何よりコスプレのクオリティーが低すぎて、あれではミニオンズなのか、水中メガネをかけたバナナの如き黄色い男なのか判別しかねる。 やるならもっと気合を入れて欲しい。 そんな状況下、インスタグラムには「鬼滅の刃」のコスプレを嬉々として披露するツワモノが多数いたが、いかんせん、人

    年賀状を断捨離しました
  • アラフィフ美容院に行く

    学校指定? 数年前まではバーを経営していた店舗が閉店。 その後、内装を大々的に改装し、営業をはじめた美容院が隣の駅にあるのは知っていた。 行動の動機付けや物事の価値基準を、「面倒くさい」か「面倒くさくない」か、の二極で半世紀以上乗り切ってきた人間にとって、自身の身だしなみ、とりわけ髪の毛の手入れについては、常にナーバスな問題として長年私を悩ませ続けている。 嫌いだ。果てしなく面倒くさいのだ・・・・・。 私の住んでいる神奈川のクソ田舎町では、小学校の頃にお世話になっていた理髪店が激減している。 壊滅状態といっても差し支えない。 赤・青・白の三色が細長い円柱の中でクルクルと回る、謎のサインボールが店先に鎮座する、ロードサイドに数件は点在していた昔ながらの理髪店だ。 店内の椅子に座れば、たちどころに後頭部の二歩手前まで、青白く地肌が見えるまで刈り上がった髪型に仕上げられてしまう。こちらの希望・要

    アラフィフ美容院に行く
  • 寒くなってきました・・・・・。

    寒い。寒すぎる・・・・・。 常日頃から季節感のない、Tシャツと短パンという常夏コーデで日々をやり過ごしていたのだが、今朝方から降り続く冷たい雨と、急降下を告げる室内温度に、とうとう身体が耐えられなくなってしまったのだ。 室内温度が19度となってしまった以上、この時点で真夏の格好をしていたら、れっきとしたキチ◯イか、よほど生活に困って冬服を買うことすらできない貧乏人と思われても仕方がない。 (在宅勤務で外出していないので、誰に見られるということもないのだが) どちらにしても、まともな思考回路を持った人間の所業とは理解されるはずがない。 メタボおやじであるがゆえ、無駄に布地をたっぷり使ったユル~い洋服を好んで着ている。 だがこうも寒いと、Tシャツの首元、袖口から冷たいすきま風がダイレクト・インしてきて、どうしようもなく寒い。二の腕にはポツポツと鳥肌が立つ始末だ。 「もはやこれまで・・・・・」。

    寒くなってきました・・・・・。