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茂木さんに関するt2taroのブックマーク (23)

  • 茂木健一郎 クオリア日記: 樹冠を伸ばしていく

    このところ、海外に出るといっても せいぜい4泊6日。 2泊4日などは当たり前で、 今回のコスタリカの11日の旅程 は最後にそうだったのがいつくらいだったか 思い出せないほど久しぶりである。 いつもの感じだと、そろそろ日に 帰っている頃であろう。 そのしきい値を超えたせいかもしれない。 長く外に出ている時に見られる一つの徴候が 現れた。 日の夢を見た。 その中で私は忙しく立ち働いていて、 一つの仕事が終わって、 タクシーを拾って次の現場に行こうと するのだが、なかなかタクシーが 捕まらない。 奇妙なディテールに満ちた長い 夢だった。 目覚めて、全体として クレイジーだなあと思った。 日における私の日常は、 どう考えても狂っている。 文明全体が一つの狂気の 中にある。 しかし、それに付き合うという ことが現代人にとって「生きる」 ということである。 森の中を歩いていると、ふと した瞬間に

    t2taro
    t2taro 2008/08/15
    [マインド/フィロソフィ][markup]誰かがふと語った中の、別段意識していなかった「単語」がきっかけで、思考の一部に風が吹き抜けていく。そんな感覚を映像に置き換えるとしら、見入っていた竹林の静止画の一部が、急にそこだけ突風に煽られ、竹がし
  • 茂木健一郎 クオリア日記: クオリア

  • 茂木健一郎 クオリア日記: ある典型

  • 茂木健一郎 クオリア日記: 青空がその向こうの星雲を隠してしまうように

    地球の大気は、私たちの生命を 育んでくれる大切な存在。 見上げると、青空が広がっている。 太陽の光が散乱されて見える色。 しかし、見方を変えると、大気の スクリーンがあるために、その向こうの 宇宙が見えない。 似たようなことは、生活の現場の中にも あるように思う。 身近なものに一生懸命適応するのは 人間の性というもの。 環境といきいきと相互作用し、 感覚と運動を結びつけ、 コミュニケーションし、 やりとりし、 働きかけ、受け止める。 そのようにして、人間の 脳は育まれていく。 しかし、だからこそ、青空が その向こうの星雲を隠してしまう ように、 ものごとの質が見えないという こともあるのではないか。 遠くにあるもの。 私たちの生活の現場の こまごま、さまざまから隔たったもの。 はるか彼方にある質を 見逃さないように、望遠鏡を 抱いていたい。 そんなことを考えていたら、 精神におけるex

  • 茂木健一郎 クオリア日記: 梅の木

  • 優しさとは「弱さ」を「強さ」に変えられること:日経ビジネスオンライン

    今回お話を伺った音楽プロデューサーの武部聡志さんは、日音楽業界の第一線で30年にわたり活躍してこられた。「人生で挫折や悩み経験をしたことがない人の歌を聞きたいでしょうか。私は聞きたくないです」と武部さんは言う。 「弱さ」が「強さ」だということを知っている。それが「優しさ」につながる。弱さを守るのではなく、もっと積極的な意味で、弱さこそが強さ、魅力なのだと。そういうことを分かっている人が、当に優しくなれる。 僕も、脳の研究をしていて、薄々感じていたことだけれど、今回もっとはっきり言葉にできた。 「プロデューサー」という仕事がどうして必要なのか、その理由がよく分かった。アーティストがひとりで作品を作るのと、プロデューサーが参加するのと何が違うのか。やはり、外からの目線がないと、自分の中のリアリティというものを、アーティスト人も発見できないからだ。自分の内側にあるリアリティを発見するのは

    優しさとは「弱さ」を「強さ」に変えられること:日経ビジネスオンライン
  • 決断を支える「見極め」の潔さ:日経ビジネスオンライン

    フレンチシェフの岸田周三さんの料理を最初にべた時、すごく驚いたのは、僕の言葉で言えば「クオリア」、つまり口の中での感覚を、ものすごくピュアに突き詰めていることだった。何が違うかというと、いろいろ混ざっている状態から、いわば“純金”にしているという感じだ。 岸田さんの一番優れた資質は、自分の置かれた状況をはっきり見極めて決断ができることだ。どういう理由で、自分が今こういう行動を取ろうとしているのかの見極めがちゃんとできている。今の自分に欠けているものは何かを考えた時、例えば素材のことが分かっていないならば肉屋で修行しようと判断した。 フランスにいきなりアポなしで行って修行を始めた時のこと。師のパスカル・バルボさんがなかなかOKを出してくれず、魚のソテーをお客さんに出さないのか分からなかった。バルボさんが「料理人はロボットじゃない。魚というのは1匹ずつコンディションが違うから、1つひとつの魚

