2009年7月17日のブックマーク (15件)

  • コミュニケーション能力に本当に欠けるひとの他人とのつきあい方 - はてなポイント3万を使い切るまで死なない日記

    はてなダイアリーでブログを書きはじめて1ヶ月以上たったのだが、別に日記とかをつけているわけではないので、そろそろ書きたいこともなくなってきた今日この頃です。 44年間の人生(※1)で中身が詰められた引き出しは意外に少ないもんです。 もともとブログをはじめた理由となる読んでもらいたいエントリが当はあるのですが、はてなが意外と楽しくて、予定以上にいろいろなエントリを書いていたら、完全に出すタイミングを失ってしまいました。増田にでも出そうか悩んでいます。 さて、ということで、なにか、普通のひとはあんまり書かないだろう暮らしの知恵的なものをエントリにしてみました。 テーマはコミュニケーション能力がないひとの上手な他人との付き合い方です。コミュニケーション能力が当にないひと向けですのでリア充なひとは不要です。該当しないなあと思う人はここから先は読まなくていいです。(というか、すごい長文になってし

    コミュニケーション能力に本当に欠けるひとの他人とのつきあい方 - はてなポイント3万を使い切るまで死なない日記
  • 求めず与える - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~

    人間関係でもそうかもしれない。こと、山車祭に参加していると、その祭に熱く、深く接していると、自分が祭りに持つ「理想」と山車祭の「現実」のハザマで悩む人も多いのではなかろうか? 別に悪いことじゃない、それだけ、高い目的意識を持ってやっているということ。だがやってはならぬことがある。それは、理想と現実のハザマで悩む自分のボヤキを外部の人間に漏らすこと。それって、身内のはじ話になるかもしれない。(祭)組織に所属する以上、所属組織の結束力を疑われるような言動を、外部に見せてはならない。こういう趣旨の話は、プロ野球現東北楽天の監督、野村克也氏の著書に見ることが出来る。 ボヤキが多くて有名な氏がボヤクなと言っている事が面白いし、ボヤク内容をきちんと吟味している証。 正直な所、僕は自分所の山車祭に「理想」を掲げたことはなかった。今ある「現実」に満足していて、これ以上望むものは何も思い浮かばなかった。それ

    求めず与える - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~
  • 土御門久脩(阿倍晴明の子孫) - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~

    8月ごろであろうか、テレビに懐かしい名前が出てきた「土御門久脩」伝説の大陰陽師 阿倍晴明の子孫。戦国時代尾張三英傑、信長らと同時期に生きた人物である。 僕のブログでも数回書いた。だから懐かしい。信長が能寺で討たれる前呼び出され、「天正の改暦問題」暦で相談された人物。秀吉の時代、京都から流罪にされる。 阿倍晴明の子孫とはいえ、天文観測の機器等は京都先の大戦「応仁の乱」でことごとく焼失し、この時、それだけの実力は無かったように思える。奈良 あべ文殊院には阿倍(土御門)一族の天文観測所があったといわれ、その寺の住職は我が母校の教師の兄弟ときいている。 平安時代は日は天文観測技術中国をも凌ぎ、獅子座流星群を世界で一番始めに観測したのは、平安時代の日人とも。 阿倍晴明が雨乞いをして雨を降らせたという伝説があるが、それだけの観測技術があれば、雨が降る時間帯まで観測できたと思えるし、あらかじ

    土御門久脩(阿倍晴明の子孫) - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~
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  • お祭りにこそ会社組織の原点がある? - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~

    今年、愛 地球博では、愛知県中の山車を万博会場に集めて「山車百輌総揃え」なる催しがありました。自動車のトヨタの豊田市は昔、挙母(ころも)と呼び、挙母祭の山車も登場しました。 表題の「お祭りにこそ会社組織の原点がある?」は、最強の名古屋商法実践編の1つ(パクリ?)です。 書かれた方はおそらく愛知県半田市上半田の祭「ちんとろ舟」などに深く関わっていたであろうと予測されます。そんな、中部地区の山車祭りの1コマから今日の会社組織が見えてくる? 以下引用 「地元の子ども達は小学校に上がる前からお菓子に連れられて、山車の先端の綱を曳いているのだが、やがておはやしの1団に加わり、そんな中からお祭りを支える当の若い衆が生まれていく。 そのとき、私はお祭りにこそ日の会社組織の原型があると思った。 日の会社組織の特徴は終身雇用だとか年功序列だとか言われているが、それは戦後大きくなった行政機関や大企業での

    お祭りにこそ会社組織の原点がある? - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~
  • 筒井天王祭を語る 原点は勇ましさ 二代目アキ(後編) - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~

