日本統治時代に数多くの神社が建立されました。これらの神社を探索し神社遺跡を紹介するものです by 金子展也 先週、神奈川大学神社研究会では神社新報社の前田孝和氏を講師にお招きし、「樺太の神社の終戦顛末」というタイトルで講演をして頂きました。 江戸時代は北海道を指す「蝦夷地」に対して、「北蝦夷」と呼ばれ、後に明治政府が北海道開拓使を設置するにあたり、北蝦夷地を樺太と改称したところである。日露戦争の結果、樺太南半が日本領有となり、地方行政官庁として樺太庁が設置され、太平洋戦争中の昭和22年(1942年)に、外地から内地へと編入された。昭和25年(1945年)当時の人口は約40万人で、住民の99%は日本人であった。当時の主要な産業は漁業、農業、林業と製紙・パルプなどの工業、石炭・石油の採掘業などであった。南樺太の中心都市は、樺太庁の置かれた豊原市であった。 この江戸時代の樺太にも既に25社程度の
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