    決断を支える「見極め」の潔さ:日経ビジネスオンライン
  • 茂木健一郎 クオリア日記: 日本論の危うさ

    茂木健一郎 「日論の危うさ」 ー紋切り型の「伝統」がこの国の生命力を失わせるー 地球規模の「他者の目」 自覚すべき内なる危うさ 国境紛争が教える脆弱性 利休の「テロリズム」 無秩序な爆発に懲りた日 偶有性を呼び覚ます (原稿用紙30枚書き下ろし) PHP研究所 VOICE 2008年2月号 http://www.php.co.jp/magazine/detail.php?code=12362 » 世の退嬰ムードに負けず。 トラックバック 銀鏡反応 パンドラの函 @ZARD・坂井泉水のうたう「負けないで~♪」という歌が、人の死後、ヒットしていた当時よりも人口に膾炙し、町のカラオケボックスやパーティなどで歌われる回数も以前より最低3倍は増えたように思えるが、世の空気は「負けないで」とZARDがあれだけうたっているにも関わらず、益々、後ろ向きになっている感じがするのは何故なのか。 @昨今の

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    t2taro 2008/01/10
    [雑誌/特集]
  • 9割の「見えない仕事」を突き詰める:日経ビジネスオンライン

    今回お話を伺った小野二郎さんは、いまや寿司職人として世界に認められる人だ。しかし寿司職人になったのは、そうしないとべていけなかった、あるいは店を出すのにお金がかかりすぎて準備ができなかったといった実際的な理由だった。 自分に合った仕事を探して、どんどんさまよい歩くという時代の風潮に対して、小野さんは出会った仕事に誠心誠意、自分を合わせていった。そのことと、寿司という、制約がありながら無限の広がりがある世界の奥義をきわめるということはつながっている気がする。そういうことを我々は忘れてしまっているのではないか。これが今回受けた一番のメッセージだった。 寿司の世界に限ったことではない。確かに仕事で自分を表現することは大事なことだが、考えてみれば生活のために仕事をするというのはそんなに悪いことではない。そもそも生き物としては、生きなければいけない、べていかなければならない、というのが基だった

    9割の「見えない仕事」を突き詰める:日経ビジネスオンライン
    t2taro
    t2taro 2008/01/08
    [マインド/フィロソフィ][ワークスタイル]
  • 茂木健一郎 クオリア日記: メタ認知のかかわりの文化

  • 茂木健一郎 クオリア日記: みずみずしい気配

  • 茂木健一郎 クオリア日記: 表現者はいいわけをしてはいけない

    しばらく前に、京都大学の 学園祭での私の講演を聞かれた方から、 「表現者はいいわけをしてはいけない」 という言葉の意味について ご質問をいただいた。 これには二重の意味がある。 一つは表現者の側から見た場合、 もう一つは、鑑賞者の側から見た場合である。 表現者にとってみれば、 作品というものは一度自分の手を 離れれば勝手に流通していって しまう。 自分のコントロール不可能な 領域に入っていってしまう。 その拡散の全ての局面に、 付き添っていっていちいち説明 することはできない。 「当は、こういう意味だったんです」 「あなたのその意見は誤解です」 などと、補ったり、修正したり することは、表現者としての分に反する。 どんなにひどい曲解をされても、 真意をつかんでくれなくても、 我慢しなければならない。 自分の表現がまだ拙いから わかってもらえなかったのだと、 修練による向上を志向しなけれ

  • チームの中でこそ発揮される個性:日経ビジネスオンライン

    今回お話を伺ったヘアデザイナーの加茂克也さん。ファッションショーの世界最高峰であるパリコレクションで活躍されている。1つのショーを成功させるためには、洋服のデザイナーをはじめ多くのスタッフがチーム全体で力を発揮することが大事だという。 加茂さんのお話は、「個性を伸ばす」、「才能を発揮する」ということについて、非常に示唆を与える内容だった。それについて、世の中には「大いなる誤解」がある。「こんなチームにいては自分の個性や能力が発揮できない」と言っているのは逆で、それはプロフェッショナルではない。これは多くの人にとって耳が痛い言葉だ。 チームプレイとか協調性、あるいは「空気読め」というのが個性の反対語であるかのように言われているけれど、それはまったくの間違いだ。むしろ自分の個性を生かすためには、周りと協調しなければならないし、お互いに高めあわないといけない。加茂さんは、そのことをパリコレという

    チームの中でこそ発揮される個性:日経ビジネスオンライン
  • 茂木健一郎 クオリア日記: かけがえのない鑑

  • 茂木健一郎 クオリア日記: 「兆し」を定着するための

    この世はすべて無常であるならば、 あるものたちが限られた 時間とはいえ取りあえず 安定して存在してくれている ことは奇跡的なことだ。 授業のために、東京芸術大学 に向かう道すがら、 「上野公園は、やっぱり、 あの時と同じように、上野公園だなあ」 と思った。 大学院生の時、研究室から 出てよく上野公園の中を走った。 不忍池の畔を通り、 階段を一気に駆け上がって それから桜並木の下を 疾走し、 噴水広場をぐるりと 一周して戻った。 上野公園は、あの時と 同じように、「その場所」にある。 宇宙の時間を早回しして みれば、 やがて太陽は赤色巨星 となって地球を飲み込んじまう。 それよりも前に、地球の上の わが大地だって地殻変動。 いつ小惑星が衝突するか わかったもんじゃない。 生きているということは、 辛うじて成立している安定に 帰することであって、 それがつかの間に過ぎないことは、 ふわふわと

