2011年8月8日のブックマーク (4件)

  • 放射線:「除染急げ」 東京大アイソトープ総合センター長 - 毎日jp(毎日新聞)

    「7万人が自宅を離れてさまよっている時に、国会は一体何をやっているのですか!」。東京大アイソトープ総合センター長の児玉龍彦さん(58)が7月下旬、衆議院厚生労働委員会で国の放射線対策を厳しく批判したことが反響を呼んでいる。がん治療薬開発のかたわら、「行動する研究者」として福島県南相馬市で除染活動を続ける児玉さんに、政府がなすべきことを聞いた。【聞き手・青野由利論説委員】 --今回の汚染はこれまでの考え方では対応できないと指摘していましたね。 ◆私たちの推計では、原発からの放射性物質の放出量はウランに換算して広島原爆20個分に上ります。しかも、原爆に比べて放射線の減り方が遅い。少量の汚染ならその場の線量を考えればいい。でも、総量が膨大な場合、粒子の拡散を考える必要があります。これは「非線形」という難しい科学になり、予測がつかない場所で濃縮が起きる。だから、稲わらによる牛肉のセシウム汚染や、お

    t101
    t101 2011/08/08
    先日の内容が記事の形でまとまっている。早く議論して、早く行動を。
  • 東京市 - Wikipedia

    東京市(とうきょうし)は、日にかつて存在した東京府の市。 1889年(明治22年)に東京府(現・東京都)東部の15区を区域として設立された。1932年(昭和7年)に近隣5郡60町22村を編入して35区となる。最終的な市域は、現在の東京都区部(東京23区)に相当する。1943年(昭和18年)に東京府と統合されて東京都となった[1]。 東京市が存在していた時期以外の旧東京市地域の歴史については、東京都の歴史を参照。 歴史[編集] 前史[編集] 1878年(明治11年)の郡区町村編制法によって設置された東京15区 1886年(明治19年)の東京15区の地図。各区は色で縁取られている 1878年(明治11年)11月2日、東京府における郡区町村編制法の施行により、府税収入の多い地域を吟味選定のうえ、同法第2条の定めるところに従って旧幕時代の地称を付し、麹町区・神田区・日橋区・京橋区・芝区・麻布区

    東京市 - Wikipedia
    t101
    t101 2011/08/08
    この「区の変遷一覧」を頭に入れつつ、アド街を見るとさらに味わい深いかも。
  • ネット上の発言の劣化について - 内田樹の研究室

    個人的印象だが、ネット上での匿名発言の劣化がさらに進んでいるように見える。 攻撃的なコメントが一層断定的になり、かつ非論理的になり、口調が暴力的になってきている。 これについては、前に「情報の階層化」という論点を提示したことがある。 ちょっと長い話になる。 かつてマスメディアが言論の場を実効支配していた時代があった。 讀賣新聞1400万部、朝日新聞800万部、「紅白歌合戦」の視聴率が80%だった時代の話である。 その頃の日人は子どもも大人も、男も女も、知識人も労働者も、「だいたい同じような情報」を共有することができた。 政治的意見にしても、全国紙の社説のどれかに「自分といちばん近いもの」を探し出して、とりあえずそれに同調することができた。 「国論を二分する」というような劇的な国民的亀裂は60年安保から後は見ることができない。 国民のほとんどはは、朝日から産経まで、どれかの新聞の社説を「口

    t101
    t101 2011/08/08
    素晴らしい。ただ、「情報をマッピング」というメタファは、一応疑ってかかってみたい。
  • 修辞技法 - Wikipedia

    出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2014年6月) 修辞技法(しゅうじぎほう)とは、文章やスピーチなどに豊かな表現を与えるための一連の表現技法のこと。英語の「figure of speech」やフランス語の「figure de style」などから翻訳された現代語的表現で、かつての日語では文彩(ぶんさい)、また単に彩(あや)などといっていた。 概説[編集] 修辞技法はギリシア・ローマ時代から学問的な対象として扱われており、修辞学(レトリック、Rhetoric)という学問的存在の領域となっている。 西洋の古典修辞学者らによって Scheme(配列を変えること)と Trope(転義、比喩)に大別された。 分類[編集] 西洋の古典修辞学者たちは修辞技法を大きく次の2つに分類した。 Scheme -

    t101
    t101 2011/08/08
    「比喩」で検索したら1位がこれ。小学校の頃、塾の先生に「昔は修辞学という単独の授業があってだな…、まったく今の若者は…」と諭されたことを思い出した。