いまの時代、「ダンスホール」とはどんなイメージで捉えられるのだろうか。「新明解国語辞典」には「社交ダンス用の(有料の)ダンス場」とある。 しかし、昭和の初め、その言葉は華麗に花開いた都市文化のイメージの上に、さまざまな用語と関連づけて語られた。「モボ・モガ」「有閑マダム」「ジゴロ」「乱倫」……。そのことを強烈に印象づけたのが1933年のこの事件だった。 男性客と女性ダンサーの恋愛沙汰やトラブルはそれまでもあったが、今回は「ダンス教師」を名乗るいかがわしい男たちと、伯爵夫人、日本を代表する歌人の妻らが検挙され、そこから作家ら文化人の違法賭博にまで警察の手が回った。 事件当時は既に日中の戦争が始まっており、戦争の影が市民生活を圧迫。国民の娯楽に取り締まりの手が延びていた。やがて盧溝橋事件に端を発した日中全面戦争に突入。ダンスホールは徐々に息の根を止められる。事件は「享楽の時代」の最後のあだ花だ