−平塚の街でみられる地球の歴史− 暮らしの中にはいろいろなところに石材があふれています。街角の外壁、神社の鳥居や狛犬、公園の縁石やモニュメントなどの他、一般住宅の塀や生け垣基礎、庭の飛び石や沓脱石など、様々な場所にいろいろな用途で利用されています。平塚市域では、小田原の根府川石が縄文時代中期の住居の敷石として使われていたことが、岡崎小学校の発掘調査で明らかになりました。箱根火山の根府川石や小松石、東丹沢の七沢石は江戸時代より石工により開発され、庶民と深いつながりを持って石塔などに利用されてきました。相模川・金目川・水無川・酒匂川などの流域の河川敷からは、かつて数多くの玉石が採取され、石垣などに使われてきました。こうした石材も、現在では箱根火山の石材を除くと、ほとんど他地域や外国石材に置き換わってきてます。身近な石材を見直してみると、そこには流域の大地の成り立ちを示す様々な情報が隠されていま
このホームページでは、日本独自の芸術文化である日本庭園のことについて紹介していきます。また庭園と密接な関係である建築や石造美術のことについても、ディスクスペースの余裕がある限り紹介していくつもりです。 日本庭園の歴史は非常に古く、文献上で残っているものだけでも、ゆうに千有余年の歴史を持っています。では日本庭園の始まりはどのような形態だったのでしょうか。代表的なものとしては「環状列石」や「神池・神島」、「磐座・磐境」などがあります。何れも直接的には庭園の範疇ではないのですが、後の大陸からの文化の流入の際に、これらの形態が何らかの形で庭園に発達していった始まりではないかと思われています。たとえば石を環状に並べたり立てたりした遺跡として、秋田県にある大湯環状列石や北海道にある忍所路環状列石などがあります。これらの環状列石の遺構は縄文時代後期のものと推測されており、青森県の三内丸山遺跡などでも発掘
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