伊藤剛『テヅカ イズ デッド ひらかれたマンガ表現論へ』、秋田孝宏『「コマ」から「フィルム」へ マンガとマンガ映画』、永山薫『エロマンガ・スタディーズ 「快楽装置」としての漫画入門』など、マンガ論にあらたな地平があらわれ始めている。 様々な観点から、その「地平」を切り取ることができるだろうが、大雑把にいってそれらのマンガ論の狙いの一つは「これまで無意識にナイことにされてきた問題を示すことで、これからのマンガの捉え方を呈示すること」だといえる。 小田切の『戦争・・・・』もまた、 そのひとつだ。永山をのぞく著者たちは、僕や僕の前後の世代の「マスコミに登場するマンガ論者・批評家・その周辺」の言説を読み、育ってきた世代だといっていい。したがって、これらの動きはある意味では必然で、先行する言説のもつ「無意識な抑圧」や矛盾、陥穽を突くものとなる。 もちろん、その点だけでこれらの本を評価なり批評してしま
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