2010年11月14日のブックマーク (2件)

  • 誰が書いたのかわからない - ohnosakiko’s blog

    3週間ほど前の話。 「ジェンダー入門」の授業後講義室に残り、一人一人から回収した出席票をチマチマとチェックしては、出席簿の方に○をつけるという地味な作業をしていた。*1 あー私の名前は左紀子だよ、佐紀子じゃないんだよ、まあ書かなくていいよ講師の名前まではね‥‥とか思いつつ、ある男子学生の出席票を見た時、私の目は点になった。 「おっぱい!」と書いてあるではないか。担当教員氏名の欄に。 ‥‥‥‥てめえ‥‥‥ざけんなよ‥‥‥‥ 笑いたくなった人もいるでしょうが、2秒ほど血が逆流し脳が沸騰しました。 思わず顎を引いて自分の胸を見下ろす。別に胸のラインが目立つような服ではない。そもそも授業するのにそんな服など着てこない。というか、どういう服を着ていようが胸のことを他人に言われる筋合いはない。 ネット上の文章などで、女性の胸にフェティッシュに執着する男性が、「おっぱい!おっぱい!」と書いているのを見て

    誰が書いたのかわからない - ohnosakiko’s blog
    t-kawase
    t-kawase 2010/11/14
    お察し申し上げます。まあ、正規の講義アンケートでも匿名をいいことに好き放題書いてくる奴はいるけどね。
  • 「世俗のしもべとなるだろう」 - Living, Loving, Thinking, Again

    『朝日』の記事*1; まどさん 新たな戦争詩 1942年の作品、中島利郎教授が発見(1/3ページ) 2010年11月6日14時17分 〈この戦争は石に囓(かじ)りついても勝たねばならないのだよ〉――詩人まど・みちおさんの「戦争詩」が新たに見つかった。に語りかける形で、聖戦完遂をめざす高揚感を静かに歌いあげている。戦時下に戦意高揚のための作品を書いた詩人の大半が戦後、口を閉ざしたまま世を去ったなかで、かつて全詩集で2編の戦争詩を公表して謝罪したまどさんは、この16日で101歳になる。 この「」という詩は、1942年12月発行の月刊誌「台湾時報」に掲載された。当時33歳のまどさんは台北州庁に勤めながら、詩や童謡を書いていた。岐阜聖徳(しょうとく)学園大の中島利郎(としを)教授(台湾文学)が見つけ、同大外国語学部編『ポスト/コロニアルの諸相』(彩流社)で今春公表した。 「」は、夫の力強い語

    t-kawase
    t-kawase 2010/11/14
    あの時代、みんなが協力者だった。協力者にさせられないように努力するのが「戦後」の義務。