    お祭りにこそ組織の原点がある? アキさんのブログでこれ面白いなと思ったのは「お祭りにこそ会社組織の原点がある? 」を読んだ時です。 お祭りにこそ会社組織の原点がある? かなり昔に書いたものですね。僕がブログ書くキッカケになったメルマガとして「007名古屋商法」というものがあります。 祭ではなく、経営系のメルマガ、その中に心惹かれる文があって、書いていますね。人を動かす原動力は「勇ましさへの憧れ」であると。 実際そうだと思います。山車の中に乗る囃子方ですと、山車の中から山車の前方を見ることになる、そうすると、楫方の衣装、背中に大書された「湯」の字を観ながら笛を吹くのです。 一般の方では山車の前から観るから、山車の正面しか観られないですね。囃子というものは、楫方を観る一番の特等席かもしれません。この「湯」という文字がいつも大きく観える。 「オヤジの背中が小さく見える」の逆ですね。特に出合いの後

    筒井天王祭を語る 原点は勇ましさ 二代目アキ(後編) - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~
  • 筒井天王祭を語る 一尺の笛を引っ提げて 二代目アキ(前編) - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~

    筒井天王祭を書くために 祭について熱く語りたい!!そんな方のために今回、このような企画が立ち上がりました。 「筒井天王祭を語る」記念すべき第一回はアキさんです。アキさんは幼児期、神皇車の帰り囃子を聴いて「山車に乗りたい」と思い、小学時、湯取車に入門、受験勉強時は一時中止し、高校卒業後、山車祭にどっぷりつかります。「他地区の湯取車を観たい」と考え、二十歳前から各地の山車祭、特に湯取神子の乗る山車を重点的に見学、調査されています。得筆すべき事は、各地の山車囃子の録音、山車祭の囃子から入った事。山車祭は写真で記録される方が多い中で、囃子に特化した異色の存在です。また、その延長線上で、郷土史の研究もされています。 最近ではブログ「尾陽雑記抄」を書かれています。言ってみれば自己満足の世界に生きている人です。始めの質問ですが、湯取では何年働いているのですか? 小学4年次に湯取に入門しています。ですが略

    筒井天王祭を語る 一尺の笛を引っ提げて 二代目アキ(前編) - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~
  • 祭を語る どうたぬき(後編)家康の夢は何だったのか? - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~

    そもそも東照宮は徳川家康の死後できるわけですが、なぜ東照宮は出来上がったのか?どうたぬきさんの見解をお尋ねしたい ここでもはじめに断っておきますが、同じ文章を読んでも人によって解釈は分かれます。あくまでここでお話しするのはわたくしの個人的な見解です。それが正しいとは全く思っていません。真実とも思えません。それでもこういう形で書いておく必要も最近は感じるようになりました。ご批判を受けるであろう、その文章をここに残します。 まず家康の遺言から、家康の遺言といいますと、「人の一生は重き荷を背負うて遠き道を行くが如し。急ぐべからず、不自由を常と思えば不足なし、心に望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。 堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思え、勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。 己を責めて人を責むるな、及ばざるは過ぎたるより勝れり。」が有名です。この言葉私も好きです。だがこれは

    祭を語る どうたぬき(後編)家康の夢は何だったのか? - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~
  • 祭を語る どうたぬき(前編)水戸黄門の時代に湯取車はあった!? - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~

    筒井天王祭紹介記事書くのも今年で三回目となりました。 筒井天王祭(平成18年度) ああ ふるさとに帰ってきたみたいだ(筒井天王祭のお知らせ)平成19年度 山車祭を知り尽くす常連さんから、筒井天王という言葉初めて聞いたという方まで、満足させる文章を書くのって大変なんです。 特に常連さんなど、僕より山車の知識多いですよ。そんな方に大上段に構えて書いていたらそれこそ、「釈迦に説法」です。昨年の「水戸黄門の時、湯取車があった。」という言葉は、独り歩きしてしまったようです。 上記の二つ書いても人は三割程度しか書けてないと、満足できないんです。 そこで今年は趣向を変えました。もし僕に雑誌が取材に来たらこう答えると、インタビュー形式にしました。 雑誌やテレビの取材って「はじめに結論ありき」の場合がある。編集者の望む答えが出てこなければ、取材は終わり。テレビなら編集でカット。座談会形式でも、よくよく読む

    祭を語る どうたぬき(前編)水戸黄門の時代に湯取車はあった!? - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~
  • 名古屋まつりを終えて 日々想うこと - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~

    中島敦の小説、名人伝に弓の名手が出てくる。弓を極め、師匠を捜し求め、誰も届かなかった高みにたどり着く。その後、人里で生活を始めた彼は、晩年には弓というものを忘れてしまったという、一芸を極めた者の不思議な話。 僕は名人の域にたどり着かないが、正直な所、名古屋まつりを過ぎたら、笛も忘れてしまいそうだ。名古屋まつりがえらい昔に感じてしまう。 東区区政80周年の時は山車が徳川園に集まった。90周年も山車を集める…という話が流れた時、王義之車のところで、湯取の人間やらが数人で行って、天王祭で東区の山車が揃う事があるだろうか?という夢のような話をした覚えがある。 月日が流れ区政100周年で建中寺に山車が揃い、もう言う事はない。ただ、この姿を見てほしかった方々が数人鬼籍に入られてしまったことが残念でならない。 区政80周年の時、湯取車の綱を曳いていた僕の同級生はほとんどが辞めてしまった。あれから20年が

