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ロシアに関するsyomuのブックマーク (7)

  • 【露大統領北方領土訪問】佐藤優氏「北方領土の『脱日本化』にとどめ」  (1/3ページ) - MSN産経ニュース

    メドベージェフ露大統領の国後島訪問は戦略的によく練られたものだ。ロシアは、事前にこの訪問についてシグナルをいくつも出してきたが、日外務省は「メドベージェフ大統領の北方領土訪問はない」と分析を誤った。今回の事態について、外務省のインテリジェンス能力を抜から点検する必要がある。 今回の大統領訪問の目的を一言でいうと「北方領土の脱日化」だと筆者は見ている。過去に日外務省は、人道支援、ビザなし交流などによって、北方領土の日化を進めていたが、それを逆転させるということだ。 国後島におけるメドベージェフ大統領の発言を分析すると、そのことがよくわかる。大統領は地熱発電所を訪れ、「これは小さな発電所だが、もっともエネルギー効率がよい」と発言した。日は北方四島の住民生活を支援するためにディーゼル発電機を供与し、事実上の発電所をつくった。それにより、日政府は北方四島住民の日への依存度を高めよう

    syomu
    syomu 2010/11/03
    『相手国がひるみ、国際社会も沈黙するならば、ロシアはそのまま権益を拡大する。』
  • 緊急警告!日本をなめたロシアが発する「挑発的シグナル」(佐藤 優) @gendai_biz

    緊急警告!日をなめたロシアが発する「挑発的シグナル」 対日姿勢の変更を外務省の壊れたアンテナは見落としている 菅直人政権が成立した後、ロシアから危険なシグナルがいくつか発せられている。 第一が、「対日戦勝記念日」法案の採択だ。1945年9月2日、東京湾に停泊していた米戦艦ミズーリ号の艦上で、日政府代表団が連合国に対する降伏文書に調印した。国際法的に日と連合国の戦争はこの日に終結した。 ロシアでは、以前からこの翌日の9月3日を「軍国主義日に対する勝利の日」として祝日にしよう動きが反日勢力によって企てられていた。 今回、日付を一日ずらし、祝日の名称を「第二次世界大戦終結の日」と変更した上で、7月7日に国家院(下院)において、7月14日に連邦院(上院)において、この法案が採択された。 そして、上院が法案を採択してから19日以内にメドべージェフ大統領が署名し、この法律が発効する。 これまで

    緊急警告!日本をなめたロシアが発する「挑発的シグナル」(佐藤 優) @gendai_biz
  • ドストエーフスキイの会

    ダラヴォーエ     スターラヤルッサ Даровое        Старая Русса 日のドミトリー・ドストエフスキ-氏 Дмитрий А. Достоевский в Японии 曾孫ドミトリー氏の家族 Семья правнука Ф.М.Достоевского 2000年8月千葉大学国際ドストエフスキー研究集会 ロシア人参加者と会議の映像―パヴェル・フォーキン氏によるヴィデオ・サイト The International Conference on Dostoyvsky・2000 in Japan Video by PavelFokin https://drive.google.com/file/d/1G8gAtEzEc9Jbk2bt22gPgn2Be6rBFWED/view ○お知らせ Объявление

  • アレクサンドル・ソクーロフ

    アレクサンドル・ソクーロフ 1951年ロシア・イルクーツク生まれ。軍人であった父親の勤務地の関係で、少年時代をトルクメニスタン、ポーランド等で過ごす。ゴーリキー大学、モスクワ国立映画大学を卒業し、レニングラード・ドキュメンタリー映画スタジオ及びレンフィルムで働く。1987年までの作品は当局よりことごとく公開禁止となり、ペレストロイカ後になって初めて公開可能となった。公開されるや世界的に注目を浴びる。現在に至るまで旺盛な製作活動を続け、常に問題作を投げかけている。ドキュメンタリー、劇映画双方を手掛け30余りの作品を発表している。日にも深い関心を寄せ、「オリエンタル・エレジー」「穏やかな生活」「ドルチェ-優しく」の日三部作を日で製作した。主な作品に「マリア」「日陽はしずかに発酵し---」「ストーン」「静かな一頁」「精神の声」「モレク神」などがある。 2000年(第57回)ヴェネチア国際映

    syomu
    syomu 2009/05/03
    ロシアの映像作家ソクーロフと作家・島尾ミホによる映像小説
  • 昇曙夢 プロフィール - あのひと検索スパイシー

  • 島唄の歴史的・民俗学的・芸術的価値―昇曙夢

    奄美島唄の多くは、「薩摩藩時代に封建制度の圧迫と脅威とに苦しんだ彼ら被征服者としての島民が、その遺る瀬なき哀愁の情を訴えた血と涙の記録」であり、「島民の生ける唯一の忍苦の歴史」である。那覇世から大和世、大和世からアメリカ世、六百年余の圧政にあえぎながら、殆どすべて名もなき民によって遺された四千とも五千ともいわれる島唄の言霊世界―『奄美大島民謡大観』(昭和八年)『奄美民謡大観』(改訂増補版昭和四十一年) 文 英吉著はまさにその先駆的業績といえよう。現代文に改めました。 奄美の島唄 −歴史的・民俗学的・言語学的・芸術的価値− photo by Ryo 『奄美大島民謡大観』 文 英吉著 序 文 わが奄美大島に誇るべきものが一つある。それは哀切極まりなきその民謡である。奄美大島の民謡はただ単にこの島の郷土芸術であるばかりでなく、概してわが日の豊富なる郷土芸術のなかでも最も特色的なものの一つである

  • 昇 曙夢

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