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認知科学に関するt2taroのブックマーク (5)

  • 文字を色で、香りを形で感じる人たち:「共感覚」と比喩 | WIRED VISION

    文字を色で、香りを形で感じる人たち:「共感覚」と比喩 2008年9月 8日 サイエンス・テクノロジー コメント: トラックバック (0) Brandon Keim 色を「聴く」、味を「見る」といったことができる人がいる。こうした人々は「共感覚者」と呼ばれ、異なる知覚領域が組み合わさって感じられる。 [共感覚とは、ある刺激を受けたとき、来の感覚に他の感覚が伴って生ずる現象で、印刷された文字が色となって感じられたり、香りが形を伴ったり、話し言葉が虹色に見えたりする(日語版記事)。 過去記事「VRもオーラも「共感覚」の一種?」によると、共感覚者は、多く見積もると2000人に1人の割合で存在する可能性がある。共感覚が起こるのは、脳の複数の部位が同時に活動するからだと考えられており、共感覚者においては連結されている脳の部位が、共感覚者以外の人では、発達のある段階で切断されている(新生児の脳に見ら

    t2taro
    t2taro 2008/09/08
    『非凡な神経科学者であるV.S. Ramachandran氏は5月29日(米国時間)、『World Science Festival』の講演で、この共感覚を取り上げた』…ということを切り口に、その「共感覚」の本質を「比喩」とするも、「比喩」として表現される内
  • 1つ1つのインプットにこだわる眼力があってこその経験値: DESIGN IT! w/LOVE

    うーん。人間ってインプット→処理→アウトプットする機械ではないんだと思うんだけど。 経験値を増やしたいのであれば、場数を増やして自分でやってみるのもいいと思うし、あと色んな人の話を聞くのもいいんじゃないかな。 一つ一つのインプットにとらわれすぎるのはどうかと。 インプットってそんな機械的なものじゃないでしょう。同じ場に身を置いても、同じように他人の話を聞いても、得られる経験は人それぞれ違うはずです。 それはいわゆるインプットが決して外部の物事をそのまま受け取るという実践ではないからです。同じ物事に接しても人それぞれ受け取るものは異なる。逆に多くの異なるものに接しても何の違いも感じない人だっているでしょう。 つまり、インプットそのものが生成なのです。 インプット→処理→アウトプットをしているのではなく、インプットそのものが処理であり、アウトプットの生成なわけです。 感じるということ自体が生成

  • 服で作った顔「Folding Facial Expression Using Clothes」: DesignWorks Archive

    t2taro
    t2taro 2007/10/04
    [アート/美術/芸術]
  • http://design-liaison-center.weblogs.jp/blog/2007/07/affordance_5991.html

  • 身体的な知としてのインテリジェンス: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 情報というものを、単にテキスト情報やコンピュータ上で表現可能な2次元的な画像や動画や音声のような情報のみならず、生物としてより身体的に無意識のうちに感知している情報も含めて捉えようと思う姿勢は、ピーター・モービルの『アンビエント・ファインダビリティ』や西垣通さんの『情報学的転回』を、あるいは、石井裕さんのタンジブル・ビッツというコンセプトを紹介したときから一貫しているつもりですが、最近、アフォーダンス系のを読むにあたり、ますます身体的な情報というものに考える機会が増えてきています。 インタラクションを美的にする日文化例えば、先日も書評を書いた『デザインの生態学―新しいデザインの教科書』における深澤直人さんのこんな言葉。 洗練するってことはすごくインテリジェントなことだと

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