    名古屋まつりを終えて 日々想うこと - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~
  • 祭(野球)観戦で気をつけたいこと - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~

    もう春祭のシーズンですね。最近僕は祭礼に関しては、引きこもっています。隠密を決め込んでいるって感じかな。来るべき時が来れば動きますよ。(来るべき時って何時だろう?) 知多半島は祭礼の宝庫、3月末から4月までめじろ押し。特に同じ日に各地でおまつりですので、数箇所、掛け持ちで見るという方もおられます。知多半島横断(僕は勝手に死のロードと呼んでいます)車で行った日にゃ「車で寝泊りすればいいじゃん。」と車で野宿も良いと思いますよ。(僕はしたことありませんが)良い思い出になりますよ。僕は、1日かけて1箇所をじっくり観る事が多いです。 慣れている研究家の方の先導があれば、1日で効率的に回れます。数回、こういった方の車に乗せてもらって、数箇所観たことがあります。 一人で行くぶんにはこういった過ちは少ないと思いますが、団体で、特に自分と同じ山車祭保存会もしくは関係者と他地区祭礼を観に行く時は気をつけて頂き

    祭(野球)観戦で気をつけたいこと - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~
  • 「郷土の山車写真集」を初めて観たのは鍼灸院だった!! - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~

    伊勢門水 「名古屋祭」と双璧を為すであろうに山田鉦七氏の「郷土の山車写真集」があります。戦前の山車もあれば、現存する山車も載っています。 このに初めて出会ったのは、近くにあった鍼灸院でした。中学時代、体育の授業で「60メートルダッシュ」をするのですが、その時、股関節(腰?)を痛めてしまいました。痛みが取れると再発、痛みが取れると再発、つまりクセになってしまいました。 そこで近くの鍼灸院を訪れるのですが、そこで山田鉦七氏「郷土の山車写真集」を初めて読みました。中区にも湯取車あったんだ。(戦災で焼失した桑名町湯取車)西区の比良にも湯取ってあるんだ。(河南 湯取車)小牧にもあるのか… へえ、津島には二輌あるんだ。(朝日町、麩屋町) 僕が湯取に入門したのは小学高学年、中学時は受験を控えて山車祭を控えていました。そのまま、辞めるつもりだったんです。それが自然でした。事実、僕の同級生も数人、受験時

    「郷土の山車写真集」を初めて観たのは鍼灸院だった!! - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~
  • 文献の研究 後進たちの功罪 - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~

    家伝灸物語に医学だけでなく、他の研究、民俗学に通ずる次のようなくだりがあります。 だいたい、古典の主治症はみんな似たり寄ったりになって記載されている。 なぜかというと、ある古い一書に、これこれに効くと書いてあると、次の書も、その次の書もみんな右へならえ式になるからである。 これは今日の頭では理解できないことだが、先師のいっていることは尊敬して批判しない、そのまま受けるというのを古人は礼儀としてきたからである。 そんなことでは進歩も発展もないではないかというかもしれないが、それは今の考え方であって、東洋古代の考えではそのようなものであり、ならわしでもあったのだ。(家伝灸物語 P218 より) いや耳が痛い。今もって中部山車祭関係者の間では「聖書」と言っても良いに「伊勢門水 著 名古屋祭」というがあります。 このは明治に書かれたもので、当時の山車祭を伝える、唯一と言って良いほどのです。

    文献の研究 後進たちの功罪 - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~
  • 昭和の名灸師 深谷伊三郎 「家伝灸物語」 - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~

    民俗学系ブログに相応しくない内容かもしれませんが 昭和の名灸師として名高い方に「深谷伊三郎」氏が居られます。この方は多くの臨床で病める人を救い、学会では灸の研究で高い評価を得ています。灸で治療する「深谷灸法」の礎を築き、また、「名家灸選」という江戸時代の文献を研究され、そちらでも高い評価を得ています。 深谷伊三郎 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 産まれた歳(明治33年)が我が祖父に近いこと、また僕と同じく法学部出身ということで、言うに言えぬ親しみをこの方に持ってしまいます。 さてこの方、もう一つ各地に残る「家伝灸」の現地調査を手がけ、その記録をとっておられました。その一部は三景より深谷伊三郎 著「家伝灸物語」として世に出ています。しかしながら、深谷師の没後にノートを後継者の方々がまとめたもので、深谷師が生前に書き下ろしたものではないのは残念ですが、その内容に

    昭和の名灸師 深谷伊三郎 「家伝灸物語」 - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~