  • 茂木健一郎 クオリア日記: 胡桃の殻が擦れ合うように

    養老孟司さんは、 「仕事というものは、世間に空いている 穴を埋めるものだ」 という。 とりわけ、 自我が肥大しがちな青年時代において、 養老先生の言葉は大切な メッセージを含んでいる。 一方、何でも世間に合わせて がんばっていると消耗する。 自分が好きなこと、惹かれること、 大切なことをできるならば、 より良質のものを生み出し、 世間に差し出せる可能性がある。 半ば自分のために、半ば 他者のために。 つまりは、自分と社会が、 ラブ・アフェアーの状態に あることが望ましい。 別の言い方をすれば スケールの問題なのであって、 自分にとって当にエッセンシャルな ことは、世間に大手を振って 流通していることではなく、 心の中に、まるで胡桃の殻が 擦れ合うようにかすかな音を 響かせているものにこそ 耳を傾けるべきなのだ。 そして、自分自身という 楽器が、世に向けての胡桃の 拡声装置となれば良い。

  • 茂木健一郎 クオリア日記: 利己性と利他性

    近年の認知科学が示したように、 人間の行為の基盤に利他性があることは 事実である。 社会的動物である人間は、 「他人のため」に何かをすること自体を 喜びとするように脳の報酬系が できあがっている。 自分のことばかり考えている 人は端から見ていてみにくいものだ。 そのような心の状態を 思い浮かべると、耐えられないものを 感じる。 そのような機微に通じていた 一人が、夏目漱石であろう。 しかし、全面的に「利他的」 ということにはもちろんならないの であって、利己と利他のバランス が大切である。 とりわけ、何かを生み出す という精神運動においては、 自分の内側の倫理規則、快楽原則に 寄り添うことをしなければ 良いものはできない。 他人に対する奉仕で しているのではない。 自らの内なる宇宙における 喜びの回路に沈潜し、 そこでは思い切り利己的に 振る舞うことによって、 初めて結果として他人に喜びを

    t2taro
    t2taro 2007/10/05
    「他」にとって「利」である(役立てる)ために、「己」のなかの「利(利点)」を利かす…。プロダクトデザインの話のようにも読めた。「…(略)…自らの美意識、倫理規則に厳しく従うことの結果が、他人に喜びを与
  • 茂木健一郎 クオリア日記: 日本人の精神と資本主義の倫理

  • 茂木健一郎 クオリア日記: 星くずのごとく地上にばらまかれた

    思うに、人間は「普遍」のみでは 満足することができないのではないか。 そのような一般的志向性の 一つの表れが、たとえば 「ナショナリズム」という「特殊」 への拘泥に現象的に結実している。 満天の空の星を見れば、地上の些事 にかかわずらっていることは いかにも「小さな」 ことではあるが、 しかし、その「小さな」ことが、 私たちの胸を打ち震えさせるのだ。 この世はまさに多様で、 地上にはめくるめくさまざまな 「主観性」がある。 池の上を飛ぶトンボにも、 自らの生命をそのか細い身体に 託して微睡み、迷っている、 固有の主観性があると考えざるを 得ぬ。 蟻にも、ミミズにも、 アメンボにも、カエルにも、 それぞれの自律的能動性を支える 限りにおいての主観性が 宿っている。 俯瞰的に見れば、 この「私」の主観性もまた、 星くずのごとく地上にばらまかれた 数多のものたちの一つに 過ぎないのだ。 亀山郁夫

    t2taro
    t2taro 2007/09/25
    [意見/所感]
  • 茂木健一郎 クオリア日記: どうであれ

    汐留の 電通社にて ミーティング。 NHKで、『プロフェッショナル 仕事の流儀』 の打ち合わせ。 二酸化炭素などの温室効果ガスの 排出権ビジネスにかかわる吉高まりさんが ゲストでいらっしゃる回。 テレビというメディアの課題の一つは、 「情報圧縮」をいかにやるか ということである。 人間の脳には、たくわえられた 経験をろ過し、関係づけ、整理し、 やがて一つの言葉、概念に凝縮する 働きが備えられている。 ある時、芸術家の岡太郎は、 パーティーで乾杯の発声を依頼されて、 「この酒を飲んだら死んでしまうと 思って飲め、乾杯!」 と叫んだという。 この言葉には、岡太郎という 人の人生が凝縮している。 映像を素材とするテレビにおいて、 同じような凝縮ができるか どうか。 それが課題である。 夕刻、雑誌の取材で武満眞樹さんと お目にかかる。 武満眞樹さんは不思議な人で、 カタツムリを掴み、 それを

    t2taro
    t2taro 2007/09/12
    [マインド/フィロソフィ][markup]「自分の内側に大切なものがあるならば、そのロジックを追って、誠心誠意寄り添い、起こる化学反応の中から、「光」を発すれば良い。そう思ったら、大分気が楽になった。(茂木さんエントリーより引用)」<BR/>」茂木