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差別とウルトラマンに関するsyomuのブックマーク (4)

  • 帰ってきたウルトラマン(2)怪獣使いと少年(キミがめざす遠い星)

    『帰ってきたウルトラマン』で最も有名なエピソードは、何と言っても第33話「怪獣使いと少年」だろう。 『帰ってきた帰ってきたウルトラマン』(辰巳出版)のなかでこの作品について訊ねられた上原正三は、やや自嘲ぎみにこう答えている。 これは、良い意味でも悪い意味でもずっと引きずってきましたね(中略)現在では、よくやってくれたという人はたくさんいますし、『帰ってきたウルトラマン』はこの作品さえあればいいという極端な人もいますよね また、おそらくこの作品を一躍有名にした原動力となったであろう作家・切通理作さんの名著『怪獣使いと少年 ウルトラマンの作家たち』のなかには、こんな一説もある。 TBSの橋プロデューサーのもとには、この作品を社会科の教材にしているという中学校の先生などから今でも手紙が寄せられるという ではそんな「怪獣使いと少年」とはどんな物語だったか。 一言で言ってしまえば、弱いものへの差別

    帰ってきたウルトラマン(2)怪獣使いと少年(キミがめざす遠い星)
    syomu
    syomu 2010/09/13
    「怪獣使いと少年」は色んなところで取り上げられてるなあ。その度に見返すわけで…
  • 怪獣使いと少年 | 画家たちの饗宴

    幼い頃、私はウルトラマンの再放送を見たいがために毎週朝5時に起きてテレビにかじりついていた時期があった。ハマると生活をそれ一色にしてしまう癖が昔からあったけれど、ウルトラマンはこの癖がついたきっかけだったように思う。 「帰ってきたウルトラマン」、私が最初に見たウルトラマンは、初代ではなく、セブンでもなく、「帰マン」だった。再来した怪獣ブームを期に制作された第二期ウルトラマンシリーズの最初の作品だったが、物語は第一期に比べて人間がテーマとなっていて、制作当時のリアルな状況を少なからず反映していたようだ。 工場建設が進む時代に「自然の怒り」の象徴として登場する怪獣たち。ウルトラ警備隊、通称「MAT」は国連の一組織で、日支部のメンバーの多くは旧日軍の軍人たちという設定。今ならそれだけでもかなり問題になるだろう。実際MATは日政府からその存在を疑問視され、怪獣退治に失敗するたびに「解散」をほ

    怪獣使いと少年 | 画家たちの饗宴
  • 怪獣使いと少年

    “裏”日記に「怪獣使いと少年」に関して書いた事もう少し突っ込んで語ってみたいと思います。 ただ、ちょっとコアな部分にも触れる事になるので、一応“隠しページ”扱いとし、御意見、御感想等がございましたら、掲示板は御遠慮願い、メールにてと言うカタチをとらせて頂きますので、御協力の程を・・・ これが作られた時代は70年代初頭で、この頃の社会問題やら人種問題がかなり色濃く反映されてます。 ただ“直接的”にそうだとは語られていない為に今までおめこぼしを受けてる様なもので、ヘタしたらセブンの「遊星より愛をこめて」や怪奇大作戦の「狂気人間」以上に、相当“ヤバイ”空気を孕んでます。 ホント、よく今まで人権なんたら協会とか、そのテの“オツムの不自由な方々”にインネン付けられなかったもんだと思いますよ(まぁ、これからは分からんけどね(^^;) この回のテーマの大きな柱になってるものの1つは、ズバリ“偏見”と“差

  • ウルトラセブン(5)ノンマルトの使者 〜『金城哲夫 西へ!』

    『ウルトラマン』には、確かに子どもたちに自虐史観(東京裁判史観)を植え付けようという意図のある作品があった。が、それは(これまでさんざん検討してきたように)佐々木守と実相寺昭雄コンビが作ったもので、金城哲夫は全く関与していない。むしろ金城は、佐々木/実相寺のそうした動きに、秘かな反撃を加えていた痕跡があることもすでに見てきた通りだ。 では『ウルトラセブン』はどうだろうか? 『ウルトラセブン』にも、自虐史観につながる作品はあったのだろうか? 自虐史観というのは簡単に言えば、かつて侵略戦争をおこした日は愚かな犯罪国家だ、という歴史観のことだ。現在の日政府はこれを肯定する「村山談話」を認めているので、日は国として自虐史観を持っていることになる。 日は侵略国家・・・。 そう聞いて、『ウルトラセブン』を一通りみたことがある人が真っ先に思い浮かべるのが第42話「ノンマルトの使者」だろう。 劇中

    ウルトラセブン(5)ノンマルトの使者 〜『金城哲夫 西へ